KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

2015年01月23日

「思考の停止こそ『悪』である」には共感するが…

突然ですが、あなたには「悩み」がありますか?
幸いなことに、私には大きな悩みがありません。
「ちょっと肩が痛い」のような小さな悩みならいくつもありますが。
誰にでも多かれ少なかれ、そして深さの違いこそあれ、悩みはあるものです。
しかしその悩み、本当に悩む意味・価値がある「悩み」ですか?
「余計なお世話だ!」と思う前に、ちょっとお付き合いください。



「悩み」を辞書で引くと、こう定義されています。
————————————————-
(1) 決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらう。
(2) 対応や処理がむずかしくて苦しむ。困る。
(3) からだの痛みなどに苦しむ。また、病気になる。
(デジタル大辞泉より)
————————————————-
ああ、私の「肩が痛い」は(3)の意味での「悩み」だったわけですね。
(1)と(2)は思考が介在するという点では同じですが、(2)の方がより感覚的に「不快」である状態、(1)はその不快の解消法について悩んでいる状態のようです。
ここでは(1)にフォーカスしてみましょう。
これはつまり、考えて答(結論)が出せない状況が、「悩んでいる」状態と言えます。
まったく答が思いつかない場合もあれば、答(の候補)はいくつか思いついていても、そのどれを結論とするかが決められない。
さて困りました。
「悩んでいないでまずは行動だ!」
「やってみないとわからないよ!」
いや、ちょっと待ってください(笑)
悩むのが、考えるのが面倒くさいからと言って、拙速な行動はいかがなものでしょう。
「やってみないとわからない」のは真実ですが、ちょっと考えれば「やらない方が良い」こともたくさんあるはずです。
そういうのを「行き当たりばったり」と言うのです。
「○○に決まってる!」のような「決めつけ」。
「そんなのわかるわけないよ」という「あきらめ」。
「みんながそう言うのなら…」という「右へ倣え」。
「そうなんだ!」のような他者の言説の「鵜呑み」。
これらと同様の『思考停止』という「思考の病」の典型的症状です。
だから私たちはもっと悩んだ方が良いのです。
もちろん悩みっぱなしでは仕方がありません。
だから「悩む時間を短縮する」ためにロジカルシンキングのような思考スキル、そしてロジックツリーやマトリクスのような思考ツールが存在します。




しかし…
◆悩む必要がないのに悩む。
◆悩んでも仕方がないのに悩む。
これらは、どう考えても「無駄な悩み」です。
たとえば「巨大隕石が地球に衝突したらどうしよう」のような悩みは、もし起こってもどうしようもありませんから、それこそ悩んでも無駄です。
また、「今は」悩んでも仕方ないこともあるはずです。
だから私は悩みができたら、こう考えるようにしています。
「悩んで答えが出たとして、自分がどうこうできる問題か?」
「本当に今、これについて悩んで答を出す必要があるのか?」
そして、
「悩んで、何かが良い方向に変わる可能性があるのか?」
これらすべてに「YES!」と答えられないとしたら、それはやはり「無駄な悩み」です。
それがわかれば後は簡単。
「よし、悩むのをやめよう」
つまり、「思考停止」を選択します。
「思考の停止こそ『悪』である」とは、ゲーム『戦国BASARA』の浅井長政の名言ですが、私も同感です。
しかしそれは「無意識の思考停止」において。
「よし、悩むのをやめよう」のような、「意識的な思考停止」は、時として必要です。
なぜならば、無駄な悩みに時間を使うのは、時間の浪費以外の何ものでもないから。
そして、精神衛生上もデメリットが大きいからです。


あなたの悩み、本当に悩む意味がありますか?


と、ここでアジアカップ日本代表はUAEにリードを許しているという情報が。
あー、大丈夫かなあ。
え? それは悩んでも仕方ないことだろう、ですか?
私、そんなに強い人間じゃありません(笑)

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