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池尾 恭一『入門・マーケティング戦略』

2016年11月08日

日本の企業の強みはものづくりにあるといわれてきました。ところが、そのものづくりのすばらしさが必ずしも業績に結び付かず、苦戦を強いられる事例が多くみられます。つまり、よい製品をつくっているのに、うまく売れないのです。それにはいくつかの理由が考えられますが、その一つが広い意味での売り方の拙さ、つまりマーケティングの拙さです。

今日の日本の企業において、業種を問わず、マーケティングがますます重要性を高めていることは間違いないでしょう。『戦略マーケティング入門』はこのマーケティングを初めて学ぶ人たちを対象とした入門書です。

そのため、本書では標準的なマーケティングの体系をできる限りやさしく解説することに心掛けました。ただ、マーケティングは日進月歩しています。そうした最先端の動向もできる限り取り入れるようにしました。また、企業におけるマーケティングのあり方を決定的に左右する、マーケティング戦略に焦点を合わせました。よりよいマーケティング戦略をつくるためには、企業を取り巻く環境を理解し、それらをもとに創造力を発揮して、考え抜く必要があります。そのためのガイドラインを提供するが、本書の目的です。(はしがきより)

マーケティングへの招待

 

1.マーケティングとは

 
例えば、あなたが、テレビ広告で興味を引かれたインスタント・ラーメンをコンビニ(コンビニエンス・ストア)の店頭でみつけ、価格も手ごろなので、試しに買ってみたら、その味がすっかり気に入って、また買いに行ってしまったとしましょう。現代社会におけるこのような状況は、当該インスタント・ラーメン・メーカーのマーケティング活動による部分が少なくありません。

インスタント・ラーメン・メーカーの観点から、こうした状況をつくり出すためには、例えば、狙いとする顧客(標的市場)を見定め、その顧客が特定の状況において気に入りそうな製品の開発をするというのは効果的でしょう。また、その製品の出荷価格やメーカー希望小売価格をいかに設定するかも、重要です。さらに、その製品の存在を標的となる消費者に知ってもらうために、いろいろな広告を行い、また、コンビニをはじめ、この製品を売るのに適切な小売店で取り扱ってもらえるよう、手配する必要もあります。

このようなさまざまな手段(マーケティング手段)を動員して、販売を体系的・効率的・効果的に支援するのがマーケティングです。

2009年に、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称『もしドラ』、ダイヤモンド社刊)という本が出版され、大変に話題になりました。この本のタイトルにある、ピーター・ドラッカーは、アメリカの有名な経営学者です。そのドラッカーの言葉を借りれば、「マーケティングの目的は、顧客について十分に理解し、顧客に合った製品やサービスが自然に売れるようにして、セリングを不要にすること、なのです(Dracker 1974)。

もちろん、ここでいうセリングとは、「販売」ではなく、「売り込み」といったニュアンスです。つまり、無理して売り込まなくとも自然に売れていくような「仕組みや仕掛け」こそが、マーケティングなのです。

上でのべたようなマーケティング手段は、4Pで知られる、製品(Product)、価格(Price)、プロモーション(Promotion)、流通チャネル(Place)の四つのカテゴリーに分類されます。また、マーケティング手段の組み合わせは、マーケティング・ミックスと呼ばれています。このマーケティング・ミックスの決定、つまり、製品をどのようなものにするか、価格をいくらにするか、広告などのプロモーションをどのように行うか、どのような小売店で売るか(流通チャネル)の決定は、マーケティングにおける大切な仕事です。

マーケティングにおいては、マーケティング・ミックスを標的市場に合わせなければなりません。つまり、顧客の好みや行動に合った形に4Pを決めていくわけです。

ただ、標的市場にマーケティング・ミックスを合わせようとしているのは自社だけではないのが普通です。当然のことながら、競合各社も、自社の製品を顧客に買ってもらえるよう、同様にマーケティング・ミックスを標的市場へ合わせようとしています。したがって、競合状況のなかで、顧客からの購買に至るためには、標的市場へのよりよい適合が必要になり、そのためには、標的市場から成る市場環境とともに、競争環境の理解が求められます。また、この標的市場への適合競争は、流通環境、技術環境、政治環境など、さらに多くの環境要因に囲まれたなかで行われるのが普通で、したがって、それらさまざまな環境要因への目配りも必要になります。
 

2.マーケティングの登場

 
このマーケティングが生まれたのは、19世紀末から20世紀初頭のアメリカだといわれています。当時アメリカでは、大量生産技術や大規模生産技術がさまざまな産業で次々と導入されていました。つまり、生産段階での大規模化による効率の追求により、費用の削減と競争力の強化が目指されていました。しかし、工場に投資を行いライバルより効率的な生産を行うことができるようになったとしても、それが成果として実を結ぶためには、生産された製品が販売されなければなりません。マーケティングは、このような形で生産体制への投資が行われているなかで、販売を体系的・効率的・効果的に支援するための活動として登場しました。

例えば、シンガーミシンは1880年代に大規模な生産設備を完成させて、実に全世界の75%のミシンを製造するとともに、それらの販売のためにより直接的かつ効率的な流通チャネルを採用していったといわれています。

また、石鹸などで知られるP&Gも同じ頃、アイボリー石鹸等の製品を生産するために大規模な工場を建設するとともに、大規模な広告と販売支店網の創設に乗り出しました(Chandler 1977)。

こうした動きのなかでどれをマーケティングの原点とするかを見定めることは必ずしも容易ではありません。ただ、19世紀末のアメリカにおける生産能力の増大が、そこで生産された製品をいかに売るかという販売問題の重要性を高め、やがてマーケティングを生み出すことになったという流れは、間違いないでしょう。

フォード自動車の創業者であるヘンリー・フォードが、新しい組み立てラインにより自動車の大量生産を始めたのは1908年のことでした。この組み立てラインによる大量生産が、販売価格の大幅な切り下げを可能にしました。その結果、登場したのがモデルTという自動車です。

もっとも、フォードによるモデルTの価格切り下げは、顧客志向の考えに基づくものでした。つまり、低価格を実現すれば、大量販売が見込めるであろうというフォードの読みによるものでした。価格が需要拡大の障害となっているとき、フォードにみられるような、大量生産技術を背景とした価格の切り下げは、ライバルに打ち勝つという競争的観点のみならず、市場拡大の観点からも意味があります。また、一体いくらまで価格が下がれば市場が爆発的に拡大するかに関する判断は、多くの場合マーケティング上非常に大切です。フォードはこの判断をきわめて適切に行ったわけです(Levitt 1962; Chandler 1964)。

しかし、仮に需要拡大の障害が価格にあり、大量生産技術の導入によって費用の削減が可能になったとしても、それだけで販売の拡大が可能になるとは限りません。販売の拡大には、流通チャネルをはじめ、販売を体系的・効率的・効果的に支援する活動が必要になることも少なくありません。つまり、マーケティングです。このように、少なくとも当初のマーケティングは、生産技術の改良による費用削減を需要に結びつける活動という側面が強かったといってよいでしょう。
 

3.顧客志向のマーケティング

 
1920年代までのアメリカのマーケティングは、高圧的マーケティングと呼ばれ、生産技術の改良による費用削減を需要に結びつけるという色彩が強いものでした。アメリカでは1929年から有名な大恐慌が起こります。これをきっかけに、マーケティングは、コペルニクス的転換と呼ばれた大転換により、顧客志向の低圧的マーケティングに向かっていきます(森下 1959a; 1959b)。

大恐慌のもとでは、売り手が大規模な生産設備を維持しているにもかかわらず、買い手の購買力は低下してしまいます。その結果、需要が停滞すれば、売り手間の競争は激化します。しかも、大量生産体制のもとでの消費生活に慣れ親しんだ買い手は、製品をみる目を向上させています。こうしたなかで、ライバルに打ち勝って買い手に選択されるためには、より買い手の立場に立ったマーケティングが必要になります。つまり、つくったものをいかに売るかという、製品を起点としたプロダクト・アウトの発想ではなく、売れるものをいかにつくるかという、市場を起点としたマーケット・インの発想への転換が求められます。このマーケット・インの発想に基づくマーケティングこそ、顧客志向のマーケティングにほかなりません。

これが現代におけるマーケティングの考え方であり、そのための活動が現代のマーケティング活動です。

このマーケティングを行うのは、企業などの組織体です。これらの組織体は、売上拡大や利益拡大といった目標を達成するために、マーケティング活動を体系的・効率的・効果的に行う必要があります。そのためにはさらに、マーケティング活動をうまく管理していかなければなりません。このマーケティング活動に対する管理が、マーケティング・マネジメントです。したがって、マーケティング・マネジメントは、企業など組織体の経営管理の一翼を担うものだと考えてよいでしょう。

なお、本書の以下の記述では、マーケティングを行う組織体として企業を想定していますが、それらの記述のほとんどは、学校、病院、自治体などの組織体がマーケティングを行う場合にも適応可能です。

日本の場合、マーケティングが本格的に導入されたのは第二次世界大戦後の1950年代半ばのことでした。当時は折からの高度経済成長のもとで需要の急激な伸びがみられ、供給がそれに対応できない場面も少なくなく、それだけに、つくったものをいかに売るかという高圧的マーケティングの要素も少なくなかったように思われます。

ところが、1970年代中頃を境に、日本経済は経済成長率を低下させて安定経済成長期へ移行し、さらに1990年代にはバブル経済崩壊後の経済の低迷を経験しました。その結果、日本においても、顧客志向の現代的マーケティングの考え方の必要性が次第に高まっていきました。

したがって、マーケティングやマーケティング・マネジメントの考え方自体は、1950年代半ばから導入されてきましたが、顧客志向のマーケティングが本格的に求められるようになったのは、業界によって違いはあるものの、それほど古いことではないといえるでしょう。
 

4.マーケティング戦略とマーケティング・ミックス

 
マーケティングを実施していくためには、市場環境や競争環境といった外部環境をできる限る正確に把握したうえで、そうした環境へのマーケティング・ミックスの適応を方向づける枠組みが必要になります。これがマーケティング戦略です。

マーケティング戦略とはなにかについて、最もよく知られている枠組みはSTPと呼ばれるものです(Kotler and Keller 2006)。STPとは、市場細分化(Segmentation)、標的設定(Targeting)、ポジショニング(Positioning)の頭文字をとったものです。
 

市場機会の識別と市場細分化・標的設定

 
マーケティング戦略においては、まず、市場機会が識別されなければなりません。つまり、どこにビジネスのチャンスがあるかの識別です。
そのうえで、対象となる市場のなかで、競争上の優位性という配慮を踏まえながら、どの部分を標的とするかが決められなければなりません。
そのために、マーケティング戦略では、なんらかの基準によって、多様な購買がそれぞれのなかでは相対的に同質的ないくつかのグループ(セグメント)に区分されます。すなわち、買い手のニーズはさまざまでしょうし、同じ買い手であっても、場面によってニーズは異なります。こうした多様な購買をいくつかのセグメントに分けて、セグメントごとにマーケティング手段を適合させていくというのが、市場細分化の考え方です。

市場細分化では、なんらかの基準によって市場がいくつかのセグメントに分けられます。例えば、年齢によって市場をいくつかのセグメントに区分する、どこに住んでいるか(地理的特性)によって市場をいくつかのセグメントに区分する、どのようなライフスタイルをもっているかによって市場をいくつかのセグメントに区分する、といった具合です。

市場を細分化したうえで、当該マーケティング・ミックスにおいて標的とすべきセグメント(標的市場)が選択されます。市場細分化の結果つくられたいくつかのセグメントのなかで、どれを選ぶかの標的選択基準としては、それぞれのセグメントにおけるニーズの性格や競争の程度、それぞれのセグメントに対応するさいの必要資源、社内外に有する強み・弱み、収益性、企業目標との関連、といった要因があげられます。

どのような基準で市場を細分化し、どのセグメントを標的にするかというつく業は多分にクリエイティブな作業であり、他に類をみないやり方でセグメントを切り取ることで大きな成果を達成した事例も多くみられます。

例えば、QBハウスという美容店チェーン店が、時間志向、節約志向のセグメントに焦点を当て、シャンプー、ブロー、シェービングなどのサービスをやめることによって10分1000円という短時間、低価格のヘアカットサービスを実現したというのは、そうした例の一つです。

どのようなセグメントを標的として選択するかによって、マーケティングを取り巻く環境は変わってきます。つまり、標的設定とは、セグメントの切り取りであり、環境の選択です。したがって、どのような形でセグメントを切り取るかについての種々の可能性を検討するためには、環境分析を行うことが必要になります。また、いかにセグメントを切り取りがクリエイティブな作業だとしても、そうして切り取られたセグメントに対して、マーケティング上の打ち手が検討される以上、セグメントは規模が測定可能であるとともに、広告や流通チャネルによって到達可能なものでなければなりません。

このように、マーケティング戦略形成においては、最初に似かよったニーズを有する顧客グループに市場を細分化し、それらのなかで標的を設定するという、市場細分化と標的市場の設定が行われます。
 

ポジショニング

 
次はポジショニングです。ポジショニングとは、標的となるセグメントの顧客に提供される、価値の設計です。価値の設計は、いかなる価値を提供するか(提供価値)といかなる方法で価値を提供するか(提供方法)に分けられます。例えば、先ほどのQBハウスの場合、短時間・低価格での「手軽なヘアカット」というのが提供価値であり、それを実現するための独自のヘアカットのやり方やさまざまな設備・機器・備品が提供方法です。
 

マーケティング戦略と4P

 
このSTPの枠組みによって、誰に対して、いかなる価値をいかに提供するかが方向づけられます。こうした価値を実現するための具体的計画がマーケティング計画であり、その内容は4Pの組み合わせとしてのマーケティング・ミックスとして示されます。あるいは、この枠組みによって、差別的優位性という観点から、マーケティング・ミックスに一貫性が提供されるといってもよいでしょう。

一般に、標的市場の設定や提供価値・提供方法のあり方には、膨大な可能性が存在し、新規性や独自性が重要な役割を果たします。マーケティング戦略形成にはクリエイティブな要素が強い、つまり創造的な思考が求められるというのはそのためです。ただ、マーケティング戦略の目指すところは、顧客により大きな価値を提供して、かれらがその製品に支払ってもよいと考える価格(支払意思価格 = Willingness To Pay = WTP)を高めるか、従来と同様の価値をより低いコストの方法で提供するか、この両者の組み合わせということになります。

これに対して、マーケティング戦略があたえられたなかでのマーケティング・ミックスの決定には、ある程度の決まったやり方が存在します。つまり、「このようなときは、こうしたらよい」という決まったやり方です。

例えば、納豆のような食品の流通チャネルを例に考えても、標的が単身者の場合はコンビニが、主婦の場合スーパーが強調されることになるでしょう。また、カメラやオーディオのような製品の場合、詳しいマニアのような顧客には印刷媒体によるプロモーションが向いているのに対し、一般顧客にはテレビ媒体によるプロモーションが効果的になる、といった具合です。

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入門・マーケティング戦略』(有斐閣)より著者と出版社の許可を得て転載。無断転載を禁ずる。

池尾恭一(いけお・きょういち)
1973年慶應義塾大学商学部卒業。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程、博士課程、関西学院大学商学部専任講師などを経て、1988年慶應義塾大学大学院経管理研究科助教授、1994年教授。1981年-82年ペンシルバニア州立大学に、1988年ハーバード大学にそれぞれ客員研究員として留学。2005年10月同研究科委員長兼ビジネス・スクール校長に就任(2005-2009年)。2014年4月から現職。商学博士(慶應義塾大学)。『マーケティング・ジャーナル』誌編集委員長(1999年-)、日本商業学会会長(2011年-)。

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