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夕学レポート

2012年02月14日

川島 隆太「さらば脳ブーム」

川島 隆太
東北大学加齢医学研究所 教授
講演日時:2011年7月11日(月)

川島 隆太

「脳トレ」で有名な川島隆太氏ですが、研究者としての専門は「脳機能イメージング」です。これは、端的に言えば、「心の働き(思考や感情など)」と「脳の働き(脳のどの部位が働いているか)」との関係を視覚的に把握しようとする研究です。外科手術のように頭を開いたりすることなく、MRI(核磁気共鳴画像法)を用いて脳の働きを撮影するという方法で行っています。

そもそも、川島氏が「脳」と「心」の関係に関心を持ったきっかけは、子供の頃に、好きな女の子にふられた経験です。この時、自分と他人の頭の中(の考え・思い)は違うということを実感します。そして、東北大学医学部の学生の頃に出会った『脳の設計図』という本から、「心が脳の中にどう表現されているかを知りたい」と、脳科学の道を目指したのだそうです。

ただ、川島氏が学生だった頃は、脳機能イメージング研究はまだ夜明け前でした。前述したMRIのような機器が、どのように脳研究に使えるのか、誰も経験がありません。そこで、川島氏はまず、大脳生理学者がどのような研究をしているかを学ぶため、サルの研究で有名な京都大学霊長類研究所に内地留学しました。さらには、脳機能イメージングの先駆者であったスェーデンのローランド教授の研究室に2年間留学して、当時最先端のノウハウを日本に持ち帰ったのだそうです。

さて、川島氏は、「脳」について非常に興味深い数字を示してくれました。ヒトの大脳は、神経線維が複雑に伸びている神経細胞(ニューロン)によってできていますが、その数はおよそ2×10の十乗個だそうです。一方、「銀河」に含まれる星(天体)の数は、1~4の10乗個と推定されています。ヒトの大脳の神経細胞と、銀河の星の数がほぼ同じ個数であることは、たとえ偶然の一致だとしても、なにか神秘的なものを感じます。また、大脳の処理速度は4×10の15 乗ビットであり、現時点で最先端のパソコンの処理速度が64ビットであることを考えると、大脳の情報処理能力は並外れたものであることがわかります。

現在、川島氏が応用研究として手がけているもののひとつに「脳を鍛える方法の開発」があります。この研究をゲームに応用したことで、脳トレブームへとつながっていきました。では、具体的に脳のどこを鍛えるのかというと、それは大脳の「前頭前野」と呼ばれる部分です。ここは、社会(外部)からの情報を認知し、思考、判断する役割を受け持っていて、加齢とともにその機能は低下することがわかっています。

この前頭前野を活性化させるために有効なのが、「作動記憶」を強化することです。人の記憶を大きく分けると、短期記憶と長期記憶の2種類があります。作動記憶は短期記憶であり、理解や学習を行なっている際に、一時的に情報を保持しておく能力です。パソコンの仕組みに喩えると、一般に「メインメモリー」と呼ばれる「RAM(Random Access Memory)」に該当します。

作動記憶を鍛える方法に、縦横に3列に並んだ9個の丸印が不規則に点滅するのを見て、その点滅した順番をできるだけ長く覚える「視空間スパン課題」といったトレーニングがあります。これは、初めではせいぜい7-8個くらいまでの順番しか覚えることができません。しかし、トレーニングを積むと、数十もの順番を覚えることができるようになるそうです。

川島氏の研究によれば、作動記憶を鍛えると、作動記憶力が向上するだけでなく、その他の様々な情報処理力(認知力)も一緒に向上します。これは「転移効果」と呼ばれています。例えば、論理的に考えたり、新しい問題を解決する方法を生み出す「流動性知能」も向上することがわかっています。

また、冬季オリンピックの正式採用競技である「スケルトン」の滑走タイムが、前述のようなトレーニングを行なうことによって短縮されるという成果も出ています。スケルトンは、そりにうつぶせで乗ってタイムを競う競技です。最高速度130kmにも達するスピードで滑走しながら、カーブを曲がるタイミングなどを瞬間的に判断しなければなりません。作動記憶を鍛えるトレーニングは、こうした競技のタイム向上にも明らかに効果があるのだそうです。

もうひとつ、川島氏が大変情熱的に取り組まれているのが、認知症予防・治療のための「学習療法」です。学習療法は、いわゆる学校でやるような「読み書き計算」を認知症の患者さんにやってもらう方法です。小学校低学年レベルのごくやさしい問題を含む、難易度を変えた4000種類もの問題が準備され、患者さんの認知能力に合わせて、適切な問題を解いてもらいます。

この学習療法の成果は目覚しいものです。認知症の進展を止めたり、あるいは遅くするだけでなく、感情を失くし、周囲とのコミュニケーションがとれず、何年も無表情のままだった患者さんが、学習療法を続けるうちに、他の人との会話ができるようになり、笑顔もこぼれるようになるといった劇的な改善例があったそうです。多くの患者さんは、最初は問題を解くことに抵抗を示すそうですが、実際に取り組むと楽しくなり、次からは自ら積極的に問題に向かうようになるとのことでした。

川島氏は、年間2-3万円の費用で導入できる学習療法を患者さんに施すことにより、認知症の悪化を阻止し、結果として介護保険費用の増大をもたらさずにすむとして、年間で一人あたり約10万円の介護費用削減と経済効果があるという試算結果も示しています。また、学習療法は、日本だけでなく、海外でもその効果が認められており、米国をはじめ、英国やイタリアなどでの取り組みも始まっています。

最後に、川島氏は、「脳トレ」について触れました。脳トレが爆発的なブームになったことにより、いろいろな批判や、脳トレを否定する研究も現われました。ただ、国立大学の職員という立場では、こうした批判や研究に表立って反論することは、特定企業のゲーム製品の売上を後押しすることにつながるため、できなかったのだそうです。しかし、最近、改めて脳トレに脳を鍛える効果が明らかにあるという検証結果も得られ、新たな製品化にむけて開発を進めているということでした。

いわゆる「脳ブーム」は沈静化しつつありますが、心と脳の関係は着実に明らかにされつつあります。認知症を防ぐ以外にも、子供から大人まで、脳を鍛えることで日々の生活での思考能力がさらに向上するような様々な研究に、川島氏はこれからも注力されていくとのことです。

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