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夕学レポート

2025年11月28日

神成 淳司氏講演「国内農業の現状と今後」

神成 淳司
慶應義塾大学環境情報学部 教授
講演日:2025年11月20日(木)

試しつつ

神成敦司氏の専門が人材育成だと講演冒頭で知った。この観点から見ると同氏の取り組みの本質がつかみやすくなる。講演で何度も言われた「暗黙知を形式知に」も野中郁次郎氏の提唱した知識創造理論である。熟練者が無意識に気づき行っている暗黙知(熟練知)を他者も習得できるような形式知にして共有をしていく。それを農業分野で実践している事例として捉えるとわかりやすくなる。同時に単なるスマート農業や植物工場を目指しているのではないことも理解できる。神成氏の著書の題名『AI農業』にしても「Artificial Intelligence(人工知能)」ではなく「Agri-InfoScience(農業情報科学)」だ。

人間が何らかの行動をとる時の行為は、1.状況把握(農場や作物の状態を見てわずかな変化に気づくこと)、2.判断(気づいた変化に応じた判断を行う、言語化が難しい)、3.作業の3つである。この2.判断こそ熟練者が身に付けた暗黙知であって非熟練者との差を分ける点だ。判断と作業を分けた例として、農場主が判断を行い、作業は出稼ぎ労働者に任せたのがイスラエルで同国の食糧自給率90%だ。そして「『判断』を学ばせた」事例が「きゅうりの神様」の暗黙知を学ばせ30代の農家が増えた佐賀県、ヴァーチャル・リアリティを使用したリンゴの剪定学習を実施する青森県など面白い事例が紹介された。

農業という特殊な業種のため1~3のイメージを思い浮かべるのが難しければ、会社勤務の例で考えてみよう。

  1. 状況把握:顧客なり上司のわずかな表情やコメントで事態の急変化をあなたは察する。
  2. 判断:あなたはいかに波風を立てずに対応するかを考えて可能な対応策を決定する。
  3. 作業:対応策をただちに実行する。

あなたがベテラン社員であれば無意識のうちに1~3の行動をしているはずだが、新人にはこれができない。特に神成氏も指摘するように2「判断」には広範な知識や能力が必要だ。事態の急変化にさりげなく対応しているあなたの熟練知(暗黙知)を新人はまるで理解せず、問題の発生から解決まで全く気づかないままかもしれない。

このような「水やり10年」で身に付くような熟練知は、農業分野では家族経営だからこそ成立していたと神成氏は指摘する。これは当たり前だけれども大変重要な認識だ。家族内に農業デビューの若者がいてもベテランの両親や祖父母が支えることができて経営も成り立っていた。異業種でも「終身雇用制」と言い換えれば理解できる。しかし現在では状況が大きく変化している。家族以外での農業参入者、そして現在の熟練者(農業従事者の平均年齢は69歳)の引退による知の連鎖の途絶がそれである。

そこで「知のデータベースと活用」の必要性が浮上する。だからこそ単なるスマート農業や植物工場ではないのだ。神成氏はそのデータ基盤としてWAGRI(農業データ連携基盤)を紹介した。ここには過去の収穫、市況、土壌、農地、気象、生産予測など様々なデータが集約・統合されている。コモディティ化できる様々なデータを集めて相互運用を実現した。こうした様々なデータをフルに有効活用することで、これまで達成できなかった知の共有が実現される。収められた数々のデータはベンダーやメーカーが個々に所有していて連携はどこも渋っていた。苦労して収集したデータを簡単には出せないというのはどこも本音で、講演ではさらりと言及されていたものの、これもまた大変な苦労であったに違いない。それ以上に何が必要なデータかを把握するだけでも相当大変だったはずだ。前述のように神成氏の専門は人材育成であり農業ではない。その氏が農家の人達から相手にしてもらえるまでのお話も興味深く伺った。

神成氏がAI農業を実践した過程そのものが野中郁次郎氏の提唱したSECIモデルそのもののようだ。

「共同化」(socialization):

歩き回りによる暗黙知の獲得と蓄積(どのようなデータが暗黙知なのかを農家から聞き取りや様々な方法で獲得する)

「表出化」(externalization):

  • 自己内の暗黙知の表出
  • 暗黙知から形式知への置換・翻訳(暗黙知を理解しやすい形に「翻訳」するプロセス=獲得した各データを利用しやすい形に整理・統合する)

「表出化」(externalization):

  • 自己内の暗黙知の表出
  • 暗黙知から形式知への置換・翻訳(暗黙知を理解しやすい形に「翻訳」するプロセス=獲得した各データを利用しやすい形に整理・統合する)

「連結化」(combination):

  • 新しい形式の獲得と統合(=WAGRIの構築)
  • 形式知の伝達・普及
  • 形式知の編集

「内面化」(internalization):

  • 経験を通じた形式知の体化
  • シミュレーションや実験による形式知の体化:仮想的な状態の中で、新しい戦略やコンセプトを実験的に体験・学習するプロセス(=WAGRIの活用など)

(※野中郁次郎「知識創造理論の現状と展望」『組織科学』1996年29巻4号p.82を基に作成)

言うまでもなく、令和の米騒動によって日本の農業に不安を感じた人は数多いる。米価の急激な値上がりと高齢化する農業についての報道は消費者に大きな不安を感じさせた。一方で様々な企業が農業に進出している報道も多々目にする。大企業の異業種参入や、ジャム会社がより良い製品を追求する中で農業に進出した等の例である。農業の大規模化はそれなりに見据えていかなければならないという。では人材確保はどうするか。ユニークな実践例が紹介された。

神成氏は自衛隊の55歳定年問題に目をつけた。「体力・免許持ち・言われたことをやる」の農業に最適な人材が55歳で大量に退職する自衛隊。一方農業では従事者の平均年齢が69歳なのでまだまだ働ける。自衛隊に声がけしたところ北海道以外は「考えもしなかった」との反応があったそうだ。大量の人材確保(?)の見込みもでき、言いことづくめのようだが難しい問題はもちろんある。データを「財産」として認識している地域でも現場で問題が生じていて勉強会などでリテラシー教育の必要があるとの見解が示された。

同様にデータの知的財産保護の観点のためか実際のデータの画像などは(リンゴ剪定クイズ画像など一部を除き)あまり紹介されず、いまひとつ現場での活用の姿が想像しにくい点もある。しかし、何よりも膨大な量のデータ連携基盤を構築して活用にまで広げたというのは素晴らしく、講演を聞いていて引き込まれた。データ活用にしてもまだ活かし切れていないものは多々あるはずだ。それでも一つ一つ試しつつ、結果もまたデータにして進化させたら農業だけでなく他の分野でも新たな知を共に創れるに違いない。

(太田美行)


神成 淳司(しんじょう・あつし)

神成 淳司
  • 慶應義塾大学環境情報学部 教授

 

1996年 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程終了
2004年 岐阜大学工学研究科博士後期課程修了。 博士(工学)。
1996~2007年 IAMAS(国際情報科学芸術アカデミー)着任 この間、岐阜県情報技術顧問等も務める。
2007年 慶應義塾大学着任。2017年より 環境情報学部 教授(現職)
2011年 内閣官房着任(併任)。2022年より、イノベーション戦略調整官/健康医療戦略室次長(併任、現職) この間、番号制度推進補佐官、IT総合戦略室長代理(副政府CIO)等も務める。
2014年 (国研)理化学研究所 客員主幹研究員(併任、現職)
2017年 (一財)AOI機構 統括プロデューサー(併任、現職)
2018~2022年 (国研)農業・食品産業技術総合研究機構 農業情報連携統括監
<専門>
農業情報科学、フードサイエンス、サービスサイエンス、情報政策
<主な研究成果(農業分野)>
熟練農家の技能継承ソリューション:静岡県(イチゴ,ミカン)、佐賀県(きゅうり)、石川県(ぶどう)、青森県弘前市(りんご) 
スマート農業の基盤:農業データ連携基盤(WAGRI)、スマートフードチェーンプラットフォーム(ukabis)、他

神成淳司 研究室 http://kaminari-lab.com/

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