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『私の銀座』

2019年01月08日

私の銀座
出版社:新潮社(新潮文庫); 発行年月:2012年3月; 本体価格:594円

「じいちゃん、東京行きたいわぁ。やっぱり、銀座はええわ。三越で服買うて、ケーキ食べよか。」

 2018年8月、わたしは田舎に帰省しました。いつもは不自由になった体を嘆き弱気な祖父が、その日はめずらしく、そして突然に前向きな発言をしたので、その場に居合わせたわたしと母は顔を見合わせ、「行こう!行こう!」と思わず前のめりになりました。

 その日の祖父は、わたしがお土産に買って帰った大好物の“とらや”の羊羹を食べながら、銀座での思い出を語りました。贔屓のクラブのママ、酒席を共にした銀幕のスター、家族へのお土産を上手に選んでくれる百貨店のお姉さん・・・。田舎のサラリーマンながら、高度経済成長とともに働いてきた祖父には、国内外のいろんな街に思い出がある様子。けれど、やっぱり最後は銀座の話に戻ります。

「食べモンも着るモンもサービスも、銀座は何でも一流やな。やっぱり田舎とはちゃうわ。」笑いながらそう話し、羊羹を食べ終わり一息ついたころ、祖父は突然意識を失いました。くも膜下出血でした。その日の夜、祖父は息を引き取りました。
 祖父が人生の最後の最後まで思いを寄せ、行きたがった銀座。“銀座にはどんな魅力があるのだろう“そんな思いから、この本を手に取りました。

『私の銀座』は、1955年創刊のタウン誌「銀座百点」に掲載された巻頭エッセイ集です。作家をはじめ、映画監督、冒険家、大学教授、歌舞伎俳優、漫画家、料理研究家、俳優・・・といった多様な各界の著名人が筆を執った60篇のエッセイは、妙味に富みます。

銀座知らず(司馬遼太郎)、青春の町「銀座」(三島由紀夫)、銀座の露店(吉行淳之介)、銀座(淀川長治)、銀座へ向ける姿勢(森村誠一)、私と銀座と四十年(三國連太郎)、銀座で会う人々(村上春樹)、銀座の夜を稼いだっけ(立川談志)、父と銀座(藤原正彦)、ぶらり銀座へ(北原亞以子)、いつも銀座は僕といる(森田芳光)、帰国のたびに会う銀座(塩野七生)、銀座が教えてくれること(川上未映子)、銀座の街角は軽やかに(海堂尊)、銀座を迷う(林真理子)…

 上記はほんの一部。時代も職業も違う60名が、銀座を通した日常を綴っています。銀座を深く知り尽くした人、銀座と縁遠い人、はたまた銀座が嫌いな人、さまざまな視点が面白く、どのお話も“ふふふ” “むむっ”と入り込みました。ひとつひとつのエッセイは5ページほど。好きなところから読み進めましたが、結局全部読みたくなり、あっという間に読み切ってしまいました。

 一番古いのは、1957年に掲載された有吉佐和子さんの「私の浪費癖」です。

 銀座の最大の魅力は、何万円、何十万円という毛皮を売る店の隣に、百五十円のイヤリングを売る店が並んでいるということではないだろうか。すごく高価な品物を吟味するだけ吟味して、買えずに出てきた足でその二三軒先の洋品店に入り、八十円のハンカチを買えば、なんだかオコリが落ちたような気分にもなれるのである。

 なんと、時代や物価は変わっても、それも有吉さんほどの方でも、わたしと気持ちは変わらないものなのだと妙に安心しました。さらに多くの方が銀座での楽しい思い出を綴っています。

 藤子不二雄Aさんの「数寄屋橋に憧れて」(1992年)も、銀座でのうれしさを語ったお話の一つです。1954年、藤本弘さん(藤子・F・不二雄さん)とともに富山から上京した日、憧れの手塚治虫さんのもとを訪れたところ、急遽そのままトキワ荘でアシスタントをすることになったそうです。

 五日後、最後の連載がやっと終わり、編集者は誰もいなくなった。ぼくたちはホッ!としたのと同時に眠くてたまらなくなった。なにしろ五日間、ほとんど寝ていないからだ。それで手塚先生に「あのう、それじゃぼくたち、そろそろ両国へ帰ります」といった。
 ところが手塚先生は「有難う。君たちのおかげで助かったよ。お礼に映画にいこう。銀座へ」とおっしゃった。ぼくたちは辞退したが手塚先生は「いいから、いいから、いこうよ。銀座へいって映画見て、食事してから両国へいけばいいよ」。
 熱心な手塚先生のお誘いに、「それじゃ……」とつれていってもらうことにした。本心は憧れの銀座へいきたかったのだ。しかも、手塚先生につれていってもらう、なんて夢みたい。

 この日はデザートに、アイスクリームのテンプラを食べたとか。それからのち、自分のお金で銀座にロードショーに行けるようになり、ついには憧れの銀座の舞台で、自身がプロデュースした映画について話す…。喜びあふれるその様子から、成長や成功が詰まった銀座を感じました。

 一方で、銀座が失敗や挫折をも写す場所であるとわかるのは、橋田寿賀子さんの「銀座嫌い」(1976年)。松竹で映画の脚本を書いていた青春時代、銀座には先輩のお供でよく繰り出したそう。のちに映画の不況がやって来て、33歳でクビになり、銀座になにひとついい想い出のないままに足を向けることもなくなってしまったとのことでした。

あの十年の青春がそこここに沁みついている街を歩くと、後悔が身をさいなむ。もっと違う十年があったのではないだろうかと、銀座は私に問いかけてくる。もちろん、その十年があったからこそ、今の私があるのだということは重々承知しながら、なお、みじめでしかなかった記憶が口惜しい。が、たとえ、嫌いな街でも、私の人生に深いかかわりを持った街である。いつか、もっと年をとったとき、みじめささえも大事な大事なおもい出になる日が、必ず来るだろう。

 さらに、父と銀座(藤原正彦/1993年)、二人の銀座(桃井かおり/1997年)、母と銀座と私とカラス(小林カツ代/1997年)など、親とのつながり、親の人生を知るようなエピソードも盛りだくさんです。

 このように、時代も職業も全く異なる人々が、“銀座”という共通のテーマを通して語ることにより、それぞれの時代や社会、生き方、心情が映し出されています。まさに、銀座はいろんな人生をみてきたのだなあと胸がキュンとなりました。きっと祖父の人生の一片も、ここに詰まっているのだなとわかり、なんだかほろっとします。

 わたしにとって、銀座が歩くだけでわくわくする魅力的な街であることは間違いないですが、それは、そこにある人々の「人生」が写し取れるからかもしれません。泣くも笑うも、成功も失敗も、「経験を楽しむ」ことこそが、人生の面白さなのだろうなあ、なんとなくですが、そんなことがこの本から伝わってきました。だからわたしも、思いっきり楽しもう、思いっきり落ち込もう、そして人生を楽しもう!そんな風に元気がでました。

 11月、わたしは両親とともに銀座へ出かけました。祖父の話をしながら、竹葉亭で鰻を食べ、千疋屋でパフェを食べました。帰り際、三越の外壁にどーんとかかった垂れ幕を見ると「四丁目で愛ましょう」のスローガン。じいちゃんもここに一緒に来てる!そう感じました。銀座はまた、わたしの人生の一部も写し取っていくのだと思います。

(米田奈由)

私の銀座』新潮社(新潮文庫)

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