KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2007年11月21日

伝統を守り、伝統を創る 千宗室さん

人は皆、なにかしらの宿命(さだめ)を背負って生まれてきます。
宿命が、人を育て、大きな仕事を成し遂げることがあります。
宿命が、人を束縛し、苦しめることもあります。
人生と宿命は、時に引き合い、時に強く反発し、一対構造を形成しながら結合していくものかもしれません。
千宗室さんには、宿命の重さに逆らい、乗り越え、受け入れてきた人が持つ芯の強さを感じました。
権威主義、貴族趣味を嫌い、反骨精神や革新意識に共鳴する感性をお持ちのようです。
自ら強引に変えるのではなく、時代の風を読み、気運が漲るのを待って、巧みに変革を掬い上げるリーダシップも心がけていると言います。
熱く燃える種火を、内面に絶やさずに、それを覆い隠すように柔らかさと品格で包み込むような、そんな人でした。


講演前の歓談中に、ふとしたことから大学受験の時期が話題になりました。
風邪が蔓延する2月に受験をさせるのは酷ではないか。11月頃に受験時期をずらすことも、大学側が本気で努力すればできるのではないか。 そんなお話です。
ご自身が大学受験の最中にインフルエンザに罹患して、苦労した原体験に根ざしたお話でした。
先述の「熱く燃える種火」は、講演内で触れた「赤心」にも通じるもので、常識や慣例に囚われずに、素直に受験生の立場を考えれば、そういう改革があってもしかるべきでしょう。
そう素直に反省しました。
さて、肝心の講演の話に入りましょう。
「茶道」と「茶の湯」の違いはどこにあるのか。
「茶道」の創始者は千利休と言うことになっていますが、正確には、利休亡き後、子の少庵、孫の宗旦が、多くの弟子達と一緒に利休の教えを振り返り、利休が歩み始めた「侘び茶」の道を整え、礎を築いたのが始まりだそうです。
「茶道」は二人称・三人称で語られる、集団の世界だそうです。
「茶の湯」は、利休以前から存在していた、個人の楽しみを意味し、一人称で語られる一個人の世界になるそうです。
ちなみに、利休は「侘び茶」を完成したのではなく、種を捲いただけで、宗旦をはじめ連綿と続く「お茶を愛する人々」が、バトンを受け継ぐように極めてきた伝承作業とのこと。
「和・敬・清・寂」 
利休が好んだ禅のことばで、茶の精神が凝縮されているそうです。
「和」(和む) 自分と和み、相手と和む。自分を信じる分だけ相手を信じることができる。
「敬」(敬う) 自分を敬い、相手を敬う。自分を尊敬できる分だけ相手を尊敬できる。
「清」(清らか) 「赤心」を大切にする。生まれ持った素直な心に通じる。
「寂」(侘び) いらないものを少しずつ、削ぎ落としていく。
「お茶」というのは「内なる自分に気づき、目を向ける時間である」と千さんは言います。
「侘び・さび」とは何か
「定義」という概念と対極にあるものだそうです。
つまり、正解があるわけではなく、自分で「これかな」と感じたら、もっと突き詰めてみようと思うもの。
千さんは「侘び・さび」を説く際に、「月を見よ」と言うそうです。
月の満ち欠けの繰り返しの中に、限りなく続く生死の輪廻を感じることができる。
死ぬために生まれ、生まれる為に死んでいく。栄えるものの中に、衰退の哀れを感じ、滅びゆくものの中に、生命力を見いだすこと。
それが「侘び・さび」のこころです。
「一期一會」
全ての出会いに意味を感じ、それを受け入れ、付き合うこと。
ありのままの一日と出会い、同居すること。寒さと同居し、暑さと同居すること
「茶の湯」の趣向は、「一期一會」の中に、相手を心地よくもてなすための「ひと手間」の工夫のことだそうです。
生き方・暮らし方の中に、「ひと手間」の工夫を織り込むことは人を育てることにも通じると千さんは考えています。
千利休が、その一歩を踏んだ「侘び茶」の道は、16代続く裏千家宗家をはじめ、多くの茶人達によって、究め続けられてきました。
「和・敬・清・寂」「侘び・さび」「一期一會」といった精神を守りつつも、時代に適応して、柔軟に形態やシステムを変えて来ました。その歩みはこれからも続くでしょう。
「茶道」は守るものではなく、創るものなのかもしれません。

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