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夕学レポート

2005年10月27日

負ける建築 隈研吾さん「建築と自然の共生」

『負ける建築』 これは隈研吾先生の近著のタイトルです。建築は環境を制圧するものではなく、環境に付き従う“負ける”存在であるべきだ。このタイトルには隈先生のそんな建築思想が込められているそうです。きょうの講演は、その建築思想が完成していく軌跡をビジュアルで紹介していただけたのではないかと思います。
講演は「建築とはその場所(土地)と対話することなのです」というお話からスタートしました。たとえ会話すべき内容が同じであっても、相手が変われば会話の構成・言い方・表情が変わるように、建築も、その場所(土地)によって変わる。従って最初に相手(土地)の歴史・背景・特徴を把握することが建築の出発点になる。隈先生はそう話します。


続いて、隈先生の建築思想を象徴する代表的な二つの建築の紹介をされました。
ひとつは、愛媛の亀老山展望台。自然の丘陵をそのまま活用し、丘を崩すのではなく、スリットのように穴を掘り下げて、その穴の中にコンクリートの建物を踏めこんだものです。丘の木々が生長するに従い、建物が樹木の緑に覆い隠される仕掛けになっています。もうひとつは、岩手の北上川運河交流館。こちらは雄大な北上川護岸の土手を刳り貫くようにトンネルを掘り、その中に博物館を設えています。いずれもコンセプトは“見えない建築”です。目にみえるオブジェとしての建築が20世紀初等までのインターナショナルアーキテクチャーだとすれば、丘や川といった自然環境を活かして、人の手が加わっていることさえも隠すかのように設計され、それでいて自然のよさを十二分に引き出す補助線のような存在が、これからの建築の本質だと隈先生は主張します。
更に、隈先生の発想は、部屋の周囲に縁側のように水の回廊をめぐらした「水の縁側」や、あらゆる建築資材に和紙を用いた「和紙の家」、そして「石の蔵」へと発展し、竹、杉、はては形状記憶合金など、さまざまなマテリアルを使ったユニークな建築を次々と制作しているそうです。そのいずれにも自然や伝統文化への畏敬の念と、その良さを引き出すのが自分の仕事だという一流シェフのような心意気が感じられました。
隈先生は、自然との一体感を重視する建築の原型を、安藤広重の浮世絵に見出すことができるとおっしゃいましたが、考えてみれば、太古の昔から我々人類は自然と共生しながら人間としての営みを築いてきました。かつて山国では、山から流れ込む沢筋の上に屋敷を建て、水屋を作ったといいます。琵琶湖沿岸や霞ヶ浦の水郷集落では、家屋の台所の中まで水路を引き込んで家事に使っていました。そうした庶民の暮らしの知恵ばかりではなく、藤原京における大和三山や平安京の鴨川などをみると、古代の都市計画にも自然環境を巧みに取り入れていたことがわかります。自然との共生は人類の原点に立ち返ることに他ならないのかもしれません。
では、かつての共生とこれからの共生、いったい何が違うのでしょうか。かつては、「自然>人間」の力関係の中で、人間が生きていくために自然の恵みを利用せざるをえなかったのに対して、現在は圧倒的な力で人間が自然を制圧することが可能です。やろうと思えばなんでもできる不均衡な力関係の中での共生といえるでしょう。だからこそ、人間の強い意志とそれを支える崇高な哲学が必要なのだと改めて感じます。
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