夕学レポート
2025年08月28日
熊代 亨氏講演「家畜化する人間 ~精神医学と生物学と社会科学の視点から~」
熊代先生に聴く、自己を家畜にする方法
『丸くなるな、☆星になれ。』というビールのCMがあった。角(つの)を出さず、角(かど)も立てず、「あの人も最近はすっかり丸くなったね」なんて言われる素敵な大人になりましょう…。ではなく、いつまでもどこまでもツンツンとんがった☆星型の人間でいようぜベイべー!という趣旨の呼びかけだったと承知している。☆星は勿論当該ビール会社のアイコンなのでツマブキくんも悪くは言わないわけだが、そんなこと言ったって宇宙に浮かぶ大抵の星は丸いんだけどな、と呟きながら手にした缶の麒麟には立派な角が生えていた。
というどうでもいい話から書き出したのは、熊代亨先生が、動物が家畜化する際の特徴として「角・歯・顎は縮小し、顔は平たくなり、全体に小型化する」という進化生物学上の知見を示してくださったからだ。もっと言えば、家畜化した動物は「性差は縮小、攻撃性は低下、そして集団生活に適応する」とのこと。これってまさに身も心も「丸くなる」ってことじゃないか。大人の階段ならぬ大人のエレベーターを昇るって、やっぱりこういうことなのかベイベー。
と書いていて思い出したのは二年前の夕学講演会だ。ゴリラ研究で有名な山極壽一先生が「野生生物と家畜では生息数が全然違う」というお話をされていた。正確な数字は忘れたが、野生動物であるゴリラが世界に数十万頭しかいないのに対し、家畜である牛や豚は数十億匹、鶏に至っては数百億羽もいて、とにかく桁が4つも5つも違うのだ、ということだった。だとすると生息数において牛豚と鶏の間に位置する我らが人類は、数の上では立派な家畜なんだなあ、と感じ入ったものだった。
数の上では、なんて言い訳じみた仕草で言ってみたのは、家畜ならぬ社畜を任ずる私(畜三十年以上の物件)ですらやはり手放しで人間を「家畜」呼ばわりするのには抵抗があるからだ。何も必要以上に人畜の境に線を引きたいわけではない。進化論ならダーウィンからポケモンまで奉じている。人間なんてちょっとばかり知恵(と盛り)のついた動物に過ぎない。でも、その「ちょっと」がなんだかひっかかる。
家畜、という種名の動物はいない。そこには牛や豚、あるいは犬や猫がいるだけ。しかし彼らが人間との間に特別な関係を結んだ時、その動物は家畜と呼ばれる。人間が何らかの目的(愛でるとか食べるとか、その両方とか)でそれを育てようとしてはじめて家畜はこの世に存在を許される。家畜は、人間との関係において家畜となるのだ。
数万年前にオオカミの種族の一部が人類にとって最初の家畜となったとき、つまり「犬」と呼ばれる動物が誕生するようになってからこの方、家畜を周囲に侍らせることは、自分たちは単なる動物ではないのだ雑魚とは違うのだよ雑魚とは!という心持ちを涵養する作用を人類にもたらしてきたのだろうか。剝き出しの弱肉強食とは次元を異にする垂直の主従関係と水平の交感関係の交点上に新たな関係性を創出することで原初の選民思想を人間に植え付ける契機となった原罪製造装置としての家畜。家畜が人間との関係において家畜になったように、人間もまた家畜との関係において、今あるような「人間」となったのかもしれない。
特権的な地位にある者の最大の恐怖は、その地位を失うことだ。家畜の主人たる人間にとってのそれは、不本意のうちに誰かの家畜の地位に堕ちること。といっても実際には、人類を支配するような動物は有史以来この世に存在したためしがない。にも関わらず人間は、知恵と力を持った猿や巨人や怪獣怪物宇宙人に自分たちが家畜化されるという不安で不快で惨めな世界線を虚構空間の中に繰り返し描いてきた。あるいは「神」という主を措定して人類の救済を約束させることで家畜としての心の平穏を得ようとする行為(つまり信仰)もひょっとしたら人類共通の代償行為なのかもしれない。迷える子羊、みたいなわかりやすい言葉遣いをするかどうかはともかく。
とまあ、こんな凡庸な「家畜と人間」のイメージを抱いて講演に臨んだ私だったが、いきなり熊代先生が「人間は家畜です」とおっしゃったところからコペルニクス的転回が始まった。人間を世界の中心に置く天動説から、人類も家畜の一種に過ぎないと説く地動説へ。しかもその家畜化は「自己家畜化」であり、つまり人間は自ら進んで家畜になったというのだ。なるほどそうだとすると人類が次第に温厚で従順になり社会を形成して集団で生きるようになったのはまさに「自己家畜化」の結果だ、ということですべてすっきり説明できる。
一方で疑問も生じる。人間が家畜であるならば、その主人はいったい誰なのか。
ところで、ここまでの話から熊代先生は生物学者ですかと思われるかもしれないが実はそうではない。講演には『精神医学と生物学と人文社会科学の観点から』という副題が添えられていたが、熊代先生は現役の精神科医で、それでいて生物学と人文社会学にも造詣の深い、稀代の観察者にして著名なブロガーである。診察室の内で患者の精神を診るのと同じその目で診察室の外の現代都市生活者の所業を観じながら、虚偽の繁栄に塗れた安寧を貪る私たちに「王様は家畜だ」と真実の言葉を突き立てる。
ともあれ、私たち人間が自己家畜化に成功した末に現在の繁栄を謳歌していることは間違いないし、熊代先生も人類がこれまで辿ってきた進化の道を否定はしない。ただ、自己家畜化には負の側面もあり、例えばそれは集団の価値観を受け容れずその空気を乱し生産性を低下させるような「困った」個体を次から次へと排除し続ける現代社会のあり方である。その姿を徹底的に見つめなおすこと。社会集団の純化が進めばそれになじめず落伍する者も増える。しかし非適応者に目を向け手を差し伸べようとする適応者は多くない。そのぶん精神科医としての熊代先生の本業はますます忙しくなるのだが、その忙しさの根源を見つめるためにも先生は街に出て、黒縁メガネの向こう側から羊飼いのような目で私たち迷える子羊を観察し、傍らをともに歩みながら、手に持った警鐘を優しく鳴らし続ける。
主人なき自己家畜化に邁進する人類、その先に待ち受けているのはどんな未来だろう。自己浄化を突き詰めた末のほぼ全員疎外社会(ほぼ疎)か、あるいはAI様を主人に戴き自らは思考停止しながらも嬉々として平伏す家畜人たちの危機社会か。わずか百年前は20億足らずだった世界人口が今や80億を超えやがて100億に達しようというのは、個体の意識を超えた集団的無意識が自己家畜化を通じて何かを準備しようとしているからだ、というまことしやかな宇宙的言説に巻かれてみたくもなる今日この頃。
我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか。と、ゴーギャンかましてよかですか?と許可を得る前に引用してしまったが、斯様に我々人類は自身の来し方行く末存在理由について何ら答えを持ち合わせていない。しかしその「持ち合わせていない」ことがヒントになる。先に私が提示した疑問、「人間が家畜なら、その主人は誰か?」という問いへの私なりの答えは、「未来の人間」である。まだ見ぬ子孫のその先の、何世代も後の人間が仕損じないよう、我々は無意識のうちに自ら進んで家畜になって、彼ら「主人」に時間差で仕えているのだ。
地球は大きい宇宙は広い、でも人間が生存可能な環境は驚くほど狭い。都市という稠密空間の構成要素たる無数の家畜の一個体としてそこに自分の居場所を確保するには、周囲の個体と同じサイズの枠に自らの心身を押し込んで、あたかもそれが生来の形であったかのように振舞える能力が求められる。その時、膝を抱えて丸くなるか、手足を広げて☆星型になるか。自己家畜化を遂げた人類の末裔として、少なくとも、自らの在り方を決める能力だけは自己の内に有しておきたいものである。そうじゃないと、ほんとにただの家畜になっちゃうからね。
小顔だ丸顔だ垂れ耳だ、という家畜顔の特徴を「カワイイ(Kawaii)」と名付けてこぞって愛でて今や世界共通の価値観に押し上げることにすら成功しつつある私たち日本人(平たい顔族)は、自己家畜化における世界のフロントランナーかもしれないが、それは、主人なき中でも自らを律して行動できる「考える家畜」だからである。やはり家畜には家畜の流儀があるのだ、てやんでい畜生。
(白澤健志)
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熊代 亨(くましろ・とおる)
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- 精神科医、作家
1975年生まれ、精神科医。信州大学医学部卒業。ブログ『シロクマの屑籠』にて現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信し続けている。通称“シロクマ先生”。
著書に『ロスジェネ心理学』『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』『「若作りうつ」社会』『認められたい』『「若者」をやめて、「大人」を始める』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』『何者かになりたい』『「推し」で心はみたされる?』『人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 』など。
ブログ『シロクマの屑籠』:https://p-shirokuma.hatenadiary.com/
X(旧Twitter):@twit_shirokuma
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