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夕学レポート

2016年04月12日

林 真理子「小説を書く時間」

林 真理子
作家
講演日時:2015年12月9日(水)

林 真理子

作家・林真理子さんは、以下の三つの要素から、自分は作家に向いていると思うのだそうだ。

ひとつめは心身ともに健康であること。
作家の中にはうつ病の人もいるしよく入院する人もいるが、林さんは健康そのもの。よく食べ、そしてよく眠る。本が売れないのは編集者のせいで、売れれば自分のおかげと思える性格はとても作家に向いているんですよ、と言って会場からの笑いを誘った。

ふたつめは意地が悪いところ。
故・渡辺淳一氏は、林さんの小説を「意地が悪くて、読んでいるとイヤになるよ」と言ったとか。林さんは「普段は本当に優しくて、世のため人のためになることをしている。頼まれごとをされると断れないし、よく世話も焼く」と自身のことを評されたが、小説を書くとなぜだか意地の悪さが出てくるという。

三つめは、マメで努力家な性格。
これは調べなきゃと思うことがあると、億劫がらずにとことん調べる。苦にならない。
今から約20年前、「婦人公論」に連載を初めて書くことになった際は、大正五年の創刊時からの目次をすべてコピーして目を通したそうだ。そこには実に様々な女性が登場していて、林さん曰く「ネタの宝庫でした」。NHKの朝ドラで脚光を浴びた柳原白蓮さんの小説もこの目次をきっかけに誕生した。

現在は来年から西郷隆盛の伝記を書き始めるにあたり、資料を読んだり、鹿児島に飛んで人に会ったりという忙しい毎日。新聞の連載を持ち、週刊誌の連載を複数抱え、小説も書き、さらに大勢の友達に会って美味しいものをたくさん食べ歩いているというのに、どこにそんな時間が、パワーがあるのだろう…と思うのだけれど、ご本人の口調からは気負いのようなものを感じない。作家ってそういうものなんですよねーと、どこか力の抜けた口調がこちらを和ませる。

林さんの講演は面白かった。
この日の話の内容を図にしたら、一本の木のような形にでもなるだろうか。何かについて話すうち話題がちょっと脇道にそれる。話が面白くて聞き入っていると、いつしか幹の話に戻る。また話が先に進んでいくと脱線する。これまたユーモラスで笑っているうちにまた幹に戻る。
あっちこっちの枝や葉に話がいき、そのひとつひとつが面白い。気が付くと90分が経ち、一本の木が完成して、講演が終了していた。
さすが、林真理子さん。

せっかくなので、枝葉の話を少し紹介しよう。

  • 2011年の暮れ、福島県の磐城高校でボランティアで講演をした。今日ここに来てくださっている人たちとは違い、高校生は「誰このオバサン?」という目で私を見ていた。私のことを知っていますか?と聞くと、手が上がったのは2~3人。なんとか心をつかもうと、「私は『エンジン01』というボランティア団体の幹事長をしています。副幹事長にはAKB48のプロデューサーである秋元康さんもいるんですよ」と話し、当日はAKBのメンバーにも来てもらい(あまり売れてない子たちだけどね)、私もAKBの衣装を身に着けて歌って踊ったけど、高校生の目は冷たいまま。そのうち自分がどう努力をして作家としての道を歩んだかを熱く語ったのだが、高校生の反応はいまひとつだった。が、会場でただ一人、この話に感動した人がいた。それが、講談社の編集者。この講演をきっかけに、後日「野心のすすめ」を出版することになった。
  • あるとき友達の家を訪ねようと閑静な住宅街を歩いていた。すると、安っぽい服を着て、まっ茶色の髪をした、見るからにヤンキーな女の子が私の前を歩いていた。この街にふさわしくないような子だなあと思って見ていたら、私が訪ねていこうとしている家に入っていくではないですか。家から息子が出てきたので、「さっきの子は誰?」と聞くと、「僕の彼女だよ」との答え。親はどんなにがっかりするだろうなあ…と思った。自分の家はそれなりの家だと思っていたのに、息子が連れてきた彼女が見るからにヤンキーだった瞬間、親は「そうか、我が家は下流だったんだ」と気づく、そんな発想から小説「下流の宴」が生まれた。
  • 私には高校生の娘がいる。私は還暦を過ぎているが、同級生のお母さんの中には40代の人もいるよと娘に言われるので、「その人たちは昔ヤンキーだったんだよ」と答えている。(いずれ同じ経験をする私には参考になる話だ。)
  • 先日、JR九州のななつ星に乗る機会を得た。ちょうど娘の試験期間中で、夫からは「こんな時期に行くのはやめなさい」と言われたが、そんなことは関係ない。面白いことには血相を変えて飛び込んでいくのが作家である。そのななつ星で、ドイツから旅行に来ている女性と話をした。彼女は村上春樹さんのファンで、「いつか村上春樹の小説をドイツ語に翻訳するのが夢だ」と話すものだから、「私は日本で『オンナ村上春樹』と言われているのだ」と自己紹介をした。あ、もちろん後から否定しましたけどね。
  • 生の村上春樹さんに会ったことがある人はこの業界でも極めて少ない。村上さんは業界のヤンバルクイナと呼ばれている。お気に入りの編集者が5人くらいいて、その人たちしか会ったことがないんじゃないか。けれど私は生の村上さんに会ったことがあるのだ。青山の裏道を歩いていたら、向こうから村上さんが歩いてきた。私が「あ、村上さん」と話しかけると、「あ、どうも」と返してくれた。「どちらかにお出かけですか」と聞くと、「○○(というスポーツジム、名前は失念)からの帰りです」と答えてくれた。この出来事は私の自慢だ。

・・・などなど。
 
お話をうかがううち私が好きだなあと思ったのは、どんな話をするのもトーンが変わらないこと。どこかのんびりした口調で、こんなことがあったんですよね、美人って怖いですよね、この業界は斜陽産業どころか壊滅産業なんですよ、大手の出版社の中堅社員ほどの収入がある作家なんてそんなにいないんじゃないですかね、今年は私の本が売れなくて先日定期預金を解約したんですよ、私はもう200冊も出しているんです、かなりの早いペースなんですよ…と滔々と話をする。話の軽重や、大きなテーマか身近な話か、幸せなことか不幸なことか、などによって話し方が変わったりはしない。常に一定。

いいことも悪いことも、嬉しいことも悔しいことも、妬ましいことも逆に人から妬まれるようなことも、事実を一歩引いて眺める。淡々と見る。そして自分の胸の内で転がして、ストーリーを練り上げる。なんというか、開いている。面白がっているようにも見える。それを本人の言葉では「意地が悪い」というのかもしれない。
私に言わせれば、これが作家かあ、という感じ。いや、さすが林真理子さんかあと感心させられた。

林さんは「時代にフィットしたものを書くね」と言われることが多いそうだが、本人の感覚は「10回に1回くらいスマッシュヒットが決まる」。次こそは、次こそは…という思いで今も書き続けているそうだ。

西郷隆盛は、歴史上の人物で私が最も好きな人物。来年はその西郷隆盛の伝記を手掛けるというのだから嬉しい。林さんの手によってどんな風に切り取られ、肉付けされ、息を吹き込まれるのだろう。文庫本を一冊買うと作家のお財布には100円が入るそうだ。
私、絶対買いますからね。文庫本ですみませんが、その本を読む日が今からとても楽しみなのです。

(松田慶子)

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