KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ピックアップレポート

2026年01月13日

平藤 喜久子著『宗教のきほん 人間にとって神話とは何か』

平藤 喜久子
國學院大學神道文化学部教授


宗教のきほん 人間にとって神話とは何か

はじめに

 最初に、一枚の絵を見ていただきたいと思います。フランスの画家ポール・ゴーギャンが描いた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(一八九七〜九八年)という作品です。
 この絵には、画面の右から左に向かって、人間の誕生、成熟、死が描かれています。また、さまざまな人物や自然、生きもの、像などが象徴的に配置され、そのタイトルの意味するところを見る者に深く問いかける作品になっています。
 この絵のテーマである「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という問いは、実は、神話が語っていることそのものだと言うことができます。
 私たちは、自分の生年月日、つまり自分がいつ生まれたのかということを、また自分が誰と誰のあいだに生まれてきたか、ということを知っている─知っているのを当然のように思っています。しかし、突然、それらがまったく根拠のないことで、真実は誰にもわからない─そんなことを明らかにされたとしたら、どうでしょうか。もちろん、だからといっていまここにいる自分という存在がなくなるわけではありませんが、自分の「ルーツ」となるものがすっかり失われてしまったということに対して、根源的な不安を感じるのではないかと思います。
 自分はどこから来たのか。自分は何者なのか。そしてどのように生き、死後はどうなるのか─。これは人間にとって普遍的な問いです。そして人は、自分ひとりのことにとどまらず、人類全体について、また私たちが生きるこの世界や、祖先から受け継がれてきた文化などについても、それがどこから来たのか、どこへ行くのかを知らずにはいられません。
 こうした問いへの答えを、「神」という人間を超えた存在を主人公にして物語ることを通して、探究してきたもの。それが神話です。文字を持つ持たないにかかわらず、神話を伝えなかった民族や文化は、世界中のどこにもないと言われています。神話は単なる物語を超えている。神話とは、人間が人間である以上、必要とするものだと言えるでしょう。
 では、そのようにして生み出され、語られ、残されてきた神話から、現在に生きる私たちは、何を知ることができるのでしょうか。先ほど述べたように、神話とは、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という問いに、世界各地の民族や文化が、さまざまな物語を紡ぐことで答えてきたものです。そのような多彩な神話を「比較」しながら見ていくことで、この問いに答えようとしたのはどんな人たちだったのか、彼らが生きた時代はどのような時代だったのか、どのような文化的背景に基づいてその問いに答えようとしたのか─が見えてくるでしょう。同時に、その多様な営みのなかに、同じ人間としての共通点、すなわち人類の普遍的な思考のようなものが見出せるかもしれません。
 また、十九世紀末にゴーギャンが描いたこの絵がいまなお私たちの心をとらえることからもわかるように、この問いは、現代でも問われ続けているものだと言えます。そうであるならば、神話は、ただ過去を知り学ぶためのものではなく、現代という時代や社会について考えるときにも、私たちに示唆を与えてくれるのではないか─。そんな可能性も見えてきます。
 神話は、そうした普遍性とともに、それぞれの地域や文化に深く根差すと思われるような要素も色濃く持っています。日本には日本固有の神話があり、それを知ることは、日本という国や文化、そして日本人について理解を深めることにつながります。古代に語られたもの、それらをもとに改めて表現(再話)されたもの、文学(言葉)だけでなく絵画や彫像などで表されたもの─。それらを、他の地域や文化の神話と比べることで、日本人がこの問いにどう答えてきたのかを、より多角的に知ることができるでしょう。

第4章 神話から何が学べるのか

 神話でしばしば語られる「妻を亡くした男の物語」について見ていきましょう。
 愛する妻を失った夫が、妻を連れ戻そうと死者の世界(黄泉の国)へ行く。しかし、そこで課せられた禁を犯してしまったために、連れ戻すことに失敗する。そして夫は一人でもといた世界に戻らなければならなくなり、二人は永遠に別れることになる─。
 本書を読んできた方であれば、これが日本神話のイザナキの物語であるとすぐにわかると思います。同時に、これはギリシャ神話の「オルフェウスの物語」としても広く知られているエピソードです。竪琴弾きの楽人オルフェウスは、毒蛇に咬まれるという不慮の事故で死んだ妻エウリュディケを連れ戻そうと、イザナキと同じように冥界に行き、「地上に戻るまで後ろを振り向いてはならない」という禁を犯したために永遠に妻を失います。
 オルフェウス神話とイザナキの神話は非常によく似ており、ほとんど同じプロットで構成されていると言ってもよいものです。この「妻を亡くした男の物語」のパターンを持つ神話は、世界中に数多く存在することが知られており、神話学では「オルフェウス型の神話」と呼ばれています。
 十九世紀後半、日本の神話が海外に知られるようになります。イギリスの人類学者エドワード・タイラー(一八三二〜一九一七)は、一八七六年に王立人類学研究所の講演会で、日本神話についての研究を発表します。そのなかで彼は、日本神話のイザナキの物語が、ニュージーランドに伝わる「タネとヒネの神話」─妻であるヒネが亡くなり、夫であるタネが死者の世界に彼女を連れ戻しに行く、という物語─と似ていることを指摘しました。ちなみにこの研究は、海外における最初の本格的な日本神話論です。
 なぜ、遠く離れた地域に、非常によく似た神話が存在するのか。これは神話学における大きな謎の一つです。
 偶然、似た物語ができた─。遠く離れた場所に住む人たちが、たまたま同じようなことを発想した、というのはあり得ないことではないと思います。ただ、それは実証的に、学問として証明することは難しい仮説です。そこで、私たちは別の可能性について検討したいと思います。
 現実的に考えられることの一つは、「ある地域からある地域にその物語が伝わった」というものです。ニュージーランドと日本の神話が似ている場合、日本からニュージーランドに、あるいはニュージーランドから日本に、または共通の源から両地域に、その神話が「伝播」した、とする考え方です。
 もう一つの可能性は、心の存在、より具体的には「無意識」の存在です。人間の心のなかには、地域や民族を問わず共通して存在する部分があるのではないか。二十世紀になって、それは無意識というものとして理解されるようになりました。その無意識こそが離れたところにも共通する物語を生み出すのだ、という考え方です。

 神話は、実にさまざまなことを考えるきっかけを私たちに与えてくれます。神話の伝播の議論で見たように、たとえばそれは、文化の来歴について問いかけてきます。日本人は、そして日本の文化はどのようにして成り立っていったのか。神話はそれを考える手がかりになります。
 また、人間の心がどのようなものであるかということも、神話を通して考えることができます。フロイトやユングが考えたように、神話は人間一般の普遍的な心を知る手がかりとなり、また私たち自身の心を見つめ直すきっかけにもなります。
 二十世紀は「心の時代」であると述べましたが、二十一世紀は「脳の時代」と言われます。心理学だけでなく、脳科学的なアプローチからも心の研究が進んでいますが、その成果は神話の解釈にどう関わるのか。逆に、神話が脳科学の発展にどんなヒントを与え得るのか。そんな可能性も広がっていくかもしれません。


人間にとって神話とは何か』(2025年、NHK出版)の「はじめに」と「第4章」より著者と出版社の許可を得て抜粋・編集しました。無断転載を禁じます。

本書は、慶應丸の内シティキャンパスのagora講座「平藤喜久子さんにきく始原【世界の神話と日本の神】」(2022年10月〜2023年3月)、「平藤喜久子さんと【見て、立って、 感じる日本の神話と神々】」(2023年10月〜2024年2月)でお話ししたことを中心にしつつ、新たに内容を加え、まとめたものです。


平藤喜久子

平藤 喜久子(ひらふじ・きくこ)

國學院大學神道文化学部 教授

学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程日本語日本文学専攻修了。博士(日本語日本文学)。専門宗教文化士。専門は神話学、宗教学。
日本神話を中心に他地域の神話との比較研究を行う。また、日本の神話、神々が研究やアートの分野でどのように取り扱われてきたのか、というテーマに取り組んでいる。日本や海外の学生のために、日本の宗教文化を学ぶための教材を作るプロジェクトにも携わっている。

◎agora講座◎
平藤喜久子さんとめぐる【神話が生み出したもの】(2024年10月~2025年3月)
※今後の開催情報をご希望の方は、資料請求(ダウンロード)フォームの【記入欄】に「講座(講師)名」と「開催予定希望」をご記入・送信ください。

メルマガ
登録

メルマガ
登録