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夕学レポート

2013年10月15日

組織の老化への向き合い方 細谷功さん

photo_instructor_689.jpg人間が生物である以上、老化は避けられない。
・お腹が出てくる。
・二の腕がたるむ
・頭髪が薄くなる。
・目尻のシワが目立つようになる。
・イスから立ち上がるときに「よっこらしょ」と口にしている
・「最近の若いヤツは…」と言い出す etc
個人差こそあれ、40歳を越えれば、誰もがこのような老化現象を迎える。
老化は不可逆的な変化であって、けっして戻すことはできない。
「複数の人間が、共通の目的のもとに、調整された諸活動を行う」場と定義される組織においても、人間と同じような不可逆的な老化現象が起きる。ところが人間と少し違うところがあって、その違いゆえに組織の老化は始末が悪い。
それが細谷功氏の問題意識であった。
・定例会議が多い
・やるリスクは真っ先に論じられるが「やらないリスク」が論じられることはない
・「できない理由」が得意な社員が多い
・簡単な経費の使用にも複雑な承認プロセスが必要である
・個性的な人が少ない金太郎飴集団である
・仕事は誰がやっても同じアウトプットが出るよう「組織化」されている
・「変わった人」は迫害される企業文化である etc
上記が細谷さん流の組織老化チェックリストである。
一瞥したところ、マイナスのことばかりに見えるが、そう単純なものではない。
組織の老化とは、組織の経験学習の蓄積である。さまざまな成功や失敗の上に積み重ねてきた「資産」でもある。
ある時点までは蓄積には意味があった。組織の成果につながる対応であった。
ところが、ある時点で臨界点に達して、「資産」が「負債」に転化をはじめる。
そこが組織の老化がはじまる時である。

人間の場合、臨界点のタイミングは年齢というわかりやすい目安がある。
「俺も来年は後厄だしな...」などと人知れずつぶやきつつも、少しずつ老化という現実を受け入れはじめる。
昼食のメニューを決めるときに、「ちょっと待てよ」とカロリー計算をするようになる。
万歩計を買い、ジムにも通うようになる。
自分の手柄より若い人を育てることに意識をむけるようになる。
人生とは何か、幸せとは何か、を再考すべく座禅を組んだりもする。


細谷さんの話を聞くと、組織の老化が個人と違うのは、この臨界点が見えにくい、気づきにくいことにあるようだ。
人間であれば、中年期に入れば、もうこれ以上成長できないことを自覚し、緩やかに下り坂を生きる準備を始めるのに、組織の場合は「いつまでも成長できる」という錯覚の前提に立っている。
臨界点を越えている(資産が負債に変わる)のに、かつてのやり方を踏襲して、せっせと負債を積み増している。
ここがやっかいである。
人間は老化への適応がスムーズだと書いたが、実際はそうでもない。老化対策はかなりの意志がないと出来ないことだ。
であるなら、組織の場合には、もっと明確で強い覚悟をもって、老化対策に向き合わねばならないだろう。
細谷さんは、組織の老化対策七箇条を提示してくれた。
まずは心構えとして
1)組織も老化すること(永遠の成長はないこと)を前提として、そのメカニズムを理解し受け入れる
短期的な対処療法としては
2)老眼鏡でみる=立ち止まって「ほんとにこれでいいのか」と考える癖をつける
3)大掃除する=定期的に仕事やルールの見直しをする
中期的な抜本対策として
4)混ぜるな、切り分けよ=トンガリ人材は別組織(子会社)に分けて自由に動かす
5)変えるな、置き換えよ=オペレーション人材を無理に尖らせようとしても無理、時間をかけてでも人材のポートフォリオを変える発想が必要
6)老いては子に従え=成長している子会社をコントロールしようとするな
長期的な価値観転換として
7)未来の会社は大きければいいと限らないのではないか。会社というものの概念をゼロベースで見直す必要もある
細谷さんが、組織の老化現象を巧みにマネジメント出来ていると評価している組織は、リクルート社である。
リクルート社は、OBも含めて巨大なエコシステムを形成しており、会社に在籍しているか否かを別にして、そのシステムの一員として生きていくことが出来ている、という見立てである。
夕学でもお馴染みの藤原和博さん(元リクルートフェロー)の不朽の名著『リクルートという奇跡』をもう一度読み直してみよう。

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