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夕学レポート

2017年06月26日

坂井 豊貴氏講演「多数決ではない決め方と、多数決の正しい使い方」

坂井 豊貴
慶應義塾大学経済学部 教授
講演日時:2017年6月23日(金)

多数決は民意を反映しているのか

坂井豊貴

歴史にイフ(if)をつけてみる。もし、アメリカの大統領選に決戦投票があったなら、イスラム国は誕生しなかったのではないか。

慶應義塾大学経済学部教授で、「決め方」の研究者である坂井豊貴先生は、多数決で決める危険性について説明するために、2000年のアメリカ大統領選を例に挙げた。多数決―アメリカ大統領選―イスラム国。そこにはいかなるロジックがあるのか。

2000年アメリカ大統領選。当初は民主党のゴアが、共和党のブッシュに優勢であった。しかし、そこに「第三の候補」である弁護士で活動家のネーダーが参戦してきた。相対的に政策が同じネーダーはゴアの票を食い、ブッシュが逆転勝利した。もし、アメリカに決選投票があったなら、ゴアが勝利していたであろうと坂井先生は言う。ブッシュが大統領になった翌年2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起こり、2003年にはその報復として、イラク戦争へと突入した。その後、フセイン政権は倒れたが、その残党がイスラム国を設立するに至ったということである。

ここで多数決について考えてみる。遡れば幼少期から人が集まって、複数の意見があれば多数決を使ってきた。そして、多数決はあまりにも身近すぎて、この「決め方」が正しいとか正しくないとか疑う機会がなかった。しかし、多数決とは何であろうか。なぜ、人々は多数決が最善の決め方だと思うのか。
先生が仰るには、まず、個人レベルでは、「決め方」は必要ない。それぞれ個人が自分で決めれば良い。今日、私がどこに行って何を食べようが自分の意思のままに行動すればいい。しかし、集団では人の考え方はバラバラであるから、「決め方」が必要になってくる。ただ、「決め方」は多数決だけではない。他の選択肢もあるのだ。そして、どの「決め方」で決めるかで結果は大きく変わる。

例えば、スコアリングルール。1位にA点、2位にB点、3位にC点というふうに、点数をつけていく制度で、サッカーヴァロンドール賞ファイナリスト3名に適用されるボルダルールや、かつてナウル国の選挙に使用されていたダウダールールなどがある。これらを踏まえて、再び、多数決に話を戻してみる。まず、下の表を見ていただきたい。

Xが18人の票を得て1位、Yが12人の票を得て2位であることがわかる。これが多数決で決まるものあれば、Xが当選でめでたしめでたしだ。しかし、決戦投票が行われるとする。Xを支持している18人以外は全員Xが大嫌いで5位に位置付けている。決選投票ではYが逆転勝利だ。詳細は省くが、ボルダリングルールではWが勝利する。つまり、どの「決め方」で決めるかで結果が大きく違ってくるのだ。多くの人は、「多数決は民意を反映している」と考える。しかし、表で確認にしたように、「決め方」によって結果が大きく変わってしまうのだ。ここで以下のような問いが浮かび上がってはこないだろうか。

―多数決に民意などあるのか

話はガラリと変わって『闖入者』。安倍公房の短編小説である。ある日、一人暮らしの男のアパートに、大勢の侵入者が襲来した。彼らは「今から多数決でこの部屋が誰のものか決める」と住人に告げる。結果はもちろん侵入者たちの賛成多数で、「この部屋は侵入者たちのもの」となってしまった。もともとの住人は無論抗議をする。しかし、侵入者はこう放つ。

―多数決は民主主義の原理ではないか

しかし、この『闖入者』を私たちは冗談として笑うことはできないと坂井先生。一旦、2000年のアメリカ大統領選に話を戻す。イラク戦争開始から遡ること1年、2002年の国連安全保障理事会で「大量破壊兵器を持つ疑いのあるイラクに『無条件かつ無制限の、査察協力を求める』」という決議に15か国が満場一致で可決した。その後、先述したようにイスラム国設立、テロの被害による難民の受け入れ、排他主義、自国主義の加速化へとつながり、英国は2016年にEU離脱を決定、アメリカは大統領にトランプを選ぶという事態に発展した。

―多数決は「民意が明るみになるというより、民度が明るみにでる」

「あなたの判断を言い渡すとき、明るみに晒されるのは、あなたの魂なのだ」
法廷を舞台にした戯曲「1月16日の夜に」のセリフを例に挙げ、多数決は「民意を反映しない」と坂井先生は強調された。集団的には民度、個人的には魂が晒されることには大きく頷ける。挙手で多数決をする際、一度手を挙げるような素振りを見せて、誰も手を挙げてなかったら、頭がかゆかったふりをするのなんて、自分の知的水準や教育水準、行動様式の成熟度を皆の前で晒す行為だと認識しているからではないだろうか。

今回の坂井先生のお話しは面白く、そして分かり易く、まだまだ書き足りないのだが、惜しみつつも書き終えなくてはならないので、このあたりで「多数決で決めるのになぜ皆合意してしまうのか」という話に転換する(どうしても書いておきたい)。おそらく、人間の本能ではないかというのが、坂井先生の答えであるが、より重要なのは「多数決を受け入れない人間を育てること」である。学級会で決戦投票を導入したり、先に紹介したボルダルールの存在を知る機会があるならば、人は比較・検討をはじめる。何事も疑問を抱くことが、学問の基礎であり、人生において大事なことであると思うが、「多数決を疑う」とは、感動レベルの領域であり、私の頭の中で今まで信じていたものがガラガラと音をたてて崩れた。

(ほり屋飯盛)


坂井 豊貴(さかい・とよたか)

坂井 豊貴
  • 慶應義塾大学経済学部 教授

1975年生まれ。
ロチェスター大学経済学博士課程修了(Ph.D. in Economics)。
横浜市立大学経営科学系、横浜国立大学経済学部、慶應義塾大学経済学部の准教授を経て、2014年より現職。
「決め方」の研究で多くの国際業績をあげる。2015年義塾賞。

ベストセラー『多数決を疑う』(岩波新書)は2016年新書大賞4位、『決め方の経済学』(ダイヤモンド社)は週刊ダイヤモンド2016年ベスト経済書3位。著書はアジアでの翻訳が続いている。
今年4月に『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書)を公刊。

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