KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2018年06月12日

「解釈」の「習慣づけ」による幸せ 茂木健一郎さん前野隆司さん

モギphoto_instructor_916.jpgマエノphoto_instructor_917.jpg
今回の夕学は、脳科学者の茂木健一郎氏と慶應大学大学院の前野隆司教授のお二人が講師。会場は満員となった。
はじめに前野教授が話し、続いて茂木氏が話し、そのあとにお二人の対談が行われた。それぞれに興味深い話が盛りだくさんで、どこを切り取っても面白かった。
お二人の話の中で特に印象に残った話題を紹介したい。

「運」について

会場から「運の良し悪しと脳科学との関係は?」という質問があり、それに対して茂木氏はこう答えた。
「運とは『解釈』であり、いってみれば『幻想』だ。すべては確率で動いているのだが、それに対し『自分は強運だ』とか『自分は運が悪い』という間違った解釈をしているということだ。ただし、自分には運があると信じている人のほうが行動が積極的だということはわかっている。運が良いと信じている人だけがとれる行動がある」。
この話を聞きながら何人かの顔が頭に浮かんだ。あの人は運が良いなあとか、あの人はなんとなくツキがない感じがするなあ、というようなことだ。
今こうしてパソコンに向かい、もう一度考えてみる。運が良さそうな人の共通項ってなんだろう?こんなことを考えるのは初めてのことだ。
私が思い浮かんだのは、①考えてから行動するまでの時間が短い人。「早いね!もうやったんだ」というコメントをそれらの人々を相手に何度も言った気がする。②長続きする人。「まだ続けてたんだ!」というコメントも何度も言った気がする。しかもやっている様子が楽しそうだったりする。③基本的に明るい。思い浮かぶ表情が笑顔。
・・・まだまだ他にもある気がするけれど、こんなところが真っ先に思い浮かぶ要素だ。こうして改めて考えると、これらの人は行動している数の「分母(行動そのものの数)」が多い。パッと始めてみて、そのうちのいくつかは長く続ける。すべてが確率で起こるのならば、分母が多いほうが成功する数(=分子)が多くなるわけだ。
運の良さというのは本来なら「確率の良さ」を言うのだろうが、私たちが何気なく感じている運の良さは、実は「分子の多さ」のことかもしれないと思い当たった。分母が増えれば分子が増える。つまり行動が増えれば成功数が増える。成功が増えると「自分は運が良い」と感じ、また行動が増える。するとまた成功が増える・・・という「強運スパイラル」が存在するのかも?これは、茂木氏のいう「積極性」にも通じる。
信じるのは自由なのだから「自分は運が良い人間だ」と信じてみてはどうだろう。自分でも気づかぬうちに行動が変わるかもしれない。明日から何かが変わるかもしれない。
かくいう私は自分のことを比較的運の強い人間だと思っているのだが、叶うことならさらに運を上げていきたいと素直に思う。実際は「すべては確率に過ぎないのだ」と言われてもなおそう思うのだから、不思議と言うか、欲深いというか。

「幸せ」を実感するには?

前野教授によると、近年「幸福」の研究が世界的に急増しているとのこと。幸せを実感する方法というのも具体的に開発されているそうだ。その方法とは、「今日起こった良いことを3つ思い出す」「寝る前に3つの感謝をする」などなど。
これらの方法を聞いていても実はあまり新鮮ではなく、どこかで聞いたような話だな…と感じてしまった。女性誌なんかによく載っているネタと同じなのだ。「毎日感謝しましょう」「ポジティブな言葉をたくさん使いましょう」的なアレだよね、と。
なぜだか私はこれらを斜に見てしまう悪癖(だろうか?)がある。日ごろから感謝すべき相手には感謝の言葉を口にしているつもりだし、起きたことを起きたままに受け止めることが普通の、というかあるべき心の持ちようだと思っていて、ことさらに「良いことを思い出そう」「眠る前にポジティブな言葉を言おう」とかいうのは、透明な世界をピンク色のフィルターを通して見るかのような薄い気持ち悪さを感じてしまう。
しかし、である。女性誌ではなく前野教授に言われると、きちんとした裏付けがあるに違いない、実証のデータがあるに違いない、それならやってみてもいいかと思ってしまった。現金なものだと自分でも思うのだが。
同じように過ごした一日でも、そのまま寝てしまうのと、今日起きた良いことを思い出してから寝るのとで幸福度が変わるというのなら、ものの数分で済んでしまうこと、早速やってみて損はない。
これらはつまり、物事をポジティブに解釈していく習慣づけなのだろう。悪いことばかりを印象に留めてしまうクセを、良いことをより強く印象づけていくように転換していく。考え方、解釈の仕方も、習慣づけにより変化するのだ。

「不幸」と「幸せ」の関係

会場から「『渦中にいるときはすごく不幸だと思ったけど、過ぎてみたら実はとても幸せだった』」ということが時々ある。これはどういうことか?という質問が出た。
これに対する茂木氏の答えは、「感情のネガティブとポジティブは、回路がちょっと変わることで逆転する。マイナスの経験は『ポジティブの貯金』をしていると考えると良い」と言われた。
これもまた、起きた事実は同じでも、その後の解釈のしようでその価値はガラリと変わるということだ。マイナスの経験はポジティブの貯金だなんて、なんといい言葉を言ってくださるのだろう。そして先述の前野教授の話と合わせると、普段からの習慣づけにより渦中にあってもその価値の転換は測ることができるのかもしれないとも感じた。
今回の講演は、バリバリの理系のお二人が「幸せ」について語るところが極めてユニークだった。「幸せになるには?」といったテーマは、学問では心理学とか哲学とかの領域の人々により語られるものだとばかり思っていた。また巷では「スピリチュアル」といわれるようなところで語られてもいて、なんとなく実体がないような感じがして、私はどちらかというと苦手意識すら持っていた。
今回はちょっと様相が違った。なんといっても二人の科学者なのである。
世界中で研究が進んでいるという「幸福学」。恐らくこれは学際的なテーマなのだろう。幸せになりたくない人はいない。誰だって幸せになりたい。真面目なテーマとして今後も研究が進み、その成果を世間に知らしめてほしいと思う。
同じ事実を目の前にしても、幸せになれる人となれない人がいる。解釈と習慣づけが両者を分けるキーワードだと私は理解した。どうせなら、皆で幸せになろうではないか!
(松田慶子)

メルマガ
登録

メルマガ
登録