今月の1冊
2025年10月14日
戦略の教科書としての『理想のヒモ生活』
マンガやラノベ(ライトノベル)が好きな方なら「異世界モノ」というジャンルはご存じでしょう。その多くは現世で事故や病で亡くなった主人公が異世界で生まれ変わる「異世界転生」であったり、異世界の魔法によって転移する「異世界召喚」です。
異世界—-ほとんどの場合それは中世ヨーロッパのような世界であり、かつ魔法や魔物が存在する世界として描かれています。映画の「ロード・オブ・ザ・リング」やゲームの「ドラゴンクエスト」のような世界ですね。
今回ご紹介する『理想のヒモ生活』というマンガも(タイトルから全く想像できませんが)また、「異世界召喚」モノで、渡辺恒彦氏によるライトノベルが原作です。2025年6月時点で電子版を含めたシリーズ累計部数は540万部を突破しており、アニメ化も進行中とのこと。私もマンガアプリを使ってスキマ時間で楽しんでいます。
…さて、なぜ私が本作品をここで紹介するのか?
それは、本作品がタイトルからは想像もできないほど「ビジネスパーソンに刺さる」作品であり、ある意味「戦略の教科書」としても位置づけられると考えるからです。
では、簡単にあらすじから。
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ブラック企業に勤める山井善治郎は、ある日突然「異世界の大国カープァ王国」に召喚され、女王である美女アウラに求婚される。カープァ王国は、長い戦乱で直系の王族が女王アウラ唯一人となってしまい、国家存亡の危機期に瀕していた。そんな中、150年前に異世界(私たちの世界)に駆け落ちした「カープァの王族の血統」を引いていたのが、善治郎だったのだ。
女王アウラが善治郎に保障した結婚の条件とは、王家の血統を残すための子作り以外何もする必要のない、自堕落な生活をしてくれる婿であった。働き続けるだけの毎日に嫌気が刺していた善治郎は、あっさりとアウラの求婚を受け入れ、一か月後には異世界での王配(女王の配偶者)としての『理想のヒモ生活』が始まるのだった。
(Wikipediaから引用)
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善治郎は現世界からエアコンなど様々なものを準備し、アウラとの快適な新婚生活(そして気楽なヒモ生活)をスタートさせます。
…なので私もスキマ時間の暇つぶしになるユルい作品だと思っていました。最初のうちは…
しかし、現実はヒモとはほど遠い立場に立たされるようになっていきます。
アウラが妊娠中はその名代として国の政治や他国との交渉にも携わるようになり、また政治的バランスから側室を迎えざるを得ない状況にも陥ります。
しかし、元々は(ブラック企業の中ではありますが)優秀な人材だった善治郎は、社畜時代の知識やスキルを総動員し、アウラを支えていきます。
このプロセスこそが本作品の醍醐味であり、私たちビジネスパーソンとしても大いに参考になるのです。
本作、異世界モノとしては珍しく、ほとんどバトルシーンはありません。魔法は生活を便利にする道具的な扱いですし、竜もこちらの世界の馬と同じ扱いだったりします。
いきおい、ドラマの中心は「会話」です。特に他国の王族や国内の有力者との会話は、基本的に「政治交渉」であり、アウラとの会話は「作戦会議」になります。
ネタバレは極力避けながら、具体例でいくつか紹介しましょう。
彼は、日本から持ち込んだ日用品などを、単なる物資としてではなく、異世界の経済を活性化させたり、また他国と有利な交渉を行うためのツールとして利用します。
たとえば彼が持ち込んだガラスの食器は、その透明さや加工技術を再現しようとすることで、カープァ王国のガラス工芸を発展させることになります。
また同じく、ビー玉もその真円な形状や透明さが魔法を付与する媒体(魔道具)として最適であることがわかると、量産して輸出することを計画します。
これらをアウラとの作戦会議を経て、順序立てて実行に移していきます。
これは、私たちのビジネスにおいても、自社の強みや既存の資産(人材、技術、データなど)を改めて見直し、それを新たな価値へと転換させることの重要性を示唆していると言えるでしょう。
しかし予期せぬ事態に直面した際、善治郎は事前に練った計画に固執せず、状況に応じて柔軟に戦略を修正します。もちろんアウラと作戦会議を重ねながら。
たとえば彼は、アウラへの愛と現代日本の倫理観から側室を迎えることを強く拒否していましたが、他国や国内の有力貴族との関係性を考え、アウラと自身の感情を優先しながらも「名目上の側室」を迎える方向に舵を切っていきます。
これは、変化の激しい現代のビジネスにおいて、新しい情報に敏感になりながらPDCAサイクルを回し、常に戦略をアップデートしていくことの重要性も示唆しています。
確かに譲れないものはあるでしょう。企業であればその理念や誇るべき文化、そしてコアコンピタンスは重要であり、それをころころ変えていてはただの風見鶏組織です。
しかし社会の変化、たとえば価値観や技術トレンドなどに合わせて、変えるべきものも必ずあるはずです。
作品中でも、善治郎は「あると嬉しいものがないと困るものになったらどうなる?」と語り、アウラをハッとさせます。
ちょっと前のスマートフォン、そしてまさに現在の生成AIのように、私たちの生活や仕事、ひいては政治や外交を大きく変えてしまう「特異点」を見極め、考え方ややり方を柔軟に変えていくこと。これはいつの時代でもどのような世界でも必要です。
実は私が本作品で最も感心したのが、こうした戦略の検討や変更に至るまでの彼の思考プロセスです。
ヒトコトで言えばそれは「読む力」。
ある事象や状況、そして誰かの行動によって何がどう動くのか、つまり「未来を読む力」と、そのベースとなる「相手の思惑を読む力」です。
彼は、異世界の政治や文化を自分やアウラの視点だけでなく、様々な関係者(貴族、商人、他国の外交官など)の思惑を読み解くことで、より正確な状況分析を行い、それを複線で未来を読む、つまり説得力のある「シミュレーション」に繋げています。
これは、ビジネスにおける競合分析や市場動向予測においても、多角的な視点が不可欠であることを示しています。
未来のシミュレーションについては、楽観的にも、また悲観的にもならずに、極めて論理的に、かつ先に述べた多角的な視点で行っています。
まさに車の運転で推奨される「だろう運転でなく、かもしれない運転」ができており、これが彼の戦略脳を支えています。
…本作品のファンとして、そしてビジネススキルの講師として、まだまだ語りたいことはありますが、ネタバレにもなりかねないので、ここ迄にしておきましょう。
『理想のヒモ生活』は、単なるファンタジー漫画ではありません。
主人公が異世界で奮闘する姿は、現代社会で価値を創造し、交渉を成功させ、そして危機を乗り越えていくための「どの道で行くか」を決めることに対しての示唆をくれる、すなわち「戦略の教科書」として読むことができます。
戦略検討の1’stステップである「現状分析」では他国や国内という外部環境を多様に視点から見て事実をしっかり認識し、自分自身の強みと弱みを正しく認識すること。
そして今後の自分の行動から相手がどう出るか、また社会はどう変わるかを複線でシミュレートすること。
それを踏まえて今後の方向性、つまり戦略オプションを複数用意し、状況の変化に応じて臨機応変に態度や言動を変えていくこと。
さらに戦略を実行するために自分の周囲や他国の重要人物との信頼関係を築いておくこと。
これら「戦略の基本」を着実に計画・実行する主人公、それが善治郎です。
あなたの組織のビジネス戦略に行き詰まったとき、またあなたのキャリア戦略で悩んだとき、この物語から何らかのヒントを見い出してみてはいかがでしょうか。
(桑畑 幸博)
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