夕学レポート
2011年08月09日
佐々木 俊尚「電子書籍とタブレットがもたらすもの」
佐々木 俊尚 ITジャーナリスト >>講師紹介
講演日時:2011年5月12日(木) PM6:30-PM8:30
講演の冒頭、佐々木氏は、今日は、電子書籍やメディアそのものについての本質的な話をしたいと切り出されました。大震災が起きたことで、これまでの私たちの社会のあり方そのものが問いなおされていますし、また、様々な分野で、時代のパラダイムが大きく変わる転換期のとば口に今、私たちは立っているからです。佐々木氏は、こんな時、人々は、表面的なトレンドよりも、本質的なことを知りたがっていると判断されたようです。
さて、昨年(2010年)は、電子書籍元年と呼ばれました。とはいえ、アップルの’iPad’が発売されたくらいで、大きな変化が生じた年ではなかったと、佐々木氏は指摘します。そもそも、電子書籍というと、’iPad’やアマゾンの”Kindle”など、いわゆる、電子書籍を読むための機器(リーダー)を連想します。そして、「紙に印刷されたものでないと本ではない・・・・」などと批判する人々がいます。しかし、それは本質論から言えば正しくないのです。
グーテンベルクが活版印刷技術を開発した15世紀以前は、羊皮紙(羊や牛などの動物の皮を用いたもので、いわゆる「紙」ではありません)に、写本僧と呼ばれる人が、本の内容を書き写すことで本が作られていました。しかも、本といっても多くは「聖書」であり、教会で神父が朗読するためのもの。聖書を信者たちが読むことは実質的に禁止されていたほどです。
ところが、印刷技術によって聖書が大量に作られ流通し、信者たちも読むことができるようになりました。実は、このことが、宗教改革、つまりプロテスタントが生まれる礎となりました。また、長い間忘れ去られていた、古代ローマ・ギリシャ時代の優れた知識や技術が、再評価されることになる「ルネッサンス」の活動にもつながったのだそうです。
こうしてグーテンベルクの発明以降、紙が用いられるようになるまでは、羊皮紙が、さらにさかのぼれば、竹筒やパピルス、そして古代には、重い「粘土板」や「石板」の上に文字は記されていたのです。したがって、書籍=紙の上に印刷されたものという固定観念自体を問い直す必要があります。
佐々木氏は、書籍を考える枠組みとして、「コンテンツ」、「コンテナ」、「コンベヤ」という3つの層(レイヤー)を示してくれました。「コンテンツ」はもちろん、本の中身のこと。「コンテナ」は、コンテンツが作られてから、読み手に届けるまでの流通システム。現代のコンテナは、「印刷物流」が主流です。そして、「コンベヤ」は、表現媒体で、現代のコンベヤの主流は「紙」ということ。
この枠組みを「写本時代」に当てはめれば、コンテンツは、聖書などに書かれた内容、文字通り中身のこと、コンテナは、写本僧によって写本が作られ、教会などに届けられる仕組み、コンベヤ、つまりコンテンツが記される媒体は、羊皮紙であったというわけです。
同じように、この3つの層で考えると、電子書籍の本質は、「コンテナ」、すなわち流通システムが、印刷物流からデジタル配信に置き換わるということなのです。したがって、iPad、Kindleのような、「コンテンツ」を読むための電子機器は「コンベヤ」に過ぎないのです。人によってデジタル配信を通じて購入した電子書籍をiPadではなく、紙に印刷してよむ人もいます。つまり、出力形態=媒体=コンベヤとしての紙が必ずしもなくなるというものではないのです。
さて、電子書籍により、メディアの在り方が大きく変化する中でも依然として悩ましい問題があります。それは、なかなか「良い本」を探せない、選べないということです。アマゾンのようなネット書店では、検索が便利ですが、始めから読みたい本がわかってなければあまり使えません。こうしたネット書店が提示する「お勧めの本」もそれなりに役に立ちますが、基本的にユーザーの過去の購買履歴に基づいているため、自分では思いもしなかった良書に巡り合うことは期待できないのです。
そこで、佐々木氏は、優れた本を見つけ出してくれる目利き的存在、佐々木氏の近著『キュレーターの時代』に基づけば、いわゆる「本のキュレーター」が必要とされていると主張します。実際、米国では、グーグルが発行する電子書籍(Google ebooks)は、読者にダイレクトに売るだけでなく、全米書店連合(ABA)傘下の独立系書店1,400店に卸売りされています。各書店は、独自の選択眼で電子書籍を選び販売するのです。コンテンツ、すなわち、本の中身はGoogleが提供し、誰でもネットというオープンな環境で購入できるわけですが、あえて「本のキュレーター」として、それぞれの選択眼で選びぬかれた本を紹介する書店を介在させる。これはいわば、書籍流通のソーシャル化とも言える動きだと佐々木氏は言うのです。
「ソーシャルリーディング」も普及しつつあります。ソーシャルネットワークなどを活用しつつ、仲間で同じ本を読み、感想や意見を交わす、すなわち、従来のように1人で読むのではなく、多くの人々と読書体験を共有するもの。ソーシャルリーディングを通じても、人は優れた本にも出会う機会が増えます。
こうした動きについては、似たような嗜好の仲間が集まることで結局はタコツボ化するのではないかと考える人がいるようです。佐々木氏によれば実際にはそんなことはないようです。ネット上では、リアルで会うことはほとんどない、多種多様な人々とつながることができます。彼らとの関係は、家族や会社の仲間といった「強いつながり(Strong Ties)」ではなく、「よわいつながり(Weak Ties)」です。こうした、自分とは生きる世界が違い、また関心や嗜好も大きく違う人々との「弱いつながり」からは、「強いつながり」からはけっして得ることのできない斬新な情報が得られます。本についても同じで、佐々木氏は、毎日チェックしている1000本以上のブログなどの記事に紹介されていたおかげで発見できた良書を大量に購入しているそうです。
佐々木氏によれば、大事なことは、数多くのブロガーなどの中から、自分の嗜好に合うキュレーターを見つけることだそうです。キュレーターとはひとことで言えば、前述した「目利き」です。彼らは、それぞれの価値観、世界観に基づいて情報を収集し、選別し、意味づけするという行為を行なっています。キュレーターは、「食べログ」といったレストランの評価情報が掲載されているサイトや、ユーザーのレシピが掲載されているサイトなど、様々な比較サイト、クチコミサイトに存在しています。中には、「カリスマ・レビュアー」と呼ばれ、おっかけファンが生まれるほど有名になる人もいます。
これからの時代は、独自の選択眼で情報を見極めるキュレーターと、彼らの価値観・世界観に同調できる人々によって、ある独立した空間が形成される。佐々木氏は、この空間のことを「ビオトープ(生態域)」と呼んでいますが、本に限らず、あらゆる分野において多種多様なビオトープが生まれつつあるようです。
今回の佐々木氏のお話を通じて、電子書籍の本質だけでなく、キュレーターという言葉で象徴される、新たなパラダイムの方向性が見えたように感じました。
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