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夕学レポート

2012年04月17日

「うまく説明できないものは、たいていの場合、手がかりなのだ」 内田樹さん

photo_instructor_607.jpg内田樹先生の著作を眺めてみると、まぁ、そのカバー領域の広さに驚く。
専門の思想や哲学、教育論、武道論までは分かるとして、アメリカ論、中国論、日本論、映画論、メディア論、マンガ論にいたるまで縦横無尽である。
その論考を構築する際の立ち位置は「素人」であることだという。
思考を駆動するきっかけは「身体的な違和感」である。
「なにか嫌な感じがする」「なぜか話が分かりくい」ことへの直観的な反応である。
「うまく説明できないものは、たいていの場合障害物ではなく、手がかりなのだ」
内田先生は、アーサー・コナンドイルが名探偵シャーロック・ホームズに言わしめた台詞を例にとって、遡行的推理(reason backward)という論法を紹介してくれた。
例えば、「身体的違和感」を感じるニュースや報道があったとする。
それに対して、内田先生は、出来るだけ大風呂敷を広げる。素人なのだから穴だらけで構わない。風呂敷は、大きければ大きいほどよい。
広げた大風呂敷の上に、新聞などに記述された一連の情報を配列してみる。
すると、そこに当然あるはずのパーツ(報道、分析、解説)がないことに気づく。
それはいったいなぜなのか。あるはずのものがないことを遡行してみることによって、隠された理由が明らかになる、というものだ。
内田先生が「身体的違和感」を感じた報道のひとつに、普天間基地の移設問題があった。


鳩山元首相の貴族的楽観主義が裏目にでた事例として、リーダー資質の問題に集約されることが多い問題である。
何の勝算もなく県外移設を公約しながら、「知れば知るほど沖縄の基地が抑止力になっていることがわかった」と、今更ながらの言い訳が通用すると思っていた、鳩山氏のノー天気ぶりにはあきれたが、内田先生は、違う反応を見せた。
それを確認することで、遡行的推理の仕方を確認してみよう。
まずは大風呂敷を広げてみる。
1919年のベルサイユ条約以降、世界の秩序を構成してきた「軍事力を背景にした外交」が限界を迎えているという歴史認識があげられる。米国が世界の警察官を務める時代が終焉しつつあることは間違いない。
そうすると、米国内(共和党)には在外駐留米軍の撤退を公約にして大統領選に打って出ようとしたリーダー(ロン・ポール氏)が現れていることがわかる。
一方で、韓国に目を転じると、この10年ほど激しい反米軍基地運動が展開され、それなりの成果も出ていることを知ることもできる。同じようにフィリピンでも主力基地の返還が進んでいる。
どうやら、米国の西太平軍事戦略に変化が起きていることが見えてくる。
にもかかわらず、普天間の海外移設だけが進まない。
ここで、「そこに当然あるはずのパーツ(報道、分析、解説)がない」ことが見えてくる。
普天間の問題を、韓国やフィリピンの基地縮小の状況や、米国の西太平軍事戦略の動向と関連づけて議論される論考が存在しない。それはなぜか。
この問題の所管官庁である外務省や防衛省が(鳩山さんを説得したのはこの勢力であった)、沖縄の米軍基地がなくなっては困ると考えているからとしか思えない。
沖縄から米軍がいなくなること、すなわち、「自分のことは自分で考えろ」と米軍から突き放されることで、自分達が日本の国防戦略立案の責任を負わざるをえなくなることを怖れているのではないかという推論が成り立つ。
そこで、戦後の日本外交を振り返ると、日本政府は、日米安保に影響を及ぼしかねない大きな外交的決断を40年近くもやっていないことに気づく。
田中角栄の日中国交回復が最後である。
中曽根さんの「不沈空母発言」も、宮沢さんの「PKO法案」も、小泉さんの「イラク自衛隊派遣」も、大きな決断は、アメリカの傘(指示)のもとに為されてきた。
日本の国防戦略などという大きな問題を、自分達(外務省、防衛省)に背負わせないで欲しい。そういう重要なことは、考えなくてもよい問題のままにしておいて欲しい。
だからこそ、米軍は沖縄に居続けて欲しい。
日本政府は、そう思っているに違いない。
そんな図式が、内田式大風呂敷の中に構築できるのである。
こうして、どの専門家も、どのメディアも論じない説得力のある論考が紡ぎ出される。
「世界がここまで渾沌(先が見えない)状況に陥ったことはあっただろうか」
内田先生は、そう言う。
進歩・成長・発展・統合といった価値前提が崩壊しはじめ、その価値前提のうえに築かれた社会システムが、少しずつ機能しなくなる時代がやってきた、という認識である。
では我々はどうすればよいか。
「各自が手の届く範囲で、出来ることから、気づいた人から、手を携えてやっていくことだ。上のせい、全体のせいにしても何も始まらない。」
内田先生の答えは、実にシンプルである。
内田先生が、神戸女学院退官とともに開設した、武道と哲学研究の私塾の名称は「凱風館」である。凱風とは、南から吹くおだやかな風を意味するという。
優しい風の存在を感じとる身体性や直観を大切にしながら、「手の届く範囲で、出来ることから、手を携えてやっていく」
内田先生は、それを実践しようとしている。
この講演に寄せられた「明日への一言」はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/4月17日-内田-樹/
この講演には、感想レポートが2件寄せられました。
「『街場の宗教論?』霊的な感受性を高めよ―手がかりは違和感」(Claireさん/研修講師/30代/女性)
「無知の知」(田辺 康雄さん/会社員/59才/男性)

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