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夕学レポート

2013年05月31日

拉致と決断  蓮池薫さん

東大でバリアフリーを研究する全盲ろうの研究者福島智先生は、かつて夕学でつぎのように話してくれた
生きる意味=苦悩+希望
「苦悩」の中に「希望」を抱くこと、そこに人生の意味があると。
同時代の日本人の中で、福島さんの言葉を自分の実体験に照らし合わせて理解できるであろう、数少ない人のひとりが、蓮池薫さんではないだろうか。
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蓮池さんの24年間は、絶望的な環境の中に希望を見いだすことであったという。それが生きる意味であり、生き抜く力であったのではないかと思う。
蓮池さんにとって、希望の中身は時とともに変わった。
拉致当初は、生きること、死んでたまるかという思い、いわば生存本能を失わないことこそが希望であった。
そのためには、自己の置かれた環境を冷静に把握し、適応する必要がある。蓮池さんには、それを可能にする理性と意志の強さがあった。
自らの運命を得体の知れぬ他者に委ねることへの恐怖や屈辱に耐える力があった。
やがて、結婚し子供が生まれたことで、希望の中身は変わった。
家族を守ること、子供達を育て上げること、つまり良き父親であることが希望となった。平和と飽食ボケした私たちには想像すらもできないが、激烈な北朝鮮の社会条件、生活条件の中で、拉致された日本人が家族を守り、子供達を普通に育てることは、とてつもなく困難なことではなかったか。
何があろうとも、どこに行こうとも、疑われるような行為だけは絶対にしない。日本帰国への思いを絶ち、ひたすら現状に順応することが必要だった。
子供達にさえ拉致の事実を隠し、出自を偽り、日本語を一切教えなかった。日本人である子供達に、日本人であることを隠して生活することの辛さを考えると胸をつぶされる思いがする。それが良き父親でるために必要なことであっただけに蓮池さん夫婦が抱えねばならなかった精神的葛藤、不条理の重さは筆舌に尽くしがたい。
蓮池さんは、この24年間を「最悪の状態を想定し、それを免れるために考えをめぐらし、行動した時期だった」と述懐してくれた。
2000年代になって、蓮池さんの周りに吹く風が大きく変わった。
2002年の一時帰国は蓮池さん夫妻にとって、想像すらできなかった一大転機であったという。日本に戻った蓮池さん夫妻は、当初は北朝鮮に戻るつもりであった。残された子供達を守るためには、なんとしても戻らねばならないと思ったからだ。
しかし、風向きの変化は、蓮池さんの希望の質を変えた。
最悪の事態から逃れるにはどうすればいいかという消極思考から、最良の結果を勝ち取るためにどう振る舞えばよいかという積極思考への変化である。
自分達の帰国を待ち望んでいた日本の家族(父母、兄)と北で新たに生まれた家族(子供達)が日本の地でひとつになれること、それが蓮池さんの希望となった。
北朝鮮に戻らず、子供達を日本へ取り戻す。
蓮池さんの決断は、「ふたつの家族を日本でつなぐ」という希望に支えられたものであった。
蓮池さんは、拉致された時の状況をつぶさに語ってくれた。なぜ拉致を企てたのかという北朝鮮の思惑も推察してくれた。常時監視のもとで送った招待所での生活、90年代以降にひどくなった食糧事情の実態なども詳しく話してくれた。
興味がある方は、是非とも迫真の手記『拉致と決断』を読むことをお薦めしたい。
帰国から10年、蓮池さんのお子さん達は、柏崎を離れ、東京、韓国を行き来しながら暮らしているという。
北朝鮮の政治体制が未来永劫続くはずがない。そう遠くない将来に南北の統一が実現するかもしれない。その時、北朝鮮を故郷にもち、たくさんの友人がいる日本人として、子供達が東アジアをつなぐ役割を果たして欲しい。それが蓮池さん夫妻の願いではないだろうか。

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