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夕学レポート

2011年07月01日

日本人らしさとは何か 田口佳史さん

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天の命ずるをこれ性と謂う
私はこの2年間で田口さんの講義を二十回以上聴いてきたが、高い頻度で引用されるのがこの言葉である。(四書五経のひとつ『中庸』の冒頭文)
天が人間に分け与えたもの、つまり人間を人間たらしめているものを「性」という。性とは、精神であり、意識であり、魂である。
我々が使う「人間性」という言葉の意味が、ここにある。
日本(人)にも、日本(人)「性」がある。
日本(人)を日本(人)たらしめている日本”らしさ”。精神・意識・魂がある。
それが日本文化と日本人の根幹にある。
田口さんのお話は、そういうことであった。
日本性・日本らしさは、日本の地理的特性に由来したものだ、と田口さんは見る。
ひとつは「森林山岳国家」という特性。
豊かな森と聳え立つ山に囲まれて生きてきた日本人は、自然の中に人智を超えたとてつもなく大きな存在を感じてきた。
それはかつて、「隈(クマ)」と呼ばれ、「カムイ」「カミ」へと変化していった。
日本の「神信仰」はこうして生まれた。
「神信仰」は、鋭い感性と深い精神性に支えられていた。
だから、日本の神には、西洋のようなアイコンは必要なかった。偶像も、聖遺もいらなかった。自然の中に、見えないものを感じ取り、こころを尽くすことができた。見えないものと共生する意識を持っていたからだ。
もうひとつの地理的特性は、「ユーラシア大陸の東端」であったということ。
あらゆる文化・思想・宗教は大陸を西から東へと渡り、日本に辿り着いた。日本は思想の集積地であり、そこに「溜まり」発酵をみた。
儒教も、仏教も、老荘思想も、禅も、日本人の鋭い感性と深い精神性によって発酵し、日本性・日本らしさを強化する理論的な裏づけとして根付いていった。
日本性・日本らしさとは、「鋭い感性と深い精神性によって、目には見えない、形にならない、文字には表せない抽象的世界観をリアルに感じ取り、他者と共有すること」と言えるのではないだろうか。


田口さんによれば、平安の終わりから、鎌倉・室町を経て、江戸にいたるまでの五百年間で、日本性・日本らしさは、日本文化に昇華していった。
その中心人物として、四人の文化人があげられるという。
まずは、歌人の藤原定家
「見渡せば、花ももみじもなかりけり、浦の苫屋の秋の夕暮れ」
弱冠二十五歳の定家が詠んだこの句には、浦寂れた浦の苫屋の風景と、春爛漫の桜花、絢爛たる紅葉という、見えない世界が重ね合わせてある。
たった三十一文字で、人生の栄華盛衰、無常観を謳いあげてしまった。
定家により、和歌は大きく変わっていったという。
続いては、能の世阿弥
世阿弥は、見えない世界の極地として「あの世」を擬え、あの世と現世を自由に行き来する幻想的な世界観を表現した。
溝口健二の『雨月物語』は、まさにこの世界である。
もうひとり、侘び茶の千利休
利休は、一瞬で飲み干せる僅かな茶の湯に、戦国の世の儚い生命を楽しもうとする高貴な精神性を見いだした。
最後は、俳句の芭蕉
すべてを捨てて、旅を栖(すみか)とする人生に辿り着いた芭蕉の生き方には、「捨ててこそ生きる」という覚悟がある。
定家が詠い、世阿弥が集大成し、利休が様式美とし、芭蕉が生き方にしたもの。
それが、日本性・日本らしさである。
幕末・明治に、日本を訪れた外国人が見たのは、日本性・日本らしさが生活の隅々にまで染み渡った日本人の暮らし振りであったという。
粗末な着物をまとっているが、清潔でいつもお日さまの匂いがする。
一汁一菜の食事であっても、子供は大切にされ、いつも笑っている。
木と土と紙の小さな家に暮らしてはいるが、室内や通りは掃き清められ、塵ひとつ落ちていない。
日本は貧しかったが、美しかった。
自分らしく生きる人の人生は、きっと愉快であろう。
だとすれば、日本人らしく生きることが、健全な社会につながるはずだ。
3・11を契機に、我々が見つけ出そうともがいている新しい生き方は、わずか百五十年前の先人が、普通にもっていた日本人らしさの中にある。
・この講演に寄せられた「明日への一言」です。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/7月1日-田口-佳史/
この講演に寄せられた「感想レポート」はこちらです。
・田口佳史先生から【古教心照、心照古教】の真髄を学ぶ。(いちげんトム/大学職員/48歳/男性)
・私を流れる自然 ~日本という辻~(白澤健志/会社員/41歳/男性)
・「日本人らしくあること」こそが活路(10moki/会社員/49歳/男性)

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