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清水 勝彦『機会損失:「見えない」リスクと可能性』

2018年10月09日

清水 勝彦
慶應義塾大学大学院経営管理研究科 ビジネス・スクール教授

はじめに

 Silver Blaze(邦題『銀星号事件』)で、おなじみのシャーロック・ホームズは、「起きたこと」ではなく、「起きなかったこと」、つまり「番犬が吠えなかったこと」に注目し、事件を解決します。
 当たり前ですが、起きたこと以外に起きないことは無数にあるわけで、普通はそこまで考えない。そこに「盲点」が生まれます。ホームズの洞察力とは「見える」証拠だけに引きずられることなく、「見えない」重要な点、全体像を想像することができたということではないでしょうか。
 本当に重要なことは、目に見えないことが多いのです。特に、「何かをやること」のコストとリターンはよく見えますが、それによって見えなくなること、つまり、「やらなかったこと」や「できなくなったこと」がより重要であったりするのです。これが機会損失です。

 機会損失を一言でいえば、「得べかりし利益」です。単純な例を挙げれば、私もかかわるMBAがあります。MBAを取得するために、会社を辞めたとしましょう。MBAの費用対効果としては、一般的に行く前のサラリーから卒業後のサラリーがどれだけ上昇したか、それにいくら払ったのかというROI(Return on Investment)が話題になります。
 この投資(Investment)に相当するMBAの学費自体は当然コストですが、機会損失ではありません。機会損失とは、もし会社を辞めずに働いていたら、これだけ収入を得られた、これだけ成長できた、こんなチャンスもあった..ということです(なかったかもしれませんが)。
 また、以前に総務省と消費者庁が「ゼロ円スマホ」をなくせという指導をしていたのをご記憶の方も多いでしょう。それは頭のいい人が考えたのですから、たぶんいいことなのでしょう。
 しかし、市場原理が働く世界にそうした「お上の指導」が必要なのでしょうか。そして、おそらくシャーロック・ホームズが指摘したならば、「お上」は税金を使って他にもっと大切なことができなくなっているということではないでしょうか。
 全く同じことは、テレビにも言えます。毎日のように垂れ流されている政治家や芸能人のスキャンダル報道、さらには、それを喜んで見てしまう私たち。もちろん、私たちがそもそも政治家に何を求めているのか(求めるべきか)という話や、なぜ、どこもかしこも同じようなニュースを流しているのかという点はあるわけですが、より本質的で、しかも見えない問題は、そうしたバカなニュースが流されることで、別の重要なニュースが流されないということです。
 機会損失の本質的な問題は、「見えない」ことにあります。結果として、気をつけようと思っても、目の前の案件やプロジェクトに気を取られ、「もしこの案件に時間を取られなかったら何ができるか」とか「他により重要な案件はないのだろうか」ということにまでなかなか注意が行き届きません。
 しかし、個人も企業も資源は有限です。優先順位の低いことに時間を取られれば、本来やらなくてはならないことに対する投資が減り、ジリ貧は避けられません。本当の問題が見えるくらいに大きくなったときには、だいたい手遅れです。

 この見えないコストである「機会損失」について、本書では次の四つの視点から考えてみたいと思います。
 まず、基本的なポイントとして「Aをやれば、Bはできない」という ①「決定そのもの」に関する機会損失。特に、経営戦略でいわれる限られた資源の配分、「何をやるかだけでなく、何をやらないかをはっきりさせる」という点です。逆に言えば、AをやるためにはBを捨てなくてはならないということでもあります。
 次に、そもそもの戦略を意思決定する、これには「何かをする」という意思決定もあれば、「やめる」という意思決定もあるわけですが、その意思決定の②「プロセス」にかかわる機会損失です。つまり、「Aをやるかどうか」について、たとえば一カ月かけて検討するということが起きると、その意思決定のための情報収集、会議、マンパワーのコストがかかります。もし一週間で決められていれば、残りの三週間をより有益なこと、あるいは別の案件に使えるはずです。
 そして、③後悔のコストです。これには二種類あって、一つには意思決定の前に「後悔したくない」とか「悪い意思決定をしたくない」ということで、さまざまな可能性を探り、選択肢を検討するときに起こる機会損失があります(これは広く捉えれば二番目の「プロセス」にかかわる機会損失の一部ともいえます)。
 もちろん、多くの選択肢の中から選ぶこと自体は、より良い決定に近づくという意味で悪くないのですが、迷ってばかりいれば、いつまで経っても決まりません。結果として、早く決めて、さっさとやっていればそれなりの成果が出せたのに、「熟考」のために何の行動も成果もないとすれば、大きな機会損失が出ています。
 もう一つの「後悔のコスト」は、意思決定をした後に「ああすれば良かった」「やっぱりこうしたかった」などと思って時間を費やす機会損失です。結婚やマンションの購入だけでなく、企業の戦略意思決定でもよく見られます。M&Aをしたが、シナジーがなかなか生まれない。現場はいろいろと文句を言うし、投資家もマスコミも失敗だったなどと盛んに言う。どうしよう。続けるべきか、やめたほうがいいか……。いわゆる「ぶれる」ことで資源が浪費されたり、発散したりするコストです。
 そして、最終的に考えなければいけないのは、④「機会損失」を最小化すること、つまり優先順位づけです。繰り返しになりますが、人も組織もマスコミも、どうしても「見える」そして「目立つ」ことに気を取られがちです。したがって、いったん選択肢が提示されてしまうと、それ以外にないと思ったり、機会損失の概念を忘れて優先順位が低いけれど目立つ案件に資源が怒涛のようにつぎ込まれるということが起きます。
 特に注意したいのが、経営者による機会損失は、自分だけではなく会社全体に及ぶ点です。M&A戦略で、ある会社を買収したら、別の会社が買えなかったという単純な話だけでなく、ある決断、選択、アクションをすることで、社員はもちろん、顧客、投資家、取引先に「自社はこういう方向で行きます」とか「これは大事ですが、これは大事ではありません」というシグナルを発することになるという点です。トップの何気ない一言を聞いた社員が、「会議で言っていたこととは違う」とばかりに「ぶれ」を増幅させることもあれば、「そこまで言うのなら」とトップの本気に触れて気合いを入れ直すこともあります。
 先ほどのテレビの例を考えてみてください。他局がしゃかりきになってスキャンダル報道を取り上げているときに、別の局が日本の高齢化問題を取り上げていたらどうでしょう。「スキャンダル報道を流せなかった(結果として、もしかしたら何パーセントかの視聴率を失った)」という機会損失はあるのでしょうが、「当局はこういう方針です」とか「他局とは違うのです」というメッセージを鮮明に打ち出すことになります。
 それによって、より良い評価を得ることができたとしたら、もしかしたら機会損失は広い意味でマイナスだったとして、目先の話題性のあるニュースを捨てることによって、長い目で見た評判という重要なものを手に入れたといえるかもしれません。私流に言えば、これこそが戦略的というべき点です。「肉を切らせて骨を断つ」や「損して得取る」ことこそが戦略の本質であるからですが、これは後に触れます。
 結局、機会損失を考えるとは、意思決定の基準、価値観を考えるということにほかなりません。自分、自社がどの目的を、どの時間軸で達成したいのか、そのためには限られた資源をどう配分したらよいのか。目に見えること、結果がすぐ出ることにどうしてもとらわれてしまいがちな私たちの頭のどこかに、機会損失の概念を持つことで、より戦略的な意思決定と行動ができるはずです。
 本書は、基本的にビジネスパーソンを対象にしていますが、決められなくて困っている、いつも後悔ばかり、といった方々にも何らかのヒントをお伝えできればと思います。

 

機会損失: 「見えない」リスクと可能性』の「はじめに」を著者・出版社の許可を得て掲載しました。無断転載を禁じます。

機会損失: 「見えない」リスクと可能性
著:清水 勝彦; 出版社:東洋経済新報社; 発行年月:2018年9月; 本体価格:1,944円
清水 勝彦(しみず・かつひこ)
  • 慶應義塾大学大学院経営管理研究科 ビジネス・スクール教授

1986年東京大学法学部卒業。1994年ダートマス大学エイモス・タックスクール経営学修士(MBA)、コーポレイトディレクション(プリンシプルコンサルタント)を経て2000年テキサスA&M大学経営学博士(Ph.D.)。同年テキサス大学サンアントニオ校助教授、2006年准教授(テニュア取得)、2010年より現職。専門分野は経営戦略立案・実行とそれに伴う意思決定、戦略評価と組織学習。米国での学会、論文発表多数。日本企業の研究や幹部研修などの実績も多い。

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