夕学レポート
2017年01月27日
人生は噛みしめるように生きる 田口佳史先生
かなりドラマチックな転機を迎えた田口佳史先生。25歳の時、ドキュメンタリー映画の撮影のため訪れたバンコク郊外で2頭の水牛に角で刺されてしまう。日本人の青年が入院していることを聞いた在泰邦人からの差し入れられた老子と論語、なかでも老子は田口青年の中にどんどん入っていく。
出でて行き
曰ち逝き
逝けば曰ち遠ざかり
遠ざかれば曰ち返る
入りて死す
「死ぬことはすなわち故郷に帰ること」、そう恐れることではない、その思いが強力な安堵感へとなり、ようやく眠ることができた。そしてこの経験から儒教、仏教、道教、禅仏教、神道を専門として、はや50年も古典を研究する日々を送っている。田口先生はこれらの分野に対して(その転機を考えれば当然かもしれない)、「生きる」というテーマで読む。
西洋思想における真理とは誰にでも見える所にあるもの、つまり真理の探求には「普遍性」が大変重要視されているそうだ。対して東洋思想では「すべては自分の内にある」で、内にあることを重視する。
例として東洋思想の一つである仏教が挙げられた。仏教では「生まれながら人は既に仏で悟っている存在」である。数多の僧がその考えに従っていたが、一人だけこの考えに疑問をもつ僧がいた。「生まれながらに仏であるならば修行の意味とは何か」鎌倉時代を生きたこの僧は全国の高僧を訪ね歩き、その答えを求めた。会った中の一人、栄西に中国で学ぶように勧められ、僧は中国に渡る。「今だ修せざるには現れず 証せざるには得ることなし」(修行して悟らなければ、真の悟りとはならない)との考えに至り、逆に修行の重要性を悟る。僧の名は道元、至った先は「只管打坐」。ただひたすら坐禅の実践を求める、曹洞宗の祖となった人物である。
私はこの道元のとった行動が好きだ。定説への異を恐れずに答えを求めて全国を訪ね歩き、勧められて素直に海外へ渡る(当時は今よりも海外渡航ははるかに大変だったのに)。なんて柔軟で強靭な人だろう。真理を追究する行動の素直さは眩しいほどだ。察するに道元は真理を求める心があまりにも強く大きくて、こだわりが小さくなってしまったのだろう。ここでいう「こだわり」とは定説に対するこだわり、異を唱える恐れへのこだわり、過去、現在、未来に対するこだわり、自分の命に対するこだわりである。だからこそ未知の世界にあっさり飛び込んでいけたのだろう。田口先生は「人間は『いまここで』(Here and Now)しか生きられない。それはつまり「覚悟を決める」ということです」と言う。その考えに沿って考えると、道元は「いまここで」生きる目的を真理の追究に定め、覚悟を決めて行動したのだろう。生き方が何とも清々しい。
仕事を修行の一つとして行う仏教は次第に日本人の行動規範の一つとなった。ひとつひとつ丁寧に心をこめて仕事を行うその姿に、明治期に来日した数多の外国人は目を見張る。世界中を見ても類がない国だと。しかし感動的な話に水を差して真に恐縮だが、ならばなぜ(共産党以前の)中国、あるいは仏教国のタイに同じような話がないのだろうか。この話の真偽に疑問を呈する訳ではないし、田口先生の講演にケチをつけたいのでもない。がしかし、ここ数年新聞テレビ、ネットで多く見かける「日本ってスゴイ」式の日本称賛に危惧の念を抱く者としてはこの点についてはもう少し説明や、あるいは日本以外の国の仕事ぶりに対する外国人の評価を紹介して欲しかった。ともあれ、「東洋思想では一般生活の中にしか修行がない」という田口先生のお話はその通りと感じている。例えば西洋では学校の掃除は業者なり、学校内の掃除夫なりの仕事で生徒にさせるものではないと聞く。かつて新聞で日本の学校教育における掃除、特にトイレ掃除への各国の評価が紹介されたことがあった。東アジア諸国では比較的理解は得られてはいたものの、その他の国ではとりわけトイレ掃除には否定的な意見が寄せられていた。自分で掃除するとなればきれいに使うことに繋がり、よそで使用する時も同様に考えようになるので良いと思うのだが、他国ではそういう意味にならず、別の意味にとられる事もあるようだ。
田口先生は西洋との比較を用いながら東洋を説明する。西洋の二元論に対し、東洋は陰陽の思想であり、強さは「克己」、己に勝てる人、柔弱は剛強に勝るという。柳のように回復する力、それはとりもなおさず最近よく言われるレジリエンスのことだと。レジリエンスはつまり老荘思想で、最新のアメリカの経営論のキーワード、invisible(見えない)、intangible(触れられない)、inaudible(聞けない)、これらも東洋思想がベースとなった剣の奥義「前のように後ろが見えるか」「見えないものを見る」と同じ。西洋にも東洋思想が回りまわって入ってきている。西洋が東洋に近づいてきているのだ。
田口先生はさらに言う。「グローバル化」時代に思想の違う相手と接するなら自分の強みを、誰にも負けない分野を持てと。それはおのずと滲み出てきて相手からも尊敬される。そうしたものを求めるべきだと言う。始めるにはやさしいことからで良い。やさしい事ができない者には難しい事はできない。あまり難しく考えても却って悪かろう。まずは踏み出す。道に直接ぶつかれ。人生を愉快に暮らすには経験を整理して法則化せよ。古典には「いまここで」を生きるための知恵がたくさん詰まっている。味わいのある人生になるだろう。
(太田美行)
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(株)TBSテレビ コンテンツ制作局ドラマ制作部、演出家・映画監督
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