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政治社会哲学「第三の道」を考える

2005年09月13日

茂木愛一郎 株式会社慶應学術事業会 代表取締役副社長

1.はじめに
いま「第三の道」というと、前には聴いたことがあるが最近聴かなくなった言葉という印象を持たれる方が多いのではないかと思う。かつて自民党政権下、1999年の『経済戦略会議』最終答申のなかで、日本が目指すべきこれからの社会の青写真として、「アングロ・アメリカン・モデルでもヨーロピアン・モデルでもない、日本独自の第三の道ともいうべきもの」が取り上げられたことがあった。自民党ながら小泉首相のリーダーシップのもと、このようなビジョンがでてくることはなくなっている。


「第三の道」の言葉を何と言っても有名にしたのは、英国首相のトニー・ブレアである。「第三の道」は、1997年の英国総選挙において労働党が政権を取ったときの思想的なバックボーンであり、21世紀に向けた政治社会哲学として旧来の社会民主主義と新自由主義を乗り越えるものとして提唱されたものである。今日、ブレアの政治家としての相対的凋落が「第三の道」の価値を貶めている面もあるが、前世紀20世紀において繰り返し議論とされてきた自由の問題や資本主義・市場主義と社会主義の対立の問題を検討し、今後のあるべき社会を構想している点からみて、「第三の道」は今日大いに検討されるべき政治社会哲学と考える。ただし、ここで重要なのはその哲学の内容であり、「第三の道」という言葉が想像させるものではないことをお断りしたい。
以下では、「第三の道」の思想をその原点に戻って確認し、見直しが進む福祉国家観の検討などを行いながら、今日それをまとまった形で提唱しているロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)前学長の社会学者アントニー・ギデンズの所論に従ってみていくこととしたい。
2.「第三の道」の系譜
資本主義の現実と社会主義の理想を調和させることを目的とした、いわば「第三の道」を求める思想の動きは、19世紀末まで遡ると言われている。ローマ教皇レオ13世は1891年にローマンカトリック教会に発した回勅(レールム・ノヴァールム(新しき事態))において、資本主義の発展のもとで経済的不平等の極度の進展や悲惨な労働者階級の状態を直視するとともに、一方でその解決策の筈の社会主義が人間のもつ妬み・嫉みを基本原理に置くことを喝破し、それが本質的に人間性の否定に繋がる幻想にしか過ぎないとの警鐘をならしていた。その内容はいわば「第三の道」思想の嚆矢というべきものであった。
その後社会思想としては、1920年代、自由・市場主義の立場からも、社会主義の立場からも、それぞれの主義に基づく経済社会の運営に限界があるものとして、新しい路線を探る運動が出て来ていた。ミーゼスやハイエクを代表とする自由主義の展開は1920年代に始まっており、シカゴ学派などを通して新古典派経済学の思想的基盤となった。また、フライブルグ大学を中心としたオイケン、レープケ、エアハルトのグループには、市場が有効に機能するためには、それをはぐくみ育てる必要があるという、限定的であるが今日的な「第三の道」に共通する思想が見いだされる。
一方、社会主義サイドにも、戦後ハンブルグ大学を中心に自由社会主義の展開がみられ、ドイツ社会民主党をマルクス主義から絶縁させる契機となった。このなかには、蔵相を勤めたカール・シラーや英国に移ったダーレンドルフなどが含まれる。そこでは、ミクロでは市場経済が原則とされるが、マクロでは政府の計画的干渉が要請される。また北欧における福祉国家の運営も、広い意味でこのような社会民主主義の原則によって運営されてきていたといえよう。また両陣営に対し鋭い批判を展開したフランクフルト左派にはホルクハイマー、アドルノやハバーマスがいるが、マルクス思想を重要な部分に据えながらも、旧ソ連型の社会主義からは完全に離反した哲学であった。
1970年代の東欧改革派に、「第三の道」(Der Dritte Weg)という言葉をはっきり表現したチェコスロバキアのシクがいる。シクは、1)企業での勤労者の経営参加、2)民主的なマクロ経済計画の導入、3)市場の承認と機能強化など社会主義体制内での改革を主張した。これらの体制内改革派は、後年ハンガリーのコルナイなどによって批判的に乗り越えられていくことになる。
このように自由・市場主義にも、社会主義にも、従来のものとは違う変革の主張がなされてきていた。これら中道の経済社会思想は、1960年代、1970年代の混合体制にあった西側の「福祉国家」的経済運営に溶け込んでいったとみることもできる。しかし西側諸国において、「第三の道」論が再び注目されてくるのには、1980年代の新保守主義革命の嵐を通り過ぎてから後のことである。
3.新保守主義革命とその後
マーガレット・サッチャーが1979年に英国首相となり、破綻に瀕した国家を建て直すべく新保守主義による改革(労働組合の既得権排除、規制緩和、民営化)を推し進めた意義は確かに大きい。米国においても、保守主義者のレーガンが1981年大統領となっている。
新保守主義の勃興は、1970年代初頭のオイルショックによって先進国から産油国への所得移転が起こり、福祉国家運営の経済的基盤が破綻したにも拘わらず、政策の責任にあった従来の保守主義者や社会民主主義者らがその危機に対し手を拱いていたことに由来している。英国だけに限っても、サッチャー改革は英国経済の活性化に大いなる寄与を示した。しかし一方で所得格差の拡大、公的教育・医療の荒廃という副作用を招いている。サッチャーの観点からすれば、「機会の均等」は重要でも「結果としての所得分配の不平等」はあって当然であり、公的教育や医療の負担は必要最低限に止められるべきものであった。その意味で、副作用は予期せぬどころか、意図的にもたらされたとも言えよう。英国選挙民は、サッチャーが政権を去って7年後、サッチャリズムを継続したメイジャー政権に引導を渡し、1997年5月ブレアの率いる労働党政権を誕生させている。
4.新しい「第三の道」とは何か
英国において18年ぶりに政権を奪回した労働党のブレア首相は、自らの政策路線を「第三の道」と称し、行き過ぎた自由放任主義の弊害を是正し、市場経済における政府の役割を再構築するとともに、社会の構成員相互間の連帯意識を取り戻そうとする政策を打ち出した。ブレアがその政策の裏づけとして用いたのが、社会学者アントニー・ギデンズの提唱してきていた「第三の道」の政治社会哲学であった。
ギデンズは、その著書「第三の道」(The Third Way)のなかで、「第三の道」とは社会民主主義と新自由主義や保守主義を止揚する第三の政治理念であるとしている。しかし、新しい「第三の道」に至るのには、乗り越えなければならない現代の社会民主主義が抱える5つのジレンマがあったという。
これらのジレンマとは、(1)グローバル化の進展、(2)新しい個人主義の拡大、(3)左派か右派かという区分、(4)政策形成、政治のあり方、(5)環境問題への対応、に関わっている。
(1)グローバル化の進展
グローバル化は、1980年代に進んだ通商・産業・金融面の規制緩和や情報通信技術の革新によって急速に広まった現象であり、特に後者の技術革新は人類に不可逆的な影響をもたらしている。これは従来からの国民国家という概念を空洞化させ相対化させる契機となった。
(2)新しい個人主義の拡大
福祉国家がもたらした物質的な豊かさによって階級意識が後退、個人主義が社会全体に覆い始めているという現実がある。新しい個人主義は一層自己中心的(いわゆる「ミーイズム」)となり、その伸張は社会民主主義が掲げる「連帯」意識の希薄化を進めてきたといってよい。政治に対しても醒めた無関心の姿勢が目立ち、旧来からの社会民主主義の支持基盤は先細りとなってきていた。経済的な満足が概ね達成されたことによって、自己実現や自己表現を図ることの意味が重要になってきているという社会意識の変化がその背後にある。
従来型の社会民主主義は、政府が中心となって社会の一体化を進めたという意味で、集団主義的な側面をもっていた。しかし、伝統やしがらみから離れて、個人選択の自由が定着した現代社会では、権威は弱体化する。集団主義を否定した「第三の道」の政治では、個人と共同体の関係を再構築し、権利と義務のあり方を見直すことが求められていた。
(3) 左派か右派かという区分
政治はすべからく、左派か右派か、立場の旗幟を鮮明にすべきものなのだろうか。戦後の英国にあっては、労働党政権下の主要産業の国有化、サッチャー時代の民営化と大きな振れを示した事態もあったが、保守党政権下にあっても福祉国家形成の枠組みから大きく外れることはない政策運営が行われてきていた。
サッチャー時代を除き左右の政権下にあっても大きな違いはなかったと言ってよい。サッチャーによる新自由主義革命とも称すべきパラダイム変換の後となってみれば、ブレア政権の政策はサッチャー時代の政策プログラムの大部分を継承して新味がないと揶揄される始末となっている。いまでも左右を分かつ分水嶺があり得るのだろうか。
サッチャーによる新自由主義革命とも称すべきパラダイム変換の後となってみれば、ブレア政権の政策はサッチャー時代の政策プログラムの大部分を継承して新味がないと揶揄される始末となっている。いまでも左右を分かつ分水嶺があり得るのだろうか。
(4) 政策形成、政治のあり方
政策形成や政治のあり方はどうなのだろうか。民主主義の手続きに変化が必要なのではないか。行政府と議会の関係はどう考えたらよいのだろうか。社会民主主義においては、政府の役割が重視され大きな政府となりがちであった。
今日、行政の効率化がどの国でも検討の対象とされるが、特に社会民主主義のもとでは公共目的のために効率が犠牲になってきた面が強い。今後、いわゆる New Public Management(NPM)の導入が進むにつれて、行政のみならず政治のあり方にも変化が起こってくるだろう。NPMでは究極として政権当事者、即ち政治家の政策責任が重くなるし、選挙民との一層の緊張関係が生まれてくることになる。政治と行政において、結果に対する責任(responsibility)のとり方、第三者を意識した報告義務としてのアカウンタビリティ(accountability)のあり方が重要となるからである。
(5)環境問題への対応
環境問題への対応は、左派、右派とも遅かった。新自由主義者は、環境問題に対して知的怠慢にも近い態度を示し、せいぜいが市場メカニズムを通じた問題の「内部化」による解決という楽観論をとる場合が多い。
一方、社会民主主義者も、技術信奉に基づく楽観論や雇用重視の生産第一主義がとられてきたといってよい。表面的には環境重視をうたいながらも政策プログラムのなかで具体的な対策を示すことには億劫であった。「緑の党」の運動が強かったドイツや北欧での早い取り組みは例外的であった。

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茂木愛一郎
株式会社慶應学術事業会 代表取締役副社長
1949年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。ロンドン大学LBSスローン・フェロー。日本政策投資銀行、日本経済研究所、えひめ地域政策研究センターなどを経て2002年4月より現職。
関心分野は社会的共通資本としてのコモンズ論やガバナンス論。論文・訳書に『世界のコモンズ』(宇沢・茂木編「社会的共通資本-コモンズと都市-」東京大学出版会 所収)、『OECDのコーポレートガバナンス原則』(共訳)、『この世の中に役に立たない人はいない―信頼の地域通貨タイムダラーの挑戦―』(共訳)などがある。

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