KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2011年03月08日

「天空」 安田侃 作

皆さん、「天空」をご存じだろうか。慶應MCCのすぐそばにある。
今度、慶應MCCや夕学五十講にいらしたとき、ぜひ、皆さんにも、会っていただきたい。
「天空」は彫刻家 安田侃氏の作品である。
つややかな大理石をやわらかくさえ感じさせるあたたかな形、そう、”魅力的”な形をしている。
丸の内仲通りに面した、丸ビルの皇居側の向かい側、三菱商事ビルの正面に「天空」はある。
「天空」はミケランジェロの彫刻と同じである。
カッラーラの大理石でできていて、ピエトラサンタの工房で生まれた。
イタリアのフィレンツェの北東に位置するカッラーラは、白大理石の石切り場として知られ、隣接するピエトラサンタに構えられた彫刻家たちの工房で、ルネサンス芸術の多くが生み出された。
2つの街はなんと、2000年の歴史を刻む。もしかしたらミケランジェロも安田氏も街にとっては同じ、最近の人、なのかもしれない。


ローマを彫刻の街として安田氏が案内する旅番組があって、終わりのほうで「サン・ピエトロのピエタ」が登場された。
「ピエタ」とは、イエス・キリストの遺体を膝に抱き、嘆き悲しむ聖母マリアを描いた、彫刻や絵画をいう。祈りのかたちの題材といえよう。イタリア語で、慈悲、悲哀を意味する。
世界に数々ある「ピエタ」の中で、もっともよく知られているのが、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にある、ミケランジェロの「ピエタ」である。
「ダビデ像」と並んで、ミケランジェロの最高傑作とも言われる。彼は生涯に4体のピエタを制作したが、一作目の「サン・ピエトロのピエタ」以外3体は未完成で、同じ題材ながら驚くほどに多様である。この「ピエタ」は、若々しく優しいマリアの表情と、繊細な全体像がとても美しい彫刻である。
1972年。「サン・ピエトロのピエタ」がハンマーで破壊される大事件が起きた。
当時、イタリアに留学中であった安田氏が事件を知り駆けつけたところ、「ピエタ」には、20mは近づけなかったという。それは「ピエタ」が、ローマ市民から捧げられた白い花で、一面、埋め尽くされていたためだった。
普段は、バチカン一の観光地で、常に人があふれ、ローマ市民はどちらかといえば避けている場所である。しかしこのとき、ローマ市民はこぞって「ピエタ」に花を、祈りを捧げに集まった。
「ローマ市民はピエタを心から愛しているのだとわかった。真っ白なピエタの姿に、感動した。」
安田氏が感動したのは、ローマ市民の心であり、そうした人と芸術との関わりであったのではないだろうか。
だからこそ、学べば学ぶほど、「このような彫刻は自分にはとうてい作れない。」と痛感し、悩んだのだという。しかし、その苦しみが原点となって、 “安田侃の彫刻”が生まれたのだ。
丸の内仲通りの「天空」、国際フォーラムの中庭にある「意心帰」、アルテピアッツァ美唄の「ローマでの「時に触れる」展など、氏の作品と展覧会の名前はいつも、”時空”を感じさせる。作品に出会っても”時空”がぴったりだと感じる。それは、安田氏の思いと石の経験が響きあって生み出される”時空”が、たしかに在るからなのではないだろうか。
「天空」は、大胆なほどにシンプルな形ながら、それが私にはうまい表現で紹介できない。
すべやかで、ひんやりとした肌は心地よくて触れていたくなる。しばらくそばにいたくなる。そうしていると、自分の中にあたたかなものが膨らんできて、心が、おだやかになる。
「天空」に込められた安田氏の心を感じたといえばそうであろうが、それまで気づかなかった自分の何かであるような気持ちも同時にしてならないのである。
そのとき浮かんだのが興福寺 多川俊映貫の言葉である。
「仏像とは、散漫な心を静めるための「方便」である。」
私たちの心の一番奥深くに眠っている無意識を、唯識仏教では阿頼耶識(あらやしき)という。その無意識が意識に上がってきたものが感情である。私たちは、その感情が気に入れば擦り寄り、気に入らなければ排除している。何かを好きだという感情があれば相反する嫌いも持っている。好きだと思っても次に嫌いに変わることもある。
意識と無意識を繰り返し、自分の都合で感情を選択している。私たちの心とは、きわめて流動的で、矛盾していて、常に移ろうものなのである。仏像とは、こうした散漫な心を静めるための道具だてのひとつ、なのである。ご登壇いただいた『夕学五十講』で多川師はそう語られた。
私は毎朝、二重橋前の地下鉄出口の階段をのぼり、丸の内仲通りに出る。ここでいつも、仕事モードのスイッチがカチっと入る。「天空」にあいさつをして季節とその日を感じる。帰りは「天空」にあいさつをしてここから家路につく。「天空」は私にとって心を静める方便でいてくれるのではないかと思う。
今度、慶應MCCや夕学五十講にいらしたとき、皆さんも、「天空」の前に立ち、触れて、対話してみていただきたい、と思う。とても魅力的だから。
(湯川真理)

安田侃氏の作品やプロフィールを紹介するサイト
http://www.kan-yasuda.co.jp/j/

アルテピアッツァ美唄
http://www.kan-yasuda.co.jp/arte.html
故郷の北海道美唄市では、閉山となった炭鉱の学校や街の跡地を、自然と調和した彫刻の公園「アルテピアッツァ美唄」に生き返らせ、市民に開放している。

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