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夕学レポート

2015年11月05日

西條剛央先生に聴く、「チームの力を活かす組織論」

photo_instructor_792.jpg現在の肩書は、早稲田大学大学院商学研究科MBAコース客員准教授。そんな西條剛央先生だが、「僕、経営にはあまり興味ないんですよ」と呟く姿に、嘘は感じられない。
「ふんばろう東日本支援プロジェクト元代表」という肩書の方が、まだ、西條先生という人を表わしているかも知れない。大きな成果を収めたそのプロジェクトを、最初の宣言通り自ら閉じた(ので「元」代表)という経緯も含めて。
講演終盤の「僕はファウンダー(創業者)型なんです」という発言には、だから、さらに得心がいった。
現象学や構造主義などに源流を持つ「構造構成主義」を独自に構築し体系化するという、どちらかといえば理論的な仕事が中心だった西條先生。その日常を大きく動かしたのは、2011年3月11日に始まった東日本大震災だった。


被災地に足を運び、全国からの善意と被災者の窮状が行き違ったままになっている状況を目の当たりにした西條先生は、SNSを使って「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げた。
3000箇所以上の避難所や仮設住宅に15万品目以上の支援物資を届け、2万5千以上の個人避難宅等に家電製品を配布した。また瓦礫除去と被災者の就業に役立つ重機免許の取得を1500人以上に対し全額支援するなど、50以上の多様なプロジェクトが並行して走った同プロジェクトは、その後にも続く多くの実績を残した。
取り組みは、世界で(2014年、世界的なデジタルメディアのコンペティションである「Prix Ars Electronica」のコミュニティ部門でゴールデン・ニカ(最優秀賞)を受賞)、そして日本で(ベストチームオブザイヤー2014受賞)認められた。
が、何よりもその意味を高く評価しているのは、このプラットフォームを介して被災地とつながった10万人以上のボランティアと3000人のスタッフ、そして支援を受けた数多くの被災者の方々だろう。
といっても「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の詳細は今回の講演では触れられなかった。そちらに関心のある方は西條先生の著書『人を助けるすんごい仕組み—-ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』(ダイヤモンド社、2012年)を参照されたい。
この日の講演では、なぜそのようなチームが成立しえたのか、というところの理論的解説を中心に西條先生が思うところを述べた。こちらも、新著『チームの力—-構造構成主義による”新”組織論』(ちくま新書、2015年)がガイド本として先生本人より提示されたので、併せてご覧いただきたい。
西條先生は、いくつかの「本質」への洞察から論をはじめた。
「人間の本質には、肯定への欲望がある。すべての人は自らを肯定したい。自分で自分を肯定できないと人は不快を感じる。否定され続け自己肯定感が下がると鬱病になる。他者が強く肯定された時も、人は相対的に自己価値が低下したと感じる。この負の感情が嫉妬の本質である」
自分を肯定するために、西條先生が説くのは、他者を肯定することである。
「感謝の本質とは、『おかげさま』の心。人は、感謝しながら否定できない。ありがたい、と思っている時には自分も満たされている。それを相手に伝えれば、相手も肯定されて嬉しくなる。感謝の本質は自己と他者の二重肯定である。『感謝』の反対は『あたりまえ』と見做す心。お互いに感謝しあえれば、肯定の循環で組織は回る」
他者を肯定すること。それを具体的に言えば、他者の価値を知ることとなる。
「価値の原理は、関心相関性である。価値は欲望・目的・関心に応じて立ち現れる。他者の関心に関心を持ち、その人の関心の所在を把握すること」
関心は人それぞれ違う。中には互いに衝突するものも出てくる。
「信念から来る対立をどう解消するか。例えば、震災遺構を残したい人と壊したい人。それぞれの関心を両立させられないか。この場合、遺構を壁で囲み、見たい人だけ見られるようにする、という解決策がある。相手の絶対満たしたい関心が何かわかれば、それ以外は妥協が得られる余地がある」
人間の本質について考察した上で、論点は人間の集合体、チームに移る。
「チーム(組織)の本質とは何か。チームは何らかの目的を達成するために作られる。目的の本質を表したものが理念。理念は、組織の最重要関心であり、コンパスであり、最高規範であり、本質である」
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、復興の進展に合わせ、2014年9月に解体された。それは、立ち上げ時から「このプロジェクトはなくなることが目標です」と西條先生が訴えていた、その時が来たからだった。
ところが現実には、目的を達成したあとも存続しようとする組織が珍しくない。西條先生が紹介した、「最近、困っている人がいなくて、困ったなあ」というあるNPO関係者の呟きは、あながち笑い話ではないかも知れない。
ここで西條先生は、理念が徹底している組織の例としてトヨタを挙げた。講演を依頼された時の経験から、その「段取り力」の高さを(「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の帳尻を合わせる力、「帳尻力」と対比して)評価した。
組織の在り方としては、両組織は対極にあるように思える。だが、ひとつの理念の徹底ぶりという点では共通するものがある。恒久的な組織でも一時的な組織でも、バラバラな個人を束ねられるのは、きちんとした理念である。
「ある『方法』の有効性は、『目的・関心・志向性』と『状況』で決まる。状況と目的を抜きに良い方法を考えることはできない。いつでもどこでも絶対に正しい方法はない。方法は、放っておけば自己目的化する。だから組織は、この『方法の原理』を共有し、状況(過去・現在)と目的(未来)を見定めた意思決定の方法として使うべきだ」
ここで指摘されているのは、組織に関するいくつかの不条理な転倒である。「過去のための決定」。「組織のための仕事」。そして「方法のための目的」。
この不条理を食い止める役割を期待されるのが、リーダーである。
「リーダーシップは、状況の真ん中にいる自己の特性や状態により、大きく左右される。自分に合ったリーダーシップスタイルをとらないとうまくいかない。平均的な人を想定したリーダーシップは誰にも合わない。そして組織の関心はリーダーの関心に相関する。リーダーが信念を偽っても、それはメンバーに必ず伝わる」
そしてリーダーシップの本質は、つまるところ、肯定する力へと還元される。
「楽しそうにやっていると、人は寄ってくる。肯定する力が強い人、褒め上手な人のところに集まってくる。その人と一緒に居ること自体が褒賞になる。そこで集まった人に『これをやりたい』と言うと、一緒にやってくれる」
以上が、西條先生の当夜の論を、相当荒っぽく端折ってまとめたダイジェストである。肯定から肯定へ、あるいは肯定の肯定へ。一周した議論は完全な円環のようである。
ここでは敢えて、その輪に微細な切り込みを入れてみたい。
人が人を肯定するという行為は、西條先生が描き実践してきたように、正しく行われれば人を輝かせるものである。
一方で、古来、数々の悪しきリーダーが、肯定や褒賞を希求する人々の弱さに付け込んで彼らを自らの邪心のしもべとしてきたのもまた、事実である。
このようなダークサイドの存在に自覚的でなければ、一周した議論の表裏が悪意あるメビウスによって貼り変えられていても、誰も気がつかないだろう。
人の心の深淵を覗き込めば、その深みに吸い込まれそうになる。
人の心の崇高さを仰ぎ見れば、その高みに手を伸ばしたくなる。
人と人をつなぎ、被災地とそれ以外をつなぎ、現在と未来をつないだ西條先生。構造構成主義という、”貫く棒の如きもの”が次に指し示す本質に、注目したい。

白澤健志

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