KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2025年06月10日

ドラマと書籍から考える「生きづらさ」の根源


熊代 亨「人間はどこまで家畜か」

人間はどこまで家畜か
著:熊代 亨; 出版社:早川書房; 発行年月:2024年2月; 価格:1,078円税込

対岸の火事ならぬ『対岸の家事』、先週最終話を迎えたドラマを皆さんはご覧になられたでしょうか。多部未華子さん演じる専業主婦の詩穂が、ワンオペ・ワーキングマザーとして奮闘する隣人・礼子や、仕事のように家事・育児を進めようとするも上手くいかずに苦悩する育休中の官僚パパ・中谷など、同じように育児に関わりながらも立場や考え方の異なる、言わば“対岸にいる人たち”と家事・育児を通じて交流を深めていく物語です。

子育てあるある満載で描かれる描写に強く共感しつつ、さらに深いところで心を揺さぶられたのが、見えない壁の存在でした。独身部下やバリキャリ上司のみならず、同じ子育て中の家族同士でさえも分かり合えない壁、価値観の違いがあり、日々のちょっとした会話から、違和感、モヤモヤ感を感じてしまう。そんな現実を上手に切り取っていたからです。ちょっと大げさに聞こえますが、日々の生活の中で悶々と考えていた、社会の分断や「生きづらさ」について等身大で考える機会となったドラマだったのです。

自分で決めた人生だから、弱音は吐けないし、逃げられない。

ドラマでは、各人が選んだ道で究極まで追い込まれるシーンが描かれますが、主人公の詩穂がふっと現れ、それぞれの孤独に寄り添い、対話を通じて心を解きほぐしていきます。
ぜひこのドラマも視聴いただきたいのですが、本日合わせてご紹介したいのは、同じ「生きづらさ」について別視点から解説し、深い示唆を与えてくれた本『人間はどこまで家畜か‐現代人の精神構造』です。
先のドラマとは対照的、赤裸々なタイトルに若干、躊躇しつつも、夕学講演会で講師が絶賛していたこともあり、手に取ってみた本です。

本書のテーマは「自己家畜化」です。お聞きになったことはあるでしょうか。

人間はウシやブタなどさまざまな動物を人為的に家畜化してきましたが、イヌやネコなどは人間の生活環境に自ら適応し、穏やかで協力的な方向に生物学的な性質を変えており、そうした変化を自己家畜化と呼ぶそうです。実は進化生物学の最前線の研究では、ほかならぬ人間自身にも自己家畜化が起ってきたという知見が蓄積されているそうなのです。

本著、冒頭では人間自身に生じている「生物学的な自己家畜化」のメカニズムについてわかりやすく解説されており、それによって人間が豊かで、争いのない穏やかな今日の社会を築くことに繋がったとも語っています。

一方、人間は生物学的な側面だけでなく、文化的な側面から受ける影響も多大であるとして、続く章では、歴史学的・社会学的な研究から、人間の文化、習慣、感情、感性がどうかわったかを解説し、比較的最近まで闘争などが一般的であったことを示しています。ではなぜ、それが変わったのか。著者は、社会契約や個人主義、資本主義といった大きな思想により、健康や働き方、死生観といった私たちの内面を変え、さらには思想によりつくられた学校、法律、制度、住まい、都市構造といった、あらゆる枠組みを通じて行動形質をも変容させることで、人間が言わば「文化的な自己家畜化」を進めたからであると説いています。

さらには、現在あらゆる場面で急速に進む「文化的な自己家畜化」に馴染めない人々が発達障害や精神疾患患者といった形で多数生まれていること、人々の快適さや効率性が追求されるあまり、一部では「文化的な自己家畜化」に馴染めない人に対して、インクルージョン(包摂)とは反対の排除が行われている可能性すらあると、警鐘を鳴らしています。

冒頭、紹介したドラマから私は、日常の些細な行為において、自らつくってしまった内側からの「こうあるべき」の壁に苦しめられていると同時に、他者から向けられる外側からの「こうあるべき」の壁にも苦しめられる中で、必要以上に「生きづらさ」を感じているのではないかと考えていました。

書籍を通じて、この壁が「文化的な自己家畜化」の進展により一層多くの領域に分厚く立ちはだかってきていること、その増殖スピードの速さ、複雑さにより、自分もいつ「文化的な自己家畜化」から離脱し、治療・矯正される側になってもおかしくないことをひしと感じる中で、危機感にも似た「生きづらさ」を感じるようになっているのかもしれないと思いました。

加えて本著には、人間は敵対したり攻撃したりするより、協力したり教えたり教わったりすることが特徴的な種であるだけでなく、幼児の段階で、その場のルールを察し、その場のルールに違反する人物を識別できる傾向まで観察されているとの記載もありました。これにより、人間が良くも悪くも、互いに監視し合う力も備えており、だからこそ、「文化的な自己家畜化」の外側に少しでもはみ出ることが許されず、皆が一層「生きづらさ」を感じるようになっていることも理解できました。

ドラマ『対岸の家事』の主人公 紫穂のように、隣人の苦悩に対して、寄り添うこと、特にそれが育児や介護、病気など人間が生来持つ生物学的で、避けることができない側面に生じた問題においては、誰もが直面しがちな「生きづらさ」があるとして、互いに深く配慮をすることの大切さを実感しました。

日ごろ感じていた、モヤモヤの正体を解明し、客観視できる知識を持てたことに加え、今あるルールや制度、慣習を当然のものと受け入れるばかりではなく、時に疑う必要性や、自分の悩みとは違っても『対岸の家事』に飛び込み、苦悩する人に寄り添う勇気を持つ重要性を教えてもらえたことが何よりの収穫だったように思います。

私と同じように日々のちょっとしたことに「生きづらさ」を感じていた方には、ぜひこの書籍を手に取っていただきたいですし、ちょうど来週6/19(木)には慶應MCCの「夕学講演会」に著者である熊代亨さんにご登壇いただきますので、こちらにも足を運んでいただけましたら嬉しく思います。

(鈴木)


◆熊代 亨氏講演◆

家畜化する人間 ~精神医学と生物学と社会科学の視点から~

熊代亨

熊代 亨(精神科医、作家)

6月19日(木) 18:30-20:30(見逃し配信あり)
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