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夕学レポート

2025年05月23日

勅使川原真衣氏講演「能力主義は『良いこと』もしたのか?」

勅使川原 真衣
組織開発コンサルタント、著作家
講演日:2025年5月20日(火)

勅使川原真衣

私はフリーランスのWebデザイナーなので、勅使河原さんの肩書きのひとつである「組織開発コンサルタント」から想像される本講演の聴講対象にはおそらくマッチしない。それでも聴講したいと思ったのは、以前、別の場所で勅使河原さんのお話を聴いたときの余韻が忘れられなかったからだ。自分の中のモヤモヤした不満や疑問が整理されてスッキリした感覚が記憶に残っている。

ところで、「以前」と書いた後できちんと確認したら、それはなんと8年も前のことだった。
2017年5月23日、フリーランスの女性たち(かなり少人数)が集まる場で勅使河原さんと出会い、SNSではつながっていたものの、動く勅使河原さんを見るのはそれ以来だ。

SNSといえば、今でこそ自分の病気のことをプロフィールにも堂々と書いておられるが、病気が見つかったときの衝撃や治療の辛さはいかばかりだったろうと思う。SNSでリアルタイムに発信されているのを目にした当時は、ぎゅっと胸が締めつけられるような気持ちになった。

ただ、そんな状況でも理知的で茶目っ気のあるテキストを投稿する心のタフさや、仕事人としての歩みを止めない姿勢に、だんだんと「あれっ、この人は大丈夫なのかも」と受け止め方が変わっていき、そうこうしているうちにいつの間にか自分より遥か前方を走ってることに気付いてアゼンとした。勅使河原さんは全然「かわいそう」じゃないし「弱者」ではない。本講演でマイクを握ってにこやかに話している姿を見て、あらためてそう思った。

「当たり前」を疑う

本講演で私が受け取ったのは、「『当たり前』とされているものこそ疑え」というメッセージだ。
言われて初めて気付く、「能力」という言葉の定義のなんとあいまいなこと。また、ある集団においては「能力が高い」とされる人が、別の集団では「無能」と一蹴されることもある。移ろいやすく、正体がはっきりしない「能力」というワードを使って「あの人は能力があるからね」などと他人をしたり顔で評価している自分が恥ずかしくなった。

勅使河原さんは、「『能力』ではなく、『持ち味』と捉えられないでしょうか?」と問いかける。
たしかに、「能力」を「持ち味」と言い換えた瞬間に優劣の感覚が消失し、すべてを前向きに肯定できる気はする。ただ、もし同じ職場にかみ合わない人がいたとして、その理由すらも「持ち味」と認められるかどうかと聞かれると、はなはだ自信が無い。

それでも、「能力が無い」という根拠不明な理由で排除される人がいたり、「貰い」が不当に減らされてしまう世界は絶対に間違っている。
だったら、「みんな揃って豊かになることはできない、というのは本当?」と疑うことから始めるしかない。“スーパーな誰か”が凡人たちを引っぱり上げるのではなく、“凸凹を持ったみんな”が組み合わさることで組織としての成長を目指す、というのが勅使河原さんの本業である組織開発の考え方だ。

いてくれてありがとう

勅使河原さんは、「脱・能力主義を実践するのに重要なポイントは、まず『いてくれてありがとう』という姿勢を徹底すること」だと言う。
企業に限らず、学校や家庭などいかなる集団においても、この前提を守りきるのは恐ろしく大変だ。だがその一方で、これしか無いようにも思う。なぜなら、承認しあっていれば互いの存在が怖くなくなるからだ。

「自分は認められている」と信じることができれば、既成概念を疑う言葉を気軽に発することができるようになり、恐れずに試行錯誤に取り組めるようになり、失敗したら素直に「ごめんなさい」を言えるようになる。

講演中、勅使河原さんが「いてくれてありがとう」と口にするたびに、のどがぐっと締まる感じになって涙が出そうになった。「いてくれてありがとう」は、「あなたは能力が高いね」よりもずっとまっすぐ心に沁みる言葉だ。

考えて、発することの大切さ

8年前と同じく、聴講後に誰かと語り合いたくなる、思考の種をたくさんもらえる講演だった。
講演タイトルである「能力主義は『良いこと』もしたのか?」という問いに対しては、ある時期までは良い結果を生んだのだと思う。でも、現在の日本にはフィットしない。「一部の勝者とそれ以外の有象無象」なんて構図、勝者以外は望んでいないだろう。

ひとりひとりが今よりもっと伸び伸びと気持ちよくふるまえる社会を創っていくためには、「そんなもんでしょ」と思考停止せず、覚悟を決めてひと踏ん張りする必要があるのだということに改めて気付かされた。

と同時に、日々のタスクや年齢なりの集中力低下にかまけて、思考を放棄しがちな自分にビシッと喝を入れられた気もする。諦めずに考えること、その過程で生まれた感情やハッキリしない結論を面倒がらずに言語化することこそが、現状を打破するエネルギーになるのだ。
自分自身のためにも、次は8年も空けることなく、近いうちにまた勅使河原さんに会いに行こうと思った。

(千貫りこ)


勅使川原 真衣(てしがわら・まい)

勅使川原真衣
  • 組織開発コンサルタント、著作家

1982年、横浜生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院教育学研究科(教育社会学)修了。教育学修士。ボストンコンサルティンググループ、ヘイグループなど外資コンサルティングファームでの勤務を経て独立。2017年に組織開発を専門とする、「自ず(おのず)」と「自ら(みずから)」の間がいい、おのみず株式会社を設立。企業をはじめ病院、学校などの組織開発を支援する。二児の母。2020年から乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』、『働くということ 「能力主義」を超えて』(新書大賞2025 第5位)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』、編著書に『「これくらいできないと困るのはきみだよ」? 』がある。近著に『学歴社会は誰のため』、『格差の”格”ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版)。論壇誌「Voice」(PHP研究所)、教育専門誌『教職研修』(教育開発研究所)、日経ビジネス電子版にて連載中。

X(旧Twitter):@maigawarateshi

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