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夕学レポート

2009年02月06日

「見えざる手」の真意 堂目卓生さん

人間は利己的な存在である。自らの利益を最大化するために、資本家は富を求め、起業家は事業拡大を求め、労働者は賃金最大化を求める。それが結果として経済を活性化させ、富の再分配を促し、社会を繁栄させる。利己的な個人の利益追求行動が、意図せざる結果として、豊かな社会をもたらす。かつてアダム・スミスはその働きを「見えざる手」と呼び、規制のない自由な市場こそが繁栄への道だと説いた...

専門家からのお叱りを承知のうえで、ステレオタイプのアダム・スミス論をまとめると、上記のようになります。
それは、そのままステレオタイプの反アダム・スミス論にもつながり「市場原理主義」の原初的啓蒙者としてアダム・スミスのイメージを植え付けることになりました。
堂目先生が、この通俗的なイメージに対する反論として書いたのが『アダム・スミス』という本でした。きょうの夕学では、この本に沿って、アダム・スミスの真実をお話いただきました。


アダム・スミスは1729年にスコットランドに生まれ、1790年に亡くなっています。
彼が生きた時代は、大英帝国が最盛期を迎える前夜にあたります。度重なるフランスとの戦争、植民地アメリカを維持するための経済負担が重なり、国債残高が急増し、イギリスは財政難に逼迫していました。世界に拡がる植民地経営は、重商主義体制のもと、一部特権階級に富が偏在し、社会下層には失業者・浮浪者が溢れていました。
スミスは、70年の生涯に、たった二冊しか本を書いていません。ひとつが、1759年の『道徳感情論』。いまひとつが1776年の『国富論』。有名な「見えざる手」という表現は『国富論』に一度登場するだけだといいますから、人間のイメージというのは、後世の伝え方ひとつで大きく変容するのかもしれません。
さて、冒頭のステレオタイプのスミスイメージに対する答えは、『道徳感情論』の中にあると堂目先生は言います。
そして、この本のキーになる概念として「同感」という言葉をご紹介いただきました。
「同感」とは、他人の感情を自分の心に写し取り、それと同じ感情を持つことができるかどうかを判断する能力を意味します。
人間は利己的な存在である一方で、他者に共感し、他者の喜び・悲しみを自分のものとして共有する豊かな感情ももっています。
この「同感」という道徳的な感情を、人間関係や社会秩序を基礎づける原理として機能させるために、人間はこころの中に「胸中の公平な観察者」を育てているとスミスは述べているそうです。
他者の行為やそれを受けた人の感情が、社会的に妥当なものかどうかを判断し、自分がそれに賛同するor非難する際の基準となるのが「胸中の公平な観察者」の視点になります。いわば内なる第三者とでもいいましょうか。
人間は「胸中の公平な観察者」の視点を共有しており、それが人間関係や社会秩序の原理となっている。その原理はやがて規則や法として明文化されていく。つまり、規制や法の前に人間の道徳的な感情の働きがあるはずだ。
それが、アダム・スミスが『道徳感情論』で主張したことでした。
人間には、weak man(弱い人)=利己的な個人とwisdom man(賢者)=公平な観察者の二つの側面が同居している。
弱い人=利己的な個人は、利益追求行動を促し、「見えざる手」によって社会繁栄と富の再分配をもたらす。
賢者=公平な観察者は、正義の規範を作り、「見えざる手」によって、行き過ぎた利己的行動を制御して、社会秩序をもたらす。
つまり 「見えざる手」とは、経済的な調整・分配機能だけではなくて、フェアプレイ精神に基づいた正義の調整機能もある。
市場とは「互恵」の場に他ならないのだ。
それが、堂目先生の言うアダム・スミスの主張です。
スミスは、人間の幸福において、「富」は健康で負債がなく、良心にやましいところを感じない程度の水準を満たせば、それ以上は幸福の増加につながらないと考えていました。
しかし、当時のイギリスは規制に守られた重商主義体制のもとで、最低限の「富」さえも持てない下層民が数多くいました。
スミスが規制の排除と市場に委ねることを主張したのは、この問題を指摘したに過ぎないのではないかと堂目先生は言います。
むしろスミスが危惧したのは、急進的な改革派であり、急激に規制を廃止したり、加えたりすることで起きうる弊害を鋭く指摘していたそうです。
さて、はたしてスミスの洞察は正しかったのか。
残念ながら、その後の社会はスミスが描いていたような理想的な状態にはなっていません。スミスの末裔であるアングロ・サクソンが引き起こした21世紀の金融危機と、そこで喧伝されているウォール街の「強欲主義」をみると、weak man (弱い人)よりも、wisdom man(賢者)の方が弱かったのではないかという気さえします。
しかしながら、急進変革を戒めたというスミスのこと。賢者の啓蒙が人々に遍くひろがるには、途方もない時間がかかることを冷徹に見通していたのかもしれません。
スミスの生きた時代よりも私たち人間は幸せになったのか。多くの人は、もし生まれ変わるとしたら、18世紀と現代とどちらが良いかと問われれば、躊躇なく現代と答えるはずです。
我々は、少しずつでも進歩している。いや進歩していると信じたい。
スミスのメッセージを噛みしめながら、そう思いました。

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