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今月の1冊

2026年03月10日

益田 ミリ著『今日の人生』



今日の人生
著:益田 ミリ; 出版社:ミシマ社; 発行年月:2017年4月; 価格:1,500円税抜

「今日の人生」
その言葉が、ふいに頭の中に浮かんだのは、病院で検査を受ける日だった。
大きな病院の待合室は妙に静かで、呼び出しの番号だけが響いている。診察室で、女性の医師は私の顔をほとんど見ず、淡々と検査の説明を続けた。私は大人らしく受け止めながらも、やっぱり少し寂しかった。
診察を終えた帰り道、近くの和菓子屋を探した。検査はまだ続く。特に何か言われたわけでもないのに、なぜかぐったり疲れてしまった。それでも今日の自分を労うために、豆大福を買った。それが、あの日の私の「今日の人生」。

「今日の人生」。この言葉に出会ったのは、益田ミリさんの『今日の人生』だった。

益田さんは、日常を淡いタッチのイラストと言葉で綴る作家だ。「すーちゃん」シリーズや「僕の姉ちゃん」シリーズ、「沢村さん家」シリーズなど、何気ない日々が幅広い年代から共感を集めている。

本書もまた、大きな事件が起こるわけではない。仕事の打ち合わせ中、歯医者の待合室、ホームで電車を待つ時間。そんな断片が、数コマの漫画と短い言葉で描かれている。
コマ数は決まっていない。ふたコマで終わる日もあれば、数ページ続く日もある。そして、ときどきコマの途中にぽつんと置かれる。

「今日の人生」。

それだけで終わる。説明も、まとめもない。けれど、その一言があることで、その日が静かに輪郭を持つ。うまくいった日も、冴えない日も、なんでもない日も、等しく「人生」になる。

益田さんは、どこか肩の力が抜けている。たとえば、新幹線が止まってしまった日。駅で立ち往生しながらも、「お腹が空いていては正常な判断ができない」と、持ってきたおにぎりをその場で食べてしまう。人の目を気にしすぎない。その身軽さが心地よい。

思い立てば、ふらりと出かけてみる。深く考えすぎず、まずやってみる。出来事を大げさにもしないし、必要以上に意味づけもしない。ただ、その日の出来事として受け止める。その軽やかさが、こちらの呼吸をゆるめてくれる。

人生を壮大な物語のように考えてしまいがちだけれど、本当は、こうした一日の積み重ねなのかもしれない。なんにもない日など、きっとない。
ああでもないこうでもないと考えすぎてしまう日もある。人の視線を気にし、正解を探し、疲れてしまうこともある。それでも、「行きたい」と思った場所に行く。「食べたい」と思ったものを食べる。短くても、自分の気持ちは言葉にしてみる。
『今日の人生』は、当たり前のことなのに、つい後回しにしてしまう自分の気持ちをすくい上げ、そっと一歩を踏み出してみようと思わせてくれる一冊だ。

だからあの日、早く帰りたい気持ちを抱えながらも、和菓子屋を探して豆大福を買って帰った。ほんのり甘くて、おいしかった。それも、私の今日の人生。

(米田)




 
今日の人生
著:益田ミリ; 出版社:ミシマ社; 発行年月:2017年4月; 価格:1,500円税抜
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