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ピックアップレポート

2003年11月11日

ビジネスプロフェッショナルのための交渉学

田村次朗 慶應義塾大学法学部教授

交渉学が普及しない理由
P.F. ドラッガーは、著書『ネクスト・ソサエティ』の中で、知識社会の新たな担い手、知識労働者が企業や組織において決定的に重要な存在になると指摘する。この知識労働者は、従来のホワイトカラーや管理職とは全く異なる存在である。知識労働者は、よりフラットで流動的な人事システムの中で、文字通り、高度な専門知識だけを唯一の頼りに働かなければならない。そのため、知識労働者は、自らの高度な専門知識を常にアップデートする努力と、よりフラットな組織の中で他の知識労働者たちと良好なコミュニケーションを形成できる能力を見につける必要がある。現在、終身雇用を中心とした従来の日本型労使システムが大きな変革を迎える中、ビジネスマンにとって、この知識労働者社会は、自分には関係のない「他人事」とはいえないだろう。少なくとも知識労働者として必要になる二つの能力のうち、自分の業務とは直接関連性の薄いコミュニケーション能力については、意識的に学習する必要がある。


この点、日本は、コミュニケーション論や交渉学について、それを教育するという発想に乏しかったといわざるとえない。日本の場合、交渉は「誠意」が重要であり、交渉テクニックはくだらないとか、交渉の仕方は経験を通じて学ぶものであって、他人に教えてもらうものではないという偏見が交渉学の普及を阻害してきたといえよう。
しかし、アメリカのプロフェッショナルスクールである、ビジネス・スクールやロー・スクールでは、以前から、コミュニケーション論や交渉学が正規の科目として教育されているのである。そして、「ハーバード流交渉術」で有名なロジャー・フィッシャー教授を有するハーバード・ロー・スクールでは、交渉学は、学生の中でもっとも人気のある科目となっている。このようにアメリカのプロフェッショナルスクールでは、知識労働者に求められる専門知識とコミュニケーション・交渉能力について体系的な教育体制を整えているのである。これに対して日本では、新卒を中心とする雇用システムもあって、プロフェッショナルスクールや交渉学は、大学・大学院教育において決して一般的な存在とはいえなかった。このような日米の格差は、グローバル社会におけるビジネスや外交交渉において、時折耳にする日本の劣勢にも影響を与えているといえる。
日本全体の能力を高める
しかし、その日本にも変化の兆しが見られる。司法制度改革の一環として、2004年に開講が予定されている法科大学院構想(日本版ロー・スクール)は、その好例である。この法科大学院構想は、制度設計及び教育内容に関してまだ多くの課題を抱えているものの、21世紀の日本社会に必要とされる新しいタイプの法律専門家を育成するプロフェッショナルスクールを実現するという可能性も秘めているといえる。
そして、私がこの法科大学院で是非とも実現したいと考えているのが、交渉学講座の開設である。本格的なプロフェッショナルスクールとして法律専門家が単に法的知識の専門家にとどまらず、あらゆる紛争や問題を解決する専門家として活躍するため、交渉学を体系的に教育することが法科大学院の成功にも大きな影響を与えることになると考えている。そして、交渉学のスキルを身につけた学生が、法曹界のみならずビジネスの世界や政府部門に進出することで、日本全体の交渉能力が向上することになればその効果は非常に大きいといえるだろう。
そのような思いもあって、現在、私はMCCにおいて主としてエグゼクティブを対象とした、交渉学の講座を担当している。この講座では、企業において、既に多くの交渉経験を有している受講者を対称に、その豊富な経験を体系化するためのロールプレイや、論理的な交渉力を育成するクリティカル・シンキングなど新しい方法論を紹介することで、自らの交渉力の補強と同時に、組織全体の交渉力のマネジメントに関するスキルを提供している。さらに交渉学では、講師と生徒のコミュニケーションに基づく「相互学習」が実現できるというメリットがある。
このように交渉学は、閉塞した日本の高等教育を打開する大きな可能性を秘めているのである。
(『月刊丸の内』 9月号より)

田村 次朗
慶應義塾大学法学部教授

ハーバード大学ロー・スクール修士課程、慶應義塾大学大学院法学研究科民事法学専攻博士課程修了。専門は経済法、国際経済法、および交渉学。各省庁などの委員を務めるとともに、日米通商交渉、WTO(世界貿易機関)交渉における政府への助言、ダボス会議(世界経済フォーラム)への参加等、最前線における国際交渉の活躍経験もある。またその一方で、実務教育としての「交渉学」の開発に取り組んでいる。
著書に『WTOガイドブック』、『交渉の戦略 思考プロセスと実践スキル』など。

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