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今月の1冊

2016年08月09日

永田和宏『近代秀歌』

近代秀歌』(岩波新書)

永田和宏; 出版社:岩波書店 ; 発行年月:2013年1月; 本体価格:886円

「あなたが日本人なら、せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しいというぎりぎりの100首である・・・」

著者の永田和宏氏は、そんな挑戦的なメッセージを「まえがき」に寄せている。日本人の身体のなかに、DNAとして刻み込まれてきた歌たち、日本人の情緒を規定してきた歌たちを選らんだ、とまで言っている。

「そこまでおっしゃるのなら、諳んじてみせようじゃあないの!」

思わず、売られてもいない喧嘩を買ってしまった私であった。
なにせ、昔から「○○100」という企画に弱い。「○○100人」「■■100事件」「名場面100選」等々、そんなキャッチの雑誌の特集や番組があると、ついつい見てしまう。

そういえば高校生の頃、「新潮文庫 夏の100冊」という季節キャンペーンがあった。どうやら今でも続いているらしいが、その昔、私が高校一年生頃は書店を巻き込んだかなり大きなイベントであった。
ひと夏で読んでみせると息巻いて、5冊ほど買い込んで帰ったが、その5冊さえも読めずに、信州の短い夏は終わってしまった。

いまは多少知恵がついたので、出来もしない挑戦はしない。でも歌の暗誦なら、なんとかなりそうな気がする。衰えつつある海馬を鍛え直すことにもなるはずだ。そんな気持ちで100首の暗誦を始めた。

永田和宏氏は、『夕学五十講』にも登壇いただいた日本を代表する歌人である。朝日歌壇の選者、宮中歌会始の選者も務めている。亡き妻で、これまた代表的な歌人であった河野裕子氏と、死の直前まで交わした相聞歌の数々は多くの人々の涙を誘った。
その永田氏が、近代以降に作られた歌のなかから、「日本人なら、せめてこれくらいは・・・」という選定基準で選んだ100首が収められているのが本書である。

近代短歌が始まった明治30年頃から現代短歌へと移り変わった昭和20年半ばまで、約70年間に作られた歌から選んである。愛・恋、青春、命と病、家族・友人といった10のテーマで章を括り、1テーマにつきおおよそ10首で、100首を編纂している。
取り上げている歌人は31人。斎藤茂吉11首、与謝野晶子9首、石川啄木9首がベスト3で、若山牧水が8首で続く。首だけという人もたくさんいる。

取り上げた歌の解説と合わせ、作者について、永田氏の簡潔かつ分かり易い説明が添えられているので、歌が詠まれた時代背景や文脈を知ることができる。2013年1月に出て、私の所蔵している2015年5月版で早くも14刷。岩波新書の中でも、かなり売れている本ではないだろうか。

諳んじ始めたのは、まだ厚いコートを着ていた頃であった。

一週間に一章(テーマ)ずつ、約10首の暗誦を自分へのノルマと決めた。まず最初に、永田氏の解説部分を読んで、歌や作者についてのイメージ記憶を形成する。
朝の通勤時間を憶える時間とし、週の初めは一日4つ。翌日からは3つ、2つと減らしていく。夜の帰宅電車は、おさらいの時間である。それまでに憶えた(はず)の歌をすべて諳んじてみる。
四章、五章と進んでいくと暗誦すべき歌の数が増えていくので、一章に10日、やがて二週間費やすようになった。歌を暗誦できるようになっても、作者が思い出せないことが多い。石川啄木や与謝野晶子などは例外で、前田夕暮、中村憲吉など、初めて知った名前の歌人も多い。

100首の歌と作者の組み合わせを、なんとか暗誦できるようになったのは、まもなく梅雨が明けようという時期であった。その間に、本を電車の網棚に置き忘れたり、コーヒーをこぼしたりして、いま手もとにあるのは三冊目である。それも小口はうっすらと手垢に汚れている。一冊の本のページをここまで何度もめくったのは久し振りのことだ。

思えば、高校生の時には、古典の授業で「小倉百人一首」を暗誦した。あの時は二週間程度で憶えてしまった記憶がある。ところが、いまでも諳んじることができるのはせいぜい5~6首。暗記力に任せた力技だったので、悲しいかな心に残っていない。
今回は、年をとって人情の機微に共感できるようになったのか、解釈が深くなったように思う。諳んじるのに時間がかかった分、心の深いところに刻み込まれたと信じたい。

実は、作者の永田氏は、この本とほぼ同時期に刊行された『新・百人一首』(文春文庫)の選者(四人)にも名を連ねている。二冊とも100首を選んでいるが、数えてみたら23首は重なっていた。
『近代秀歌』と『新・百人一首』は、選歌にあたって一人一首にこだわるか否か、という違いがある。時代も前者が近代に限定しているのに対して、後者は現代も含まれている(しかも比率は3:7で現代の方が多い)ことを考慮すると、23首というのは、かなりの重複率であろう。ぞれだけ、近代短歌への評価が定まっているということかもしれない。
個人的な見解でいえば、取り上げるべき歌が一人一首であることの方がおかしい。秀歌をたくさん作ったヒットメーカーもいれば、渾身の一作だけが世に残った一発屋もいるはず。『近代秀歌』の選定方法の方が人間らしいように思う。

二つの本の相違という点では、石川啄木の扱い方の違いも面白い。
啄木は、専門歌人からは評価されない人のようで、『新・百人一首』では、岡井隆氏、馬場あき子氏という両巨頭から、表現が過剰でウソばかりだ、とダメ出しをされている。
一方『近代秀歌』で、永田氏は9首も啄木の歌を選んでいる。なかには、『新・百人一首』で「諺みたいで選びたくない・・・」とまで酷評した歌も含まれている。
「すぐれた歌ではなく、知っておいて欲しい歌を選んだ」という注釈があるが、やや言い訳っぽい。永田氏は、本当は啄木が好きなのではないか、というのは深読みが過ぎるだろうか。

最後に、私の感想を述べよう。

ひと言で言うならば、歌人という人間の壮絶なる性(さが)に圧倒された。
歌人の穂村弘氏は、著書『はじめての短歌』の中で、「歌人と言われる人は、かなりNGだ」と述べている。普通の人なら見過ごすようなことが気になって仕方ない人。普通は思い止まる一線を越えずにはいられない人。内に秘めておくべき感情を表に出さずにはいられない人。それが歌人だと。

本書で挙げた31人の歌人のうち、実に11人が不倫・不義の恋を経験し、それを歌に詠んでいる。女性歌人5人は全員が不倫経験者である。
住友常務であった川田順は、66歳の時、弟子の鈴鹿俊子と恋愛のうえ、自殺未遂事件を起こす。素封家の一人娘であった原阿佐緒は東北帝大教授で歌人の石原純と同棲し、石原は大学を去り、本人は「アララギ」も脱会せざるをえなくなった。
北原白秋、若山牧水も人妻との恋愛に苦しんだ時期があったようだ。

有名人の不倫はいまでもNGだが、百年前の社会的制裁の大きさは現代の比ではなかった。財産・地位のみならず、家族、親戚、故郷をなくす危険のある行為である。
それでも一線を越えずにいられない、歌わずにはいられない。歌人という人間の性(さが)に驚嘆せざるをえない。

100首から、いまの私の心に響いた歌をひとつだけ選ぶとすれば、次の歌になる。

「時代ことなる父と子なれば枯山に腰下ろし向ふ一つ山並みに」 (土屋文明)

遠くの山並みに向い並んで座り、ボソボソと語り合う。父と子という微妙な距離感と愛情が伝わってくる。父としても、子としても共感できる歌である。
奇しくも作者がこの歌を作ったのは、私と同じ55才である点にも惹かれる。

私は、秋からは姉妹編の『現代秀歌』の暗誦に挑戦しようと考えている。こちらは、「これから100年残って欲しい歌」を選んだと永田氏は言っている。
「これだけは知っておいて欲しい歌」から「これから100年残って欲しい歌」へ。
短歌を日本人の教養として守り育て続けて欲しいという永田氏の願いを受けて、ささやかな挑戦を続けたい。

(城取一成)

近代秀歌』(岩波新書)

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