KEIO MCC

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夕学レポート

2026年09月09日

池坊 専宗氏講演「花と世界を、まなざしがつなぐ。」

池坊 専宗
華道家・写真家
講演日:2026年7月22日(水)

その夜、専宗さんが最初に手に取られたのは、栗でした。
季節は夏。
まだ青い栗と、その枝葉。
パチン。
鋏を入れる音が会場に響きます。
切り口を整えられた栗の枝が、鈍色の銅器に立てられます。
「今の時期の栗は柔らかいんです。ふわっとしている。食べられないけど、かわいらしい表情をしている」
鋏の金属音と対照的な、温もりある専宗さんの声が、会場を包みます。

『花と世界を、まなざしがつなぐ。』
そのような演題が掲げられた、講演会ではありますが、やはり専宗さんですので、花を生けられます。生けながら、専宗さんは、語られます。

「『生け花』というけれど、花だけを見ているわけではありません。植物は、こういう実とか、葉っぱ、節、幹。それらが一体となって、器が象徴する大地に根を張って生きている。その中で、花は、おもてにあらわれた一点に過ぎません」

そう言いながら専宗さんは、次に、かるかや(刈萱)を手にされました。
「雑草です。青々しい。暑い夏に、私たちの心を冷やしてくれます」

続いて、なつはぜ(夏櫨)。
「この定番の花木も、生産者が減り、貴重な枝になりつつあります。実を触ってみると、ざらざらしている。この手触り感がいい」

かずら(葛・蔓)を、器の根元から入れていきます。
「ここまで、まだ花を入れていませんよね。生け花というのは葉っぱが大事なんです。植物は皆、葉緑素の緑で陽の光を浴び、水を吸い、風を受け、命を蓄えて生きています。華道は葉道なんです」

そしてようやく花の出番です。まずは、しゅうかいどう(秋海棠)。 
「ベゴニアの仲間です。大ぶりの、包み込むような葉っぱが、古来、人々の心を癒してきました。花の紅と、葉っぱの緑。反対色が互いを生かしています」 

次に、ききょう(桔梗)。
「夏の夜空を思わせる濃紺の花。夏らしい花ですね」

最後に、しゃが(著莪)を入れ、全体を整えたのち、器に水を満々と湛えてから、専宗さんはおっしゃいました。
「こうしてここに、日本や世界の各地から、いろんな植物が集まりました。どんなものでもよかった、というわけではありません。この一本の、曲がり。この、一本の、歪み。それぞれに何か惹きつけるものを持つ、かけがえのない一本たちが、この大地に集約されています」

「生け花には、たくさんの『異』が共生しています。背の高いもの、低いもの。青々したもの、枯れ行くもの。それぞれの個性を、どう受け止め、どう調和させるか。それが華道の難しさであり、醍醐味です」

その、華道は、どのように始まったのか。あらためて専宗さんの説明を伺います。

「六世紀、仏教の伝来とともに、仏さまに花を供える風習が始まりました。仏を通じ、暮らしの中に花が入り込むようになったのです。ただそれは、まだ、花と直接に向き合う関係ではありませんでした。花を見つめ、自分がどう感じるか、という心の時代に至るのはずっと後のことです」

「十五世紀、室町時代、応仁の乱が起こりました。絶え間なく続く戦に、京の都は荒れ果てました。その頃、京の中心、池のほとりの六角堂に、花を生けるお坊さんがいました。その、池坊の花には、どこかしら人々を魅きつけるものがありました。やがて人々は、池坊のもとに、その花のもとに集まるようになりました」

「身分を問わず、誰もが死の恐怖にさらされる戦乱の日々の中。池坊は、祈りと共に花を供えました。暑さに枯れるか、戦火に焼けるか、やがて命の尽きる花。その花に触れることで、池坊もまた、自身の心の平穏を保っていたのでしょう。そして人々は、池坊の生ける花に自らの儚い命を重ね、癒しを求めました。一対一で花と向き合う、華道の道はそこから始まったのです」

「それから六百年弱。時代の変化に呼応し、生け方が変わることはあっても、花を生けるという行為そのものは脈々と受け継がれてきました」

生け花という、刹那の営為に秘められた、幾重もの世代を透過する力。
その永い歴史と、短い花の命が、今、この指先で交錯します。
命ある花を生ける、ということは、時間を生ける、ということでもあるのです。

「生け花は、一輪の花を一瞬愛でる、というものではありません。いのちが生まれ、栄え、衰え、また生まれる。そのような時間の円環を味わうものです。実が成る、熟する。そこには時間の流れがある。この葉も、よく見ると虫食いがある。茶色いシミがある。そこに命が感じられます。虫食いや、皮一枚つながっているところ、このナツハゼのプラプラしているところとか、花屋さんなら絶対に切り落とすでしょう。そこを、敢えて残して、大事に生けました」

喋ることのない葉と花に代わって、専宗さんは語り続けます。

「生け花は、自分の心を表白するものであると同時に、命を扱うものです。植物は呼吸をして水を吸い上げています。葉に触れれば潤いや冷たさが感じられます。この花も、葉も、命あるものとして尊重されなくてはなりません。それがすなわち、自分自身を尊重することにつながる。そうして生けた花は、もう自分一人の花ではありません。個として生けた個の花は、より多くの人の心に届く花になるのです」

花と向きあい、命と向きあう。そのことが現代において持つ意味を、専宗さんは考えます。

「人類の文明は加速度的に進化しています。でも、人の心はそれに追いついていない。世界中で起こり続ける絶え間ない戦禍、気候変動と異常気象、そしてAIの台頭。令和の世は人間の実存を脅かす出来事に溢れています。それは思いがけず、室町の世に回帰しているような趣すらあります。そのような時代に、人々の拠り所となるのは何でしょうか」

「それは、身体とその感覚です。手触りを感じる、実感を楽しむ。それは人間にしかできないことです。葉の一枚一枚、幹の一つ一つ、そして水の冷たさを感じること。まなざしと指先を通じて、今ここに自分が存在することを確かめる。そのような実り豊かな時間を過ごすことの価値は、今後ますます高まっていくでしょう。行き過ぎた変化には、いつか必ず揺り戻しが来る。だからこそ生け花は、その原点、出発点を見失ってはならないのです」

専宗さんのお話が終わりました。
会場では、専宗さんが生けた花を、皆さんが味わっておられます。
葉と葉との、花と花との、一期一会。
それを見る、人と花との、一期一会。
かけがえのない命の出会いを目に焼き付けて、三々五々、家路に着きました。

あれからひと月。
あの夜、美しい立ち姿を見せてくれた花たちの命は、疾うに尽きたことでしょう。
あるいはその一部は、専宗さんのお撮りになられた写真の中に存するのかもしれません。

写真は、現実を切り取るもの。
でも、専宗さんの写真には、金属質の裁断音は聞こえてきません。
そこには、まなざした世界が、そのまま封じ込められているようです。

あの日の花を優しく包み、まだ見ぬ誰かに届けるために、種を宿した光の画。
いつか誰かのまなざしに、種から芽を出し葉を広げ、新たな花を咲かせていく。

まなざしで、花と世界をつなぐこと。
人は、その営為を、これまでも、これからも、ずっと続けていくのでしょう。

悠久の時の流れに思いを馳せながら、
古今の歌人俳人が詩歌に託したまなざしを借りて、あの日の花を編んでみました。

秋風の吹けども青し栗の毬 松尾芭蕉

朝夕の道辺に生ふるかるかやの穂に吹く風のすでに秋めく 美智子

ゝゝ(ちょんちょん)と夏櫨紅葉したりけり 高澤良一

神奈備の御室の山の葛かづら裏吹き返す秋は来にけり 大伴家持

秋かけて夏はやくより咲きつぐや秋海棠のうすべにの色 窪田章一郎

摘みきたる桔梗いちりん手向くれば墓碑のおもてのかすか明るむ 桑原正紀

紫の斑の仏めく著莪の花 高浜虚子

残暑は続きます。ご自愛ください。

(白澤健志)


池坊 専宗(いけのぼう・せんしゅう)

池坊 専宗
  • 華道家・写真家

華道家元池坊に生まれる。慶應大学理工学部入学後、東京大学法学部入学。東京大学卒業時に成績優秀として「卓越」を受賞。名もなき花を生け、日常の一瞬間を写真として描く。
JR京都伊勢丹にて祈りの展示「MOVING」、日本橋三越本店にて写真展「一粒の砂 記憶 ひかり」を行う。EXPO2025 大阪・関西万博における落合陽一氏プロデュースのパビリオン「null²」の茶室に、184日間の移ろう花を生ける。
池坊青年部代表、花の甲子園審査員、東京国立博物館アンバサダー、京都市未来共創チームメンバー、2024-26年度 KYOTO CRAFTS and DESIGN COMPETITION審査員、京都文化芸術都市創生審議会・政策部会委員、京都市生涯学習振興財団評議員、令和7年度京都市芸術新人賞受賞。
京都の66の伝統工芸と職人を描いた写真集『よい使い手 よい作り手』刊行。
講座「いけばなの補助線」や文筆、講演、インスタレーションなど様々なかたちで、日常の美しさと交わることを伝え続けている。信条は「光を感じ、草木の命をまなざすこと」。

NHK Eテレ『心おどる 花のある暮らし』講師
ラジオ日本「池坊専宗の団子より花」パーソナリティ

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