KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2014年08月31日

「恋」するよりも「愛」したい?

「今年ここまでのエンタータインメントと言えば?」
この問いにあなたならどう答えますか?
日経エンタテインメントによれば、6月までの上半期のランキングは
1位:アナと雪の女王
2位:笑っていいとも
3位:朝ドラ「ごちそうさん」「花子とアン」
4位:永遠の0
5位:村上海賊の娘
6位:ものまねメイク
7位:ビリギャル
8位:ディズニーツムツム
9位:妖怪ウォッチ
10位:ワン・ダイレクション
とのこと。
えっ? 「半分くらいわからない」ですか?
それはちょっとマズいかもしれませんね(笑)
いや、冗談抜きに、ビジネスパーソンとしてはこうした「トレンド」には、やはり敏感であるべきと思うのです。
そして個人的には、2014年トータルとしては、ここに「ドラえもん」と「ゴジラ」を入れたいと思います。


では、唐突ですが、ここで思考のトレーニング。
以前のエントリーでも『「理論」と「論理」の違い』について考えていただきましたが、今回も「類義語の違い」を、できるだけシンプルに、辞書など引かずに、まずは自分のアタマで考え、あなたなりの言葉で説明してください。
さて、「愛」と「恋」の違いはなんでしょう?


「続きを読む」をクリックする前に、まずは考えてみてください。



まず辞書的な定義として思いつくのは、
「異性に対して抱くのが恋で、親や子、同性から動物、自然、芸術など、もっと広い対象に抱くのが愛」という説明でしょうか。
(あ、同性愛ももちろん「恋」ですね)
ネットで声を拾ってみると、他にも

「性欲を伴うのが恋で、性欲が関係ないのが愛」
「相手のある一面を好きになるのが恋で、いい所も悪い所も全て受け入れる心が愛」
「刺激を求めるのが恋で、癒しを求めるのが愛」
「恋は精神病で、愛は悟り」

などの「おお、確かに」というものから

「恋は奪うもので、愛は与えるもの」
「『この人のためなら死ねる』が恋で、『この人のために生きなければ』が愛」

といった「J-POPの歌詞かよ!」というものまで、いろいろありました。


しかし、やはり多くの方が述べていたのは

「恋は自分のため、愛は相手のため」

でした。
そして私も今さらながらそれを再認識しました。
映画『STAND BY ME ドラえもん』の「のび太クン」に気づかされたのです。
#冒頭のネタ振りはこのためでした。すいません。
#ちなみにゴジラについても、いずれ日を改めてじっくり語りたいと思っています(ご存じの通り特撮オタクなもので(笑))。
#もうひとつちなみに、今年2014年は、ゴジラ生誕60年です!


さて、誰かに恋している時、私たちは自己中心的になりがちです。
「自分に振り向いてほしい」
「自分と手をつないでほしい。そしてできれば・・・」
のように、自身の欲望に根ざした相手への要求が根底にあるからです。
この映画ののび太クンもそうでした。
最初彼は、ドラえもんに出してもらったひみつ道具「刷りこみたまご」を使って、しずかちゃんに好かれようとします。
しずかちゃんの気持ちなど、まったく考えずに。
彼にとって大切なのは自分だけ。
「しずかちゃんと両思いになりたい」という欲望をかなえるためには、手段を選びません。
しかしその企みは失敗に終わり、別のひみつ道具を間違って使ったこともあり、のびたクンは窮地に陥ります。
それを助けたのはしずかちゃん。
彼はそこで自分の過ちを恥じ、しずかちゃんの前から消えようとします。さらに、恋のライバル(と勝手に思っている)である出来杉クンに、「しずちゃんを幸せにしてやってほしい」と懇願します。
「恋」が「愛」に変わったのです。
自分のためでなく、相手のために何ができるのか。
だから恋愛以外でも、「愛」は私たちの原動力になります。
「家族愛」「隣人愛」「人類愛」・・・
自分は誰を、何を愛しているのか。
そしてその愛の対象のために、何をしているのか。今後何をすべきなのか、何ができるのか。
この映画は、それを考えさせてくれました。






こう考えると、やはり「愛」の方が崇高な感じがしますね。
しかし、「恋人」より「愛人」の方が崇高かというと….(笑)

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