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外尾 悦郎「ガウディの思いを継ぐということ」

2016年05月10日

講演日時:2016年1月7日(木)
外尾 悦郎
サグラダ・ファミリア彫刻家

外尾 悦郎

「ガウディの思いを継ぐということ」
そう題を掲げながら しかしその彫刻家は
遥かフィレンツェは ドゥオモの祭壇から
みずからの語りを始めた

その大聖堂に 700年もの間 決して
形作られることのなかった正規の説教壇
その機会が永遠に失われる前に開かれた
七年にも及ぶ激しいコンペティションの末
外尾悦郎氏はそれを作る栄誉を勝ち取った

いや 選ばれたことが栄誉なのではない
その壇で フランシスコ教皇が教えを説く 傍らには水杯が置かれる
何世紀も前からそうであったかのように設置されてすぐ用に供される
本来あるべきものを形にした そのことがほんとうの栄誉であったのだ

25歳の青年が 日本を離れ 偶然という名の運命に導かれ
バルセロナで石を彫り続けること38年間
しかしその年月は サグラダ・ファミリア百三十余年の歴史の
わずか三分の一にも満たない
しかもこの教会は まだ完成すらしていないのだ

サグラダ・ファミリア 聖家族贖罪教会
アントニオ・ガウディが夢見たその「神の家」を
ある者は「石の聖書」と名付け
ある者は「ミサのための楽器」と言い当て
そしてある者は「人間を創るための道具」であるとした

ガウディは二度 喪われた
一度目は1926年 不慮の交通事故で その肉体が
二度目は1936年 内戦による破壊で 直接手掛けた教会の要部が
加えて 弟子たちに残していた数少ない図面や模型の多くも失われた

それでも人々は ガウディの遺志を受け継ぎ 聖なる家を造り続けた
目に見えるもの 手に取れるものは失われても
未来への希望は失われていなかった

生誕のファサード 慈悲の門 希望の門 信仰の門 ロザリオの間
あるいは植物の芽 虫と雑草 葉と果実 魚や蛙 そして天使たち
外尾氏は創りだす 荘厳な空間を 愛溢れる時間を ガウディとともに

迷った時は問う ガウディならどう考えるか

「人は 答えを見つけることで成長するのではない
疑問を持つこと それ自体が人を成長させる
そして 楽な成長はない
信仰とは何か それひとつとっても 誰も答えを与えてはくれない
他ならぬ私が考え出さないといけない
考え続けること それ自体が 愉しみである」
そう言って外尾氏は笑う

斯く言う外尾氏も 初めはガウディばかりを見ようとしていた
そうして見えなくなっていた 他の多くの人と同じように
やがて気づいた ガウディを見るのではなく
ガウディが見ていたものを見ればよいことに
ガウディと同じ視点に立ち 同じ方向に目をやった時に
ガウディの肉体が辿り着けなかった 未来 が見えた

我々は同じものを見ているのに同じものを見ていない
見ていること 聞いていること 感じていることは 一人ひとり違う
「これは幸いなこと」 そう言って外尾氏はまた微笑む

それでも外尾氏は ガウディの見ていたものを見つけたとは言わない
「探し続けている」 ずっと いまも
それが 歴代の主任建築家が 自分を使い続けてきた理由だという
何が真実かを探すこと 探し続けること それが一番大切なこと
そしてそれが ガウディの考えていたこと

「ガウディが何者かはまだわからない
でもとりわけ 若い人は ガウディに未来への希望すら抱いている
それは この奇妙な建物に 本来あるべきものが隠されているから」

ガウディは説いた 常に子ども心を忘れるな 子どものように観察せよ
そして観察なくして発見はない
『人間は創造しない ただ 発見するだけだ』

ガウディは自然の中に直接 かたち を見出していた

天井に糸の両端を結び垂らす その糸の中央に錘を吊るす
引力に導かれた糸が カテナリーと呼ばれる懸垂曲線を描くとき
それを反転させたのが サグラダ・ファミリアを縁取るあの優美な曲線
答えは引力が知っている 建築にとって最大の敵が答えを知っている
ガウディは天地を逆にし 構造を自然に見出した

同じように
窓のデザインは光が知っているはず
煙突のデザインは煙が知っているはず
そう考えたガウディは 窓を光に 煙突を煙に
そして構造体を引力にデザインさせた
彼こそは 謙虚なエコロジーの人であり
子どものごとき観察者であり なにより自然の力を信じた人であった

機能 構造 象徴
それらが三位一体となったデザインが
つまり ガウディが見出した 神の創造した自然の知恵が
サグラダ・ファミリアの全体を遍く包み込んでいる

「物質的な豊かさの中の自由を 水平の自由 とするならば
自らを精神的に高める 垂直の自由 が存在するのではないか
そして垂直方向に獲得された自由こそが 天に向かう道
すなわち信仰なのではないか」
バルセロナの蒼き天空を指すサグラダ・ファミリア その聖塔の麓で
外尾氏の見つけた それは紛れもなき真実

「我々の生は 無限の時間の中では 一瞬のまばたきのようなもの
宇宙は それ自体がものすごいスピードで動き 決して元に戻らない
そうしている間にもこの儚い命は尽き果てていく」
だからこそ 忙しさを呟く現代人こそ考えを改めよ と外尾氏は説く

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「時間は過ぎていくものではない 我々が時間の中を過ぎているのだ」

この ちっぽけな人間とは なにか
この 面白きもの 不完全なもの そして善なるものは 一体なにか

人間の力のうち最高のものは愛情である
そしてその対極にあるのがジェラシー
ガウディが 同時代人のジェラシーと闘ったように
外尾氏もまたこの地で 余所者の外国人として
自らへのジェラシーを痛いほど感じながら
懊悩し 闘い わずかな隙間に居場所を切り拓いてきた

「善も悪もあってサグラダ・ファミリアは創り続けられている
問題は毎朝発生する 私の闘いは皆さんの闘いと同じ」
それでも あの聖堂が1ミリでも良い方向へと進むよう
息継ぎもままならないほど どっぷりと頭まで水面下に身を沈めながら
外尾氏は今日も闘っている

その外尾氏の 自己に向けられる目は より厳しい
「自分の仕事の最大の批判者は自分でなければならない
私より厳しく私の仕事を批判する人がいたら
私はその人に勝てなかったということ」

そうまでして なぜ サグラダ・ファミリアを創るのか

「我々は芸術を創っているのではない」
「サグラダ・ファミリアがぼろぼろになってもいい」
「もし それで 人間が完璧に完成するのなら」
「それが その人が 真実を探そうとした結果なら」
なぜなら
「サグラダ・ファミリアは人間を創るための道具に過ぎないのだから」
そう 外尾氏は言い切った

そしてサグラダ・ファミリアは創り続けられる 人間の手で

「テロリズムは 宗教の問題でも 国家の問題でもない
それは 人間の問題である
この時代 これからの人間が いま 試されている
真剣に人間を観察している者だけが答えを出せる
世界遺産といってもしょせん 人間の創ったものは負の遺産
偉大なものであればあるほどそこには人間の負の側面が表われている
実際に石を積まなくても
皆さんがサグラダ・ファミリアから強いものを感じるなら
あなたもサグラダ・ファミリアを創り上げている
そうやってサグラダ・ファミリアは生きていく したたかに」

欲望 野心 嫉妬
人間の持つ 拭い切れないもの
あらゆることがサグラダ・ファミリアでは起こる
そこには人間のすべてがある
どろどろとした闇を抱えたサグラダ・ファミリアが
光を求めて創り続けられる

「ガウディは何を見ていたのか 何を創ったのか
そう問うことがガウディを継ぐということ
ガウディだけを見るな ガウディの真似をするな
ただ ガウディが見ていた方向を見よ
その瞬間 ガウディがあなたの中に入ってくる
それが ガウディの意志を継ぐということ」

垂直の自由 と 水平の豊穣
空間の秩序 と 時間の混沌
あらゆる二軸が十字に直交するその場所で
建築家と彫刻家の交響する想いは 熱を帯び 光を放ち
やがて世界を照らし出す 希望とともに

(白澤健志)

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