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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2012年07月06日

“徳”とリーダーシップ

また今年も各社の『次世代リーダー研修』がスタートする時期になりました。
先日も某大手メーカーの次世代リーダー約40名が集まり、その創業の地で第1回のセッションが行われました。
まず全体のコーディネーター&ファシリテーターである私が研修の意義、そして全体の構成と流れを説明した後、担当講師によるリベラルアーツの第1セッションが行われました。
福沢諭吉にソクラテス、そして内村鑑三の『代表的日本人』に描かれた様々な偉人達の生き様を通して、リーダーとしての哲学について語り合い、学びます。
その中から、「リーダーには徳が必要だ」という議論が出てきました。
オブザーブしていた私もそれに頷きながら、しかし同時に疑問も抱いたのです。
そもそも”徳”とは何だろう?
そしてなぜそれがリーダーに必要なのだろう?

“徳”を広辞苑で引くと、「道を悟った立派な行為」「良い行いをする性格」「身についた品性」「人を感化する人格の力」などと説明されています。
これでもなんとなく理解は出来るのですが、どうもまだモヤモヤする。
なので以前もこのブログで紹介した「類義語との違いで明確に定義する」という手法を使ってみましょう。
“徳”のままだと抽象度が高いので、ここでは”道徳”、そしてその類義語である”倫理”を相対化して考えてみます。
さて、”道徳”とは『徳の道』、そして”倫”にも「みち」の意味がありますから、”倫理”とは『理(ことわり)の道』と言うことが出来ます。どちらも『人にとって大事な守る(進む)べき道』という点は共通のようです。
しかし、同時に”倫理”には”道徳”とは異なり、理屈(ロジック)が存在することがわかります。
つまり倫理とは、「こういう理由があるからこうしなさい(こうしてはいけない)」と理屈が明確にあるもの、と言えます。ここから両者を
道徳:私たちを心で納得させ、正しい道に導くもの
倫理:私たちを頭で納得させ、正しい道に導くもの
と定義することができます。
実は広辞苑で”倫理”を引くと「道徳の規範となる原理」と載っていますから、やはり倫理の方がロジカルなわけですね。
また、そう考えるとその成立のプロセスから
道徳:長い歴史を通して自然かつ徐々に形成された人としての道
倫理:誰か(多くは為政者)が明確な意図を持って作った人としての道
とも定義できるのではないでしょうか。
たとえば『相手の立場で考える』は道徳、『コンプライアンス』は倫理、のように。
実際『企業倫理』や『職業倫理』という言葉はあっても、『企業道徳』や『職業道徳』という言葉は聞いたことがありません。
どうでしょう。
なんとなく、”徳”というものが理解できてきたような気がしませんか?(笑)
しかし「なんとなく」で納得せず、もう少し考えてみましょう。
倫理が道徳の原理であり、また頭で私たちを納得させるものだと考えると、ヒエラルキーとしては”道徳”の方がより上位に位置付くと考えられます。そこから
道徳:私たちに「どの道を進むのが正しいのか」を指し示すもの
倫理:私たちに「どうしたら正しい道を進むことが出来るのか」を指し示すもの
とも言えるのではないでしょうか。
別の表現をすれば、
道徳:”what”あるいは”which”を私たちに示すもの
倫理:”how”を私たちに示すもの
ということです。
ここで私はドラッカーの言葉を思い出しました。
「リーダーシップとは『正しいことをやる』ことで、マネジメントは『正しくやる』ことだ」
ようやく雲が晴れてきたようです。
そう、まさに

道徳:リーダーに必要な、人・組織の正しい道を指し示すための精神的よりどころ
倫理:マネージャーに必要な、人・組織の正しい道をどうしたら進めるかを指し示す理論的よりどころ

であり、研修の参加者や私が感じた「リーダーには徳が必要」は正しかったのです。
では、どのようにすればその徳が身につくのか。
これは簡単なことではありません。が、そのひとつの道として確かなのが、やはり「先人達の生き様を知る」ことでしょう。
また、道徳の宝庫である宗教、そして哲学について学ぶことも近道のひとつでしょう。
その意味でも、リーダーにとってリベラルアーツを学ぶ意義はとても大きいのです。
あなたもまだ間に合います。

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