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夕学レポート

2014年06月10日

出雲 充「ミドリムシが地球を救う」

出雲 充
株式会社ユーグレナ 代表取締役社長
講演日時:2014年1月9日(木)

出雲 充

出雲氏によれば、「ミドリムシ」と聞くと「アオムシ」(モンシロチョウの幼虫)をイメージされる方が多いそうです。しかし、ユーグレナ(学名)の和名である「ミドリムシ」は、ワカメや昆布と同じ藻の仲間です。ミドリムシは、クロロフィル(葉緑体)を体内に持ち、光に当たると二酸化炭素から糖類を生成し、その過程で空気中に酸素を放出する「光合成」を行うことができます。クロロフィルは緑色をしていて、体がミドリに見えることからミドリムシと呼ばれるのです。

光合成は植物の主な特徴ですので、ミドリムシは植物の一種とみなすことができますが、植物と違ってミドリムシは自分で移動することができます。すなわち、「動物」の特性をも兼ね備えています。つまり、動物と植物の両方の特性を持つミドリムシは、野菜、魚、肉などに含まれる炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン類などを含む、59種類もの栄養素を持っており、「未来の食材」とも言われているそうです。

さて、出雲氏がミドリムシの研究を行うことになったきっかけは大学1年にさかのぼります。出雲氏は、サラリーマンと専業主婦、子供2人、多摩ニュータウンに住む典型的な一般家庭に育ちました。小さいころは海外に行ったこともありませんでしたし、将来起業することなど、まったく考えもしない子供時代だったそうです。

そして、出雲氏は東大生になった18歳に初めて海外に行ったそうですが、行き先として選んだのはバングラデシュでした。バングラデシュと言えば当時アジアで最貧国のひとつといわれていました。出雲氏は、飢えに苦しむこどもたちが街にあふれているに違いないと、日本からのおみやげにはカロリーメイトをたくさん準備して行きました。

しかし、現地についてみると飢えたこどもたちはいませんでした。こどもたちは、穀類などの炭水化物とカレーを3食ちゃんと食べていたのです。ただし、カレーは具なしで、これではタンパク質などの、炭水化物以外の栄養素をほとんど摂取できません。バングラデシュのこどもたちは、飢えてはいないけれども、栄養が偏っていた。つまり「栄養失調」に苦しんでいたのです。
現地の子供たちの手足が異様に細いのは、筋肉を作るタンパク質が不足しているからです。同じくタンパク質からつくられる血管はもろく、血管から漏れだした体液が内臓の間のすきま(腹腔)にたまってしまう。子供たちのお腹が膨れているのは栄養失調の典型的な症状だったのです。

バングラデシュ以来、出雲氏はバングラデシュの子供たちの栄養問題をなんとかして解決したいと考えるようになりました。東大では文科三類に入学していたのですが、3年進学時には農学部に転部して、優れた栄養素を持つものを探し求めました。そうして、植物、動物の両方の栄養素を持つ「ミドリムシ」に出会ったのです。

出雲氏がミドリムシの存在を知った時、なぜ、これほど栄養素が豊富なものが利用されていないのか不思議に思ったそうです。以前から、ミドリムシの実用化のための研究は世界中ですすめられていました。しかし、屋外大量培養が難しいことから、研究はほとんど頓挫状態だったのです。そこで、出雲氏は過去の研究成果を踏まえて、大学時代の仲間と共に屋外大量培養にチャレンジすることにしたのです。

ミドリムシの屋外大量培養が難しかった理由は、人間だけでなく、微生物などにとっても栄養のあるおいしい食べ物だったことにあります。培養中にミドリムシを食べる微生物が入り込んでしまうとあっというまに食べられてしまう。とはいえ、微生物が入れない無菌室のような環境での培養は、コストがかかりすぎて事業として成立しません。そこで、出雲氏らは、ミドリムシの培養には影響を与えず、かつ、他の微生物が入り込めないような培養液の開発に取り組んだのです。そして、1,000回以上の実験を繰り返した後、ついに2005年12月、ミドリムシの屋外大量培養に成功します。

出雲氏はきちんと知らなかった当初、栄養価の高いミドリムシは産業界から歓迎され、引く手あまたになると思っていました。ところが、それから3年間、様々な会社にミドリムシを売り込みましたが、どこも「他の会社が採用したらまた来てください」とまったくとりあってくれない日々が続いたそうです。

株式会社ユーグレナは2005年8月に創業。創業メンバーは出雲氏を含む3名。同年12月、世界で初めて屋外大量培養に成功したものの採用してくれる会社がなく、ほとんど売上が立たない。当時、出雲氏は月収10万円でなんとか生活していたそうです。

そして500社目の会社への売り込み。この会社に断られたらあきらめようと思っていた会社、それが伊藤忠商事でした。ミドリムシの将来性に着目し、一緒に事業化を推進してくれることになりました。総合商社の伊藤忠商事と資本提携することで、その後は次々とミドリムシを採用してくれる企業が増えて収益も拡大、2012年には東証マザーズへの上場も果たしています。

現在、ミドリムシは主に食材としての利用がメインですが、ミドリムシから取れる油脂成分は「バイオ燃料」として利用することができるのだそうです。とりわけ、航空機に用いられる「ジェット燃料」に適しています。そこで、出雲氏は2020年に、ミドリムシから作られたバイオ燃料で飛行機を飛ばすことを計画しているとのこと。便名はユーグレナから取った4907便。石垣島行きです。なぜなら、ユーグレナ株式会社が培養しているミドリムシは石垣島産だからです。この構想を必ず実現すると、出雲氏は講演のなかで述べました。

このように、ミドリムシは地球の食料問題だけでなく、エネルギー・環境問題をも解決できる可能性を秘めた生物です。しかし、ミドリムシが世の中に認められるまでに、出雲氏らには長くつらい苦難の日々を耐えなければなりませんでした。

そうした日々を耐え抜いた今、出雲氏がミドリムシから学んだことは「くだらないことはない」ということでした。出雲氏はミドリムシの事業化にあたって多くの人から「くだらない」などと言われ、否定された経験をしてきています。しかし、自分の信じる道をひたすら歩き続ければ道は開ける。出雲氏はそう確信しています。また、出雲氏は、自身としてはリーダーとしての資質があるとは思っておらず、優秀な仲間やパートナーに恵まれたおかげで今日があると考えています。ぐいぐい引っ張るような強いリーダーではなく、目標をかかげたら、ブレのない一貫した態度を示すリーダーであることを心掛けているとのことでした。

ユーグレナ社では最近、出雲氏がミドリムシに取り組むきっかけとなった、バングラデシュの子供たちの栄養失調を解決するための支援も始めています。ミドリムシの可能性を信じて、ひたすらミドリムシを追求してこられた出雲氏、「ミドリムシが地球を救う」とは、決して誇張ではないと感じられる熱のこもった講演でした。

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