今月の1冊
2024年09月11日
かまど・みくのしん 著『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』
ほとんど避暑のために入った丸善で目に入ってきたのは、『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』でした。
あ、あの記事、本になったんだ!
残暑厳しい中、ひとりで一冊の本を読み切る体力はないけれど、「本を読む人の本」なら、気軽に楽しめそうだなぁ。そんなことを思いながら、レジに向かいました。
著者のかまどさん、みくのしんさんは、WEBメディア「オモコロ」および「オモコロブロス」をメインに活躍するライターです。国語の勉強以外で本を読んだことがなかったというみくのしんさんが、同僚・かまどさんの手を借りながら初めて『走れメロス』を読む、というレポート記事は、大きな話題を呼びました。
■オモコロブロス 2022年10月31日の記事
「本を読んだことがない32歳が初めて「走れメロス」を読む日」
https://omocoro.jp/bros/kiji/366606/
こんなにも心と体、100パーセントで本を読むことができるなんて!大人になってから、これほど純粋に本を楽しめるなんて!
本は好きだけれど、集中力が切れるとすぐに読み飛ばしてしまう癖のある私は、彼の読書体験に圧倒されるとともに、羨ましく思ったことを覚えています。
購入した書籍には上記の『走れメロス』の他、有島武郎の『一房の葡萄』、芥川龍之介の『杜子春』、そして『変な家』の著者・雨穴の書下ろし『本棚』の4作を、みくのしんさんが読む様子が収められています。
私はWEB記事を読んだ時から、いつかみくのしんさんが『一房の葡萄』を読んでくれないだろうかと、ひそかに期待していました。幼い子どもの多感な心の動き、その繊細な描写を、みくのしんさんはどんな風に読むのだろう。友達と本を貸し借りするかのような気持ちで、ページをめくりました。
(参考)『一房の葡萄』は青空文庫で読むことができます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/211_20472.html
■ ■ ■ ■
読書中はたびたび、みくのしんさんが言葉の意味をかまどさんに確認する場面がでてきます。特に「良いなあ」としみじみ感じたやり取りがこちらです。(みくのしんさん=みく、かまどさん=かま)
なんだかみんな耳こすりでもしているようだと思いながら一時間がたちました。
みく ん?「耳こすり」ってなに?聞いたことない単語だな。
かま なんだろうね。調べてみるか。……あ、「耳打ち」と同じ意味だって。へえ~。
みく ん?かまどはこの本を読んだことあるんでしょ?なのに、意味を知らなかったの?
かま お恥ずかしい。大まかな意味を分かった気になって読み飛ばしてると、そういうことしちゃうんだよ。
みく ふ~ん。でも、意味を知らなくても読めるなんてすごいね。
かま いや、一つ一つ丁寧に読んでるみくのしんのほうがすごいと思う。
『一房の葡萄』に、「耳こすり」という言葉出てくることすら、私はすっかり忘れていました。そしてその意味も、お二人のやり取りで初めて知りました。かまどさんの「お恥ずかしい」という気持ち、よくわかります。そしてふと、「要領が良い」ことが何より重要であった学生時代を思い出しました。私は平均的に真面目ではあったけれど、メリハリをつけて勉強することができない質でした。それでもなんとか要領の世界に順応し始めたのは、大学受験を意識し始めた頃だったように思います。この科目は捨てる、この単元は捨てる、この問題が出たら捨てる…。「受かる」というより「落ちない」を目指していた当時の戦略においては、効率的に時間とエネルギーを配分することが最優先でした。
言葉の大まかな意味が分かれば読書はできます。この「耳こすり」は情景描写のひとつで、大きな事件というわけでもありません。それでも単語の意味ひとつひとつに立ち止まるみくのしんさんの読み方は、要領の世界から離れた、自由な読書に見えます。
■ ■ ■ ■
みくのしんさんの読書で特にひきつけられるのは、やはり登場人物へ共感する姿です。いえ、「共感」どころか、みくのしんさんはその場に「居て」、登場人物と一緒に(時に融合しながら)笑い、悩み、時に涙を流します。
『一房の葡萄』でもそれは変わりません。主人公の「僕」が同級生・ジムの上等な絵の具を羨ましく思いながら休み時間に一人教室に入るシーンでは、自分のことのように恥ずかしくなり、「僕」が絵の具を盗んでしまうシーンでは、「止められなかった俺にも責任がある」と言うみくのしんさん。思い切り自分に引き寄せるその読み方は、自分勝手とも言えるかもしれません。それでも、私もこんな風に読んでみたい!と思えるのは、彼が全身全霊で本と向き合っているからなのだと思います。
一方で、「僕」が他の生徒に盗みを問い詰められるシーンでの、みくのしんさんの視点にはドキリとさせられました。
みく ここ、肝心のジムはどんな顔してるんだろうね?それを見せてほしいなぁ。……この本って「走れメロス」と違って全然ストーリーが進まないでしょ?その代わり、1シーンごとの情報量がすごいんだよ。……一つの場面をいろんな角度からカメラで映してる感じがするんだよ。でも、ここでは、ジムの表情だけうまいこと見えないまま話が進んでる気がする。
実際、この場面はジムの表情が描写されていません。私がこの小説を読んだときに違和感を持たなかったのは、頭の中で勝手にジムの表情をイメージしていたからでした。何よりこの場面は責め立てられる「僕」がいたたまれず、早く読み切ってしまいたくなるので、ジムの表情など気にも留めていられない、というのも本音です。
圧倒的な共感力を持つみくのしんさんが、ジムがどんな顔をしているのか見えないと言う。きっとここには何かあるぞと私は楽しくなり、数日間この場面のことを考えていました。そうして気が付いたのは、ジムの表情が「見えない」のは、「僕」がジムの顔を「見る勇気なんてない」からかもしれない、というものでした。そう考えると一層、「僕」の幼くも複雑な心が生々しく感じられます。繰り返し読んでいる小説も、まだまだ新しい楽しみ方がある!私は静かに高揚しました。
■ ■ ■ ■
優しい先生の取り成しで、翌日には「僕」とジムは仲直りをします。私は別段、このシーンに疑問を感じたことがなかったので、かまどさんとみくのしんさんのやり取りは印象的でした。
かま ここ不思議だよな~。急に話がまとまってびっくりしない?俺が子どもの頃にこの本を読んだときは、ジムは先生とどんな会話をしたんだろうってずっと気になってたな。
みく そんなの「ホントは友だちになりたかった」とかそういうことだろ。やっぱり、ジムは盗まれてショックだっただけで、この子のことが嫌いになったわけじゃなかったんだよ。
かま ……なるほど。そうかもしれないね。
みく いや~!俺、この本大好きだわ!
かま 俺も今、そうなったよ。
かまどさんの「……なるほど。」に含みを感じていたのですが、あとがきを読んで合点がいきました。かまどさんは小学校の国語のテストで、「先生とジムの間にどのような会話があったか」という問題があり、作者のルーツを踏まえた模範解答(キリスト教の訓話を説いた)に納得がいかない経験をしたのだそうです。みくのしんさんの解釈を聞いた時の気持ちを、このように綴られています。
あんなに消化不良だった物語が一気に華やいで見えて……みくのしんのおかげで、僕は、ようやく「一房の葡萄」を読み終えることができたんだと思う。
誰かと一緒に本を読むという体験の豊かさを、改めて教えてくれるやり取りでした。私自身も、みくのしんさんに本の自由な楽しみ方を教えてもらいました。そして、かまどさんの読書体験とみくのしんさんの読書体験が私の中に折り重なり、『一房の葡萄』は今、物語の素晴らしさ以上のものを持つ、濃密な一編として感じられます。
■ ■ ■ ■
気軽に楽しめそう、から始まったのに、読み進める内にすっかり熱くなってしまった一冊でした。本が読みたい。もっと本が読みたい!読了後はそんな気持ちでいっぱいでした。
かまどさん、みくのしんさん、次は太宰治の『きりぎりす』もぜひ読んでほしい、一緒に読ませてほしいです。
(内田)
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