今月の1冊
2025年09月09日
神野紗希著『もう泣かない電気毛布は裏切らない』
仕事と毎日の家事に追われ、家族のことで頭がいっぱいで、必死にこなすうちに気づけば季節が変わっている…そんなことはありませんか?
「年々、1年が過ぎる速さがスピードアップしている気がしますね…(遠い目)」が挨拶がわりになるお年頃の私が数年前の秋に出会った一冊。
それが、俳人・神野紗希さんのエッセイ『もう泣かない電気毛布は裏切らない』です。
本屋さんで仕事の本を買うついでに、いつもと違うジャンルの本棚を眺めてみようと通路一本の寄り道をした時、柔らかい空気感をたたえた不思議と目をひく本に出会いました。ミカンに、ワニに、手紙に、金魚鉢…鉢で泳ぐのは紅い金魚ではなく女性。女性が手に持っているものは何だろう…???
手に取って近づけたり離したりするうちに、この本が目と心を惹きつけた原因に気づきました。
「あ、この本、タイトルが俳句だ」
柔らかい空気感のかわいらしいイラストなのに、タイトルは俳句で、しかも
『もう泣かない
電気毛布は
裏切らない』
ですって…。
その一句を吐くに至るまでになにがあったか、推して知るべし。
ぱらりと目次を見ると章のタイトルが俳句になっていました。
「負けてもいいよ
私が蜜柑
むいてあげる」
誰かと誰かの間の何気ない日常の一コマ、心を震わせる瞬間を、言葉のカメラで切り取って残したような一句。その一句の背景を想像し、自分の経験にも自然と重なり、ドキッとさせられました。
俳句は、自然や人生をどこか悟ったような心構えで詠まねばならぬ、いつか嗜んでみたい、けれども今ではない…と、どこかまだハードルの高さを感じていました。
しかし、実はスマートフォンのカメラでふと目にとまったものを気軽に撮るような、そんな感覚で心の赴くままに詠んでいいのだ、もっと自由な文学なのだ、と神野さんの俳句から学びました。
このエッセイには、神野さんのこれまでの人生が、エッセイとそれにまつわる俳句で描かれています。高校時代の俳句との出会い、学生時代、結婚、出産…その時々のエピソード、神野さんの俳句、他の俳人の句…。俳句の知識や詠んだ経験をほとんど持ち合わせない私でも難なく読めて、心の奥にすっと入ってくるものでした。
印象深いタイトルの俳句は次のように…。
二歳の息子の前で一度だけ、ぽろぽろと涙をこぼしたことがある。「どしたの?おなかイタイの?」はじめて見る母の涙にきょとんとした表情の息子。
「悲しいことがあったから、泣いちゃった」と答えると、顔をぐっと近づけてきて、自分の涙を拭うときのように、手の甲でグイッと私の涙を拭いた。そして「なみだ、悲しい、なくなったよ。拭いたから、もうダイジョブ!」とにっこり笑った。
どうやら、涙を拭けば、悲しみもなくなると思っているようだ。(中略)
涙など見せない強気な私なので、悲しくてもなかなか弱いところが見せられず、慰めてもらえる機会を失ってしまう。だから結局(中略)自分で自分をはげますしかないのである。
以前、雑談をしていたら、そこにいる全員が長女ということがあった。「人に頼るの、苦手」「任せるくらいなら自分でやっちゃう」「君は一人でも生きていけるでしょってフラれる」。ひとしきり長女あるあるで盛り上がる。(中略)
とはいえ、性格というのは、一朝一夕に変えられるものでもない。仕事を終えて、保育園に迎えに行って。(中略)帰ったら笑顔で夕飯を作らないといけないし。
吹きつけてくる木枯に、涙がつめたく乾いてゆく。さあ、私よ、元気を出して!きっと、ダイジョブ。もう泣かない電気毛布は裏切らない 紗希
後日悩みに足をとられて身動きが出来ない心地でいた時期に、この句を思い出して「私もきっと大丈夫、立ち直れる」と鼓舞してもらったものです。
たった17文字の定型詩で誰かを慰め、誰かを生かす。俳句の生き生きと力強い魅力に驚くばかりです。
神野さんもまたこのように…。
短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか) 竹下しづの女
(中略)大正九年、まだ女性俳人が圧倒的に少ない時代に、虚子が「ホトトギス」雑詠欄の巻頭に選んだうちの一句だ。育児に疲れ吐露された赤裸々な激情と、言語処理能力によって御する理知とが均衡を保つ、希代の名句である。ルビで「すてっちまをか」という投げやりな口吻を句に呼び込んだが、漢字で記された漢文そのもの(すべからく捨つるべけんや)は反語となっており、「決して捨てはしない」という着地が示されている。吾子への愛が大前提なのだ。
私自身も、はじめての育児、特に〇歳の時は大変だった。(中略)そんなとき、負の感情の出口になったのが、しづの女の句だった。苦しいのは私だけじゃないんだ。百年前の彼女の言葉に、現実に向き合う母同士の強い連帯を感じた。(後略)
後年、神野さんにお目にかかることができました。
俳句は季語や厳密な字数にとらわれることなく、むしろ詩形の制限ゆえに饒舌な説明を軽やかに捨てさり、自由に言葉を用いて表現します。一方、説明をそいだ余白をどう読み想像するかは読み手に託されます。それゆえに、同じ俳句でも誰がどう読むかで味わいが変わり、それを何人かで披露しあうことで深みや広がりが増していく楽しみもあります。
俳句はそうやって詠み手と読み手で作り上げる文芸なのだそうです。
エッセイの中で、神野さんは、檸檬スカッシュを、おでんを、柚子を詠みます。
それにまつわるエピソードを読む前に、私は「こんな景色が浮かぶな、神野さんはこういうことを感じたのかな、私はこういう心地になったな」とあれこれ噛みしめます。
それから、おもむろに句が詠まれるにいたるお話を読むと、まったく想像と違っていたり、すこし重なっていたり…。それをきっかけに喜びや悲しみなど感情が呼び起こされて、心が震えるのです。
そうした経験を通じて心のストレッチをすると、あら不思議。コンビニに行けば「そういえば最近レモンスカッシュって売ってるのかしら」「柚子の時期っていつだっけ」と周りに目が向くようになり、季節にも敏感になっていくようです。
この本を通じて心の感度をあげ、これから秋冬への移ろう季節をいつも以上に心豊かに楽しんでみるのも素敵ですね。
(柳)
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