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末続 慎吾『自由。 世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学』

2021年02月09日

自由。 世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学
著:末続 慎吾 ; 出版社:ダイヤモンド社 ; 発売年月:2020年10月;

昨年、末續慎吾さんのはじめての著書『自由。』が出版されました。
末續さんはオリンピック・世界陸上の両方で短距離種目の日本人初メダリストとなった日本陸上界におけるレジェンドであり、言わずと知れたトップアスリートです。とりわけ、彼の第一線での活躍期間はちょうど私が高校~大学で熱心に競技に打ち込んでいた時期と重なっており、私の世代の競技関係者とっては特別な存在です。
そんな彼が、不惑を迎える歳になって出版したはじめての著書がこの『自由。』でした。

この本を読んで最初に思ったことが「あぁ、彼も人間だったんだ」という非常に当たり前の感想でした。というのも、心のどこかでトップアスリートは別人種であるという思い込みがあったからです。
これはひとつには憧れからくる偶像視であり、もうひとつには過去の経験からよるものがあったと思います。

非常に幸運な事に、私は学生時代何度かオリンピックレベルのトップ選手と大会や練習で同走し、コミュニケーションをさせていただく機会がありました。
語弊を恐れずに言えば、彼らは一様に「変な人」でした。「ウォーミングアップやクールダウンを全くしない」という人もいましたし、「大会前にはチキンナゲットを好きなだけ食べる」という人もいました。これらは、当時の常識からすると、とんでもなく破天荒な行動です。少なくとも、日々の食事を気にしたり入念なウォーミングアップを心がけていた普通の選手だった私からすれば、これらは異常なことに思えました。

それなのに、いざ走るとなればまるで積んでいるエンジンが異なるかの様に、全力で走る私を置き去りにしてゴールへ駆け抜けていく。格の違いと言えばそれまでなのですが、それにしても根本からして何かが違うような、不思議な感覚を得ていました。
もちろん、私の知る数人がたまたま特殊なタイプのアスリートだった可能性は大いにありますが、こうした経験から世界レベルのトップアスリートは、様々な面で突き抜けた「特殊な人」であるという思い込みが、この歳になるまで形成され続けていたのだと思います。

しかしながら、この本に綴られていたのはまぎれもなく普通の人間の葛藤であり、苦悩であり、想いでした。陸上競技やスポーツに関する専門的な内容ではなく、非常に辛かった時期のことも含め、末續さんが自身の経験からなる想いを自分の言葉で率直に語られおり、末續さんを知らない人や運動経験が無い方が読んでも、心に響く内容となっています。

特に、私が深く考えさせられたのは「こじらせアスリート」について触れた部分でした。
「こじらせアスリート」とはいったい何か?
本著ではその一例として、競技を続けられる体力があるのにあえて無茶なトレーニングによって身体を壊し「怪我による引退」というストーリーを作ろうとする人のことを挙げています。
もちろん、不運な怪我によって競技を諦めざるを得ない方もいるわけで、末續さんもそうした方々とは線引きをした上で語っていらっしゃいますが、彼らの共通点は「弱さ」を見せることを恥だと感じていることにあるといいます。

怪我をある種の美談とするストーリーが先にあって、事実をそれに当てはめに行く。「私は怪我をしたから続けられない」というある種の綺麗な理由を無意識に作りあげたり、周囲の人にわかってもらいやすいストーリーに仕立てたりする。こうした行動の裏にある想いを、末續さんは次のように語っています。

”こじらせアスリートっていうのは常に「恥」を外向きに抱えていて、自分にとって都合の悪い部分、弱い部分、本当の部分を外部に見せず、気がつかず、気づかないふりをする”

自分自身の競技人生の幕引きという重大な局面においてさえ、自分自身がどうありたいかではなく。周囲からどう見えるか?何を期待されているか?といった他者の目線が先に立った行動を選択してしまう。
そんな心の動きが、鋭く突き刺さるように理解できました。スポーツとは関わりのない場面で、過去に私自身も同じような行動をしたことがあったからです。

この章を読んで真っ先に思い浮かべたことが、以前の会社での出来事でした。地方支社での勤務を経て、初めての本部配属となった私は重要なポジションに新設された部署にアサインされ、これまでに無く張り切っていました。
しかしながら、連日早朝から深夜までかかる膨大な業務量に加え、関連部署との調整が上手くいかないことも多く、1年も持たずに心身の調子を崩してしまいました。
問題は、その後職場に復帰してからのことです。今思えば職場で必要以上に弱々しく振る舞うようになった私も、一種の「こじらせアスリート」だったのだと思います。当時は元気に働くことが申し訳ないことの様に感じ、やけに自罰的に行動していたと今なら振り返ることが出来ます。

「こじらせアスリート」には末續さんが言及されたように、「恥」を外向きに抱えるということの他に、周囲の目をオバケの様に肥大化して捉えてしまう、という側面もあるのではないでしょうか。
たとえ「負傷による引退」が美しいストーリーだったとしても、アスリートのファンの大多数は大好きな選手に怪我をしてほしいとは思いません。
それなのに、ありもしない、あるいは異常に肥大化した周囲の目線に絡め取られるように、無意識のうちに自分自身を壊すような行動に走ってしまう。
こんな「こじらせアスリート」的な心の動きは、決してアスリート特有のものではなく、誰にでも起こり得ることなのではないかと思います。

以前から私は、スポーツ選手の名言はなぜ心に響くのかを疑問に感じていました。トップアスリートの経験は、彼らの様な一握りの人間にしか経験し得ないことであるはずなのに、なぜそうした背景を持たない私達が彼らの言葉に共感出来るのだろうかと。
この本を読んで、その理由が少しだけ分かった気がします。恐らく、彼らの経験は非常に濃いのではないでしょうか。普通の人が一般的に40代~60代で経験するような場面さえ、競技を通じて10代~20代のうちに経験をしてしまう。すなわち、彼らの経験する栄光も挫折も、そのレベルは違えど多くの人が人生の中で経験することと共通しているのかもしれません。
だからこそ、彼らの言葉には重みがあり学びがある。この本を読んで、そんな風に思うことが出来ました。

40歳を迎え、今なお現役のアスリートとして活躍をされている末續さん。彼がこの先どんな競技人生を歩んで、どんな言葉を紡いでいくのか。ひとりのファンとして、そしてひとりの社会人として、とても楽しみにさせられる一冊でした。
 
(石井 雄輝)

自由。 世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学
著:末続 慎吾 ; 出版社:ダイヤモンド社; 発売年月:2020年10月;

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