KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2018年08月14日

『〆切本』(左右社)

〆切本
出版社:左右社 ; 発行年月:2016年9月; 本体価格:2,484円

あなたには今いくつの〆切がありますか?

あの企画書を作成しておかなくては・・・。来週までに提出すべき書類がある・・・。
といった仕事面から、曜日の決まったゴミ捨てのような日常の些細なことまで。
いまの季節、といえば子供時代の夏休みの宿題も、〆切との格闘だったかもしれません。「あー、もっと早くから計画的にやっておけば良かった・・・」と嘆きつつ、すべての宿題を仕上げて新学期を迎えた時のあのホッとした気持ち、やればできると自分を一転して鼓舞している気持ち、忘れられません。

そう、私たちはこの社会で生きている限り、たくさんの“〆切”から毎日逃れることのできない生活を送っています。

本書は、明治から現在にいたる書き手たちの〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記・対談などをよりぬき集めた“しめきり症例集”です。
まえがきには、仕事や人生で〆切とこれから上手に付き合っていくための“しめきり参考書”でもある、と記されています。

古くは田山花袋、夏目漱石、川端康成、谷崎潤一郎といった近代文学の文豪から、手塚治虫、藤子不二雄A 、長谷川町子といった漫画界の巨匠。さらに現代の重鎮 浅田次郎、村上春樹、谷川俊太郎、吉本ばなな・・・と、古今日本を代表する書き手たちまで。〆切にまつわる94編が紹介されています。

あの文豪作家たちは、どのようにして〆切と闘っていたのでしょうか。

「やはり出来ない。終には、筆と紙とを見るのが苦しくなる。筆と紙と自分の心との中に悪魔が住んでいるように思われる。」(田山花袋)

「私が貧乏してゐる重大な原因は、遅筆と云ふことに存するのである。」(谷崎潤一郎)

「罐詰病の原因ははっきりしている。原稿の依頼を引き受けることが因である。
小説、戯曲、雑文などの註文を引き受け、締切日が決定した途端に、病原体が体内に潜伏する仕掛けになっている。」(井上ひさし)

名だたる作家達も書けない、筆が進まない、間に合わない・・・と〆切に悶絶している姿はなんとも辛いのです。

でも、作家ならではの〆切との闘い方もあるようです。

「カン詰めになる(される)―この用語は出版業界の俗語で、(なかなか仕事をしない)執筆者をホテル等に隔離して、よその仕事とか夜遊びとかをできないような状態にして書かせる―という意味合いのものである。」(泉麻人)

「じつをいうと、つい昨日まで「缶詰」になっていたのである。(中略)わたしが護送されたのは某出版社の保養所であった。管理人のほかはわたしだけ。保養所に置いてあるのはその出版社の本だけ。電話をかけてくるのは編集者だけ。」(高橋源一郎)

私のような会社員が仕事の〆切に追い立てられ“カンヅメ”にされることなんて、普通は考えられませんから、売れっ子作家の代名詞のようでかっこいいとちょっと憧れたりもします。

〆切とは単に辛く避けたいものであるだけではなく、そこには秘められた「効能/効果」があると記している作家もいます。

「主題と枚数と〆切を呈示される仕事だからこそ無意識の鉱脈に行き当たり、偶然の糸を引き寄せることができたのではないか」(堀江敏幸)

「<終わり>が間近に迫っているという危機感が、知に、勇気ある飛躍を促し、ときに驚異的な洞察をもたらすのである。」(大澤真幸)

書けないできない、もうあきらめてしまおうか・・・と手放しかけたときに、〆切は「ここでふんばって乗り越えろ」と、ギロリと睨んでくるのです。
いつの間にか〆切が叱咤激励をしながら、引っ張っていってくれる。私たちの力を引き出してくれるのです。

そうなのです、〆切が存在することによって、私たちは集中力が高まり、全身全霊の力を注ぐことができるのかもしれません。

〆切とは、鬼の形相をしながらも、私たちの力を引き出してくれる女神だとすれば、〆切はあったほうがより良いものを生み出す存在と言えそうです。

〆切にまつわる人間関係についての記載も一興です。

私の仕事は研修事務局。講師の先生方より講義資料の原稿を頂戴します。今回のセッションの主旨と照らし合わせてどうか、どのようなレイアウトで印刷しようか等、頂いた資料を先生にお伺いしながら、開催に向けてテキスト等を準備するのも大切な仕事です。

先生によっては、講義の1か月近くも前に資料が届く方もいれば、講義開始直前に送ってくださる先生もいます。いずれも〆切を迫る作家にとっての編集者と同じように、先生と私たちの間にもいちおうの〆切はあるものの、その捉え方は先生によって異なること、経験を積めば積むほどによく理解できます。

本書のなかでも、慶應MCCの講座にもご登壇いただいている作家 阿刀田高先生は、『パートナーの条件』と題して、〆切にまつわる作家と編集者の関係について記載されています。

「ある日、ふと考えた。
編集者にとって、好ましい小説家の条件とはなんだろうか、と。
思考のすえ、重要と思われるものから順に記してみると、
一、しめきりの日時までに、注文通りの原稿をきちんと書いてくれること。
二、その内容が、よいものであること。
三、良識を備え、めんどうな人格でないこと。
四、金銭に関してあまりうるさくないこと。
などであろうか」(阿刀田高)

ふふっ、「しめきりの日時まで」を一番に持ってくるあたり、先生わかっていらっしゃいます。

〆切には各先生方のお考えがあり哲学があることを感じます。私たちも口に出した〆切に資料が届かないからといってすぐには慌てません。講座開始直前に資料が届くものもそれは素晴らしい内容であること確信があるからです。そこには、先生と私たちとの間に信頼関係があると信じています。

本書は〆切にまつわる文章を集めた1冊となっていますが、〆切にいかに苦しめられているか、では終わらない深みがあります。そもそも〆切とはなにか。
哲学的な問いを私たちに投げかけてくるのです。

最終章のテーマは「人生とは、〆切である」となっています。

「誰かが名言を残した。「人生は長く、締め切り日は短し」。」(池井 優)

「いつか、自分が死ぬときの段取りがうまくつけられるようだったら、申しぶんがないの
だけれど、こればかりはむずかしい。」(池波正太郎)

人は死ぬその瞬間まで人生の〆切があるのでしょう。でも、最後の自分の〆切がいつなのかは誰にもわかりません。それをどう捉えるか、その〆切とどう向き合い、どう生き抜くかは、その人次第と言えます。

今日もさまざまな〆切が私を待ち構えています。迫られながら、睨まれながら、交わしながら、愉しみながら・・・私の日々は続きます。
みなさんの今目の前にある〆切はどんな顔をしているのでしょうか。

脱稿!こんな小さな原稿でも、〆切に間に合った時は嬉しいものです。

(保谷範子)

〆切本』(左右社)

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