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夕学レポート

2015年06月24日

医療のポテンシャルを引き出す

yuji_yamamoto.jpg「あの頃、どうやって健康を守ってたっけ?」
と皆が思える社会を創ることが、山本雄士先生のめざすゴールである。
かつての医療の世界は、患者を死なせないことに最も価値を置いてきた。
その後医療技術は進歩し、次は病気を治すこと、現在では病気にさせないことが人々の求める医者の価値になりつつある。そして、健康を維持することに、人々の価値観もシフトしている。


私の母親なんて、友人と電話で話すたびに「いかに健康を維持するか」「いかに長生きするか」について、1時間ぐらいは平気で費やしている。
やれヨガだ、やれ体操だと、ほとんど家にいることはない。
その割には、徒歩5分で行けるジムまでの距離を車で行くのだから、健康意識が高いんだか、低いんだかよくわからない。
しかし、ジムにどはまりしていることは確かである。
この現状に、誰よりもついていけてないのが医療の世界である。
「旧来の利益モデルから出られない」ことが、医療現場が斜陽化する主な原因であると、山本雄士先生は指摘する。つまり、医者は来院した患者に診断・治療をし、お金を受け取るということから、抜け出せないのである。
マイケル・ポーターも「多くの場合、21世紀の医療技術が19世紀型の組織構造や経営手法、支払形式で提供されている」と言っている。
現代医療の技術にビジネスモデルを合わせていくことが必要とされているのだ。
自分と病院・医者との関係を考えると、この「旧来の利益モデルから出られていない」ということに、薄々気づいていた気がする。
上手く表現できないが、その勘付いていた感が、医療への不信感へと繋がっているように思える。というのも、最近では、目はPCのモニターを見ながら問診をし、薬だけはやたらと出す医者にばかりあたっており、ネットで入念に評判を調べるのが定番となっている。
今まで職業が医者だということだけで威張り散らしてきた人や、家族や親戚に医者がいるだけで、まるで自分の手柄のように話す、「ざます」的な人のことを思い出せば、医者が斜陽化することに、諸手をあげて「ざまぁ」と言いたいところだが、すべての医者や関係者がそういう人々ではないし、医療は生活には絶対に必要である。
山本雄士先生は内科医として活躍していたが、「病気になったらいらっしゃい」という今の病院のあり方を続けていたら医療は崩壊するのではないかという思いから、ハーバード・ビジネススクールにてマネジメントを学び、日本人医師として初めてMBAを取得した。医療にもやりくりが必要なのではないかと考えてのことだった。
そこでは、以下の5つについて聞かれる。

  1. 何と向かい合うのか?
  2. なぜ、あなたがそれをやるのか?
  3. それで、何が起きるのか?
  4. なぜ、あなたじゃなくてはダメなのか?
  5. 誰がどう喜ぶのか?

そして、医療のポテンシャルが活かしきれていないことに着目し、「ずっと元気で、の思いをカタチに」を理念に2011年に株式会社ミナケアを創業した。
「あの頃どうやって健康を守ってたっけ?」のエンドに向かって、さまざまなアイディアがある。
たとえば、「転ばない靴」。
本来、足はかかとから地面につくが、つま先から行くからこけるのである。つま先から地面につきそうになったら、感知してくれる靴を造れば転ばない。
ボツになったが、病院の壁をプロジェクターにする案もあった。
入院中の高齢者が、夜中に病室で目を覚まし暴れるケースが多い。理由は自分の部屋ではないからである。そこで、病室の壁をプロジェクターにし、自分の部屋を再現すればよいと考えた。
そして、「徘徊させたい街」。
私が住んでいる地域は、高齢者が多く、毎日のように行方不明の高齢者情報が市役所のスピーカーで流れる。
デパートでも、迷子のお知らせかなと思うと、「ベージュのシャツに、ベージュのズボン」ときて「ベージュの靴に、ベージュの帽子を被った男性を探しています」と、最後には年齢は80歳とくる。今後は迷子のお知らせはなくなり、全部高齢者探しの案内に占められるのではないかと思う。
認知症は患者の親族は大変だと思う。しかし、かつて家の近所にいて、朝から晩まで同じ所に座っていたおばあさんは、話しかけると「石原軍団待ってんの」と意味不明な回答が返ってきたが、その頓珍漢なところが、町の人々の癒しでもあった。
なので、「徘徊させたい街」の実現には興味がある。
「ヘルスケア」というよりは、気づかぬうちに健康が守られる「ステルスケア(=stealth care)」。健康維持に関しては意識が上がっているが、その先の意識しない健康維持を提唱する山本先生には、今後も注目していきたいと思った。
加えて…
今回の講演は、同じレビュアーのSさんの代打で聴きに行った。つまりは自分が得意な分野ではなく、また詳しい分野でもない。
しかし、医療の世界に従事したことがないからこそ、大きな視点へと導かれ、発見することが多いと思った。冷静にもなれる。
同じ、または近い業種であればあるほど、その人たちが挙げる具体例に縛られて動けなくなることがあるからである。
そう考えると、自分で選ばない講演を聴くのもまた良い。というか、より良かったのであった。
                                  

ほり屋飯盛

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