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アンビバレンスが魅力の太宰治[第3回]

2015年03月10日

ほり屋飯盛

アンビバレンスが魅力の太宰治

昔、私が少女だったころ、エルトン・ジョンの”Your song”をうっとりしながら聴いていた。お金はないけど、愛する人のために送る歌がすごく感動的だった。

しかし、大人になった今、何よりもお金が好きになってしまった。「金のない奴は私に話しかけんな」と、植木等と真逆の人生を歩んでいる。なぜ、こんな自分になってしまったのだろう。もはや十四の春に戻るすべなしである。

私が太宰治を好きなのは、こんな自分と比べて、死ぬまで少女の気持ちを失わずに、小説に書き続けたからだ。今回の課題図書『きりぎりす』にも、女性が持つ少女性がよく表れている。

「太宰治はその波乱万丈な生涯から、広く知られている作家です」と、阿刀田先生の作家紹介から第三回は始まった。

青森県の富豪の家に生まれ、極めて優秀な幼少時代を太宰は送った。中学生の頃から、卓越した才能を見せはじめ、泉鏡花や芥川龍之介の文学が好きだった。特に、芥川の自殺にはショックを受けたようで、その翌年には太宰は第一回自殺未遂を起こす。

ボンボンの太宰は、母が病弱で乳母に育てられたため、お金持ちの生活だけでなく、下々の生活も目の当たりにしてきた。自分が特権階級である誇りと、自分だけこんな美味しい思いをしていて良いのだろうか、といううしろめたさに悩む。作品にも、彼のアンビバレントな部分が、よく表れている。もちろん秀才で金持ちと言っても、所詮は津軽においてのことである。東京に出て、自分より優れた人に接し、コンプレックスも抱いていた。

私は両極端をあわせ持つ太宰の昔からのファンである。彼の持つアンビバレント性は、感情だけではない。男と女をあわせ持っているのだ。いわば両性具有の人間である。
好きな男のために、盗みを働いてしまう女が主人公の『灯籠』や、妹のために嘘をつく姉の独白型小説『葉桜と魔笛』など、太宰が女の心を書くと、より女らしいのだ。有明淑の日記を『女生徒』として発表したことをとっても、やはり太宰は少女しか知りえない潔癖さを、よく理解していたと私は思う。

今回の『きりぎりす』も潔癖な女性が主人公だ。
「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。」という、女が不実な男から去る、なにやら演歌調の書き出しで小説は始まる。「けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。私も、もう二十四です。」と、小説は続くのである。

ストーリーは、ある女が十九歳で、売れない画家と結婚する。この女は、他にも将来有望なエリート男性と見合いをしたのだが、「私でなければ、お嫁に行けないような人のところへ行きたいの」と、親の反対を押し切り、あえて貧乏画家と結婚するのだ。女は貧乏画家が貧乏になればなるほど「ぞくぞくする、たのしい」とか言って、貧乏生活を楽しむのである。

しかし、時が経ち、貧乏画家の絵が売れ始める。貧乏画家は成金になり、性格も絵にかいたような成金男になる。夫婦は大きい家に引っ越し、贅沢な暮らしを始めるのだ。
女はそれに納得がいかない。
「一生貧乏そうだから結婚したのに!」と、画家との別れを決め、彼に宛てた絶縁状のような小説だ。

私は主人公の女の潔癖性をプラスに捉えていたのだが、多くの参加者がマイナスで捉えていた。ある女性参加者の「こういう女性は、別れてもまた別の不幸を探すのではないか?」という感想をのべ、私は衝撃を受けた。というのも、私自身が夢を追いかけている年下の男の子がいると、何でもしてあげたくなってしまうのだ。ただ、ドリーマーな若者は沢山いるが、その中でも美男子は砂金ほどしかいないので、どうにか私は不幸にならずに踏みとどまっているのではないのかと考えた。
その女性は「こういう感情は女性なら誰でも持っている」と続けてくれ、私は安心した。

阿刀田先生の読み方はこうだ。この女の潔癖さには、中学生あたりは感動するが、大人で感動しているのは困ったちゃんだ。「誰かを救いたい」というメサイアコンプレックスではないかと表現した。
男性参加者からは、成金で傲慢になっていく夫に自分を重ね、「女房に責められている気がした」とか、「こういう人と結婚しなくて良かった」と実生活に基づいた感想もあった。
しかし、「こういう潔癖な女性が好きです」という人がいなくて、残念な感じだった。

阿刀田先生は『きりぎりす』のストーリーを、こう表現した。
潔癖で成金を否定する女性も太宰自身のことを書いているが、名誉とお金を手に入れて、変わっていく画家も太宰自身である。太宰は本が売れていくにつれて、自分の変化を世間にバッシングされたが、「自分はいい気になって遊んでいることが、どんなに悪いことか知っているんだよ」と自己弁護で書いたのではないかと思ったそうだ。

いかにも。先生の意見を聞いて、太宰ならやりそうだと納得した。自分が大好きというナルシシストな面を持ちながらも、人の意見を気にする太宰の弱さが見える小説なのだ。

さらに、阿刀田先生は、太宰の人物描写のうまさに触れ、画家と女を結びつける骨董屋の但馬さんをとりあげた。

女がどうしても、貧乏画家と結婚したいと言い張った時、但馬さんは大声で「えらい!」と言って立ち上った後、椅子に躓いて転ぶ。そのほんの一行だけで、但馬さんの性格が、まっすぐで、おっちょこちょいな感じが読者にわかってしまうのだ。
この、人物描写をすぅっと描いてしまうところがプロの業なのだそうで、素人作家に「人物の性格をもっと書いてくれ」と言うと、十行二十行と長々とかいてしまうそうである。

先生のコメントを聞いてから読み直すと、画家が成金になっていく過程もすごく面白いことに気付いた。

お金を手にし、有名になりつつある画家は、まず初めに歯医者で虫歯を治し、金歯を入れるのだ。人はお金と名誉を手にすると、まず歯を治すという法則がある(と思う)。これは、売れ始めたお笑い芸人に似ている。彼らの歯を見ると、皆美しい歯並びで、真っ白だ。顔の中で歯だけが浮いている。「見た目より芸を磨けよ」と思ってしまうくらいに。

ヒトはお金を手にすると、モノを買うより前に、自分の見た目をどうにかしようとするものだ。そこが面白く書けていると気づいた。

阿刀田先生は「太宰は、人物描写以外にも文章全体が上手いので、心中せずに長生きすれば、大河小説も書けたのでは」と言った。私小説のような作品が多い太宰が、どのような大河小説を書くのだろうと考えてみた。

私は、太宰作品の中では『カチカチ山』が一番好きだ。あのアレンジは見事だと思う。
小説には、十六歳の若いウサギと三十代後半の狸オヤジが登場する。親子ほど年の離れている狸オヤジに好かれた若いウサギは「キモイ」と、背中を燃やして火傷させ、そこに唐辛子入りクリームを塗り、泥船に乗せ沈めてしまうのだ。すべては、年甲斐もなく若い女の子を好きになった為だ。

太宰の老いへの嫌悪が読み取れて、私は大好きだし、共感が出来る。この気高さで、親子ほど年齢が離れていた大金持ちと結婚させられて、若い男の元へと逃げた柳原白蓮を、太宰が書いたらきっと良い小説になっただろうと、阿刀田先生の話を聞いて考えた。

太宰は三十八歳の時、玉川上水で女性と心中する。
処女小説に『晩年』と名付けているように、文学をはじめた時から、死を意識していた。
阿刀田先生は、太宰は一緒に心中した女に殺されたのではないか、と考えている。自殺の真似事で、手を縛らせていたが、女性のほうが本気になってしまったのではないかと。太宰は泳ぎも上手かったらしい。

坂口安吾は『太宰治情死考』の中で、「太宰のような男であったら、本当に女に惚れれば、死なずに、生きるであろう」と言っている。一緒に心中した女のことは、たいして好きではなかった。小説家のような職業の人は、本当に女に惚れることは出来ない。と安吾は言っているのだ。私も、阿刀田先生や坂口安吾の意見に賛成だ。
本当に早く死んだのがもったいない作家だと感じた。

次回の課題図書は、三島由紀夫『憂国』である。先ほども出てきたが、三島は太宰が大嫌いだった。私は、三島由紀夫の小説は大体読んでいるが、二・二六事件を題材にしたこの作品は読んだことがない。阿刀田先生や、参加者たちがどう読むのかが楽しみである。

講座詳細:阿刀田高さんと楽しむ【短編小説と知的創造】』  講師:阿刀田高

ほり屋飯盛
1980年生まれ。小田嶋隆先生曰く底意地の悪い文章を書く人。文学好き。古典好き。たびたび登場する10歳下のT君に夢中。「夕学リフレクション」のレビューも執筆している。

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