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夕学レポート

2017年08月08日

伊賀 泰代「人と組織に求められる生産性」

伊賀 泰代
キャリア形成コンサルタント
講演日時:2017年6月2日(金)

「生産性」と「成長」の方程式

伊賀泰代

半年前に『生産性』という本を出して以来、伊賀泰代さんのところには企業からの講演依頼が引きも切らないという。曰く、「我が社には生産性の意識がない、意識改革のために講演に来てほしい」と。「でも講演というのは、意識改革のためにはもっとも生産性の低い方法で、そのことは本にもきちんと書いておいたんですけど」と微笑む伊賀さんにつられて笑いそうになるが、その自分もこうして講演を聞きに来た満場の聴衆の一人であったことに気付く。

マッキンゼーで長く採用と育成に携わってきた伊賀さんが、独立してまず書いた本がリーダーシップを論じた『採用基準』であったことは驚くにあたらない。驚くべきは、外資系コンサルなんてこんなものだろうという先入観を悉く打ち砕くその内容だった(詳しくは同書で確認してほしい)。欧米に比して日本が劣るただ二つの要素が「リーダーシップ」と「生産性」であり、その両者を身に付ければ日本の将来は開ける、と伊賀さんは断じるが、そこで言う「生産性」は、多くの日本人がイメージするそれとは、おそらく違う。

トヨタをはじめとする日本の製造現場の生産性の高さは誰もが知っている。だが非製造業やホワイトカラーの生産性はアメリカの半分、先進国中最低レベル。それを自覚している日本人がどれだけいるか、と伊賀さんは嘆じる。もちろん米国の店員が日本の2倍テキパキしているとは思えない(むしろ逆)。問題は現場の人ではなくマネジメントである。

マネジメント問題、という括りで提示されたのは以下の3点。

  1. 1990年までの「安い国」の稼ぎ方とその成功体験:かつて安価で良質な労働力に恵まれ「安い国」だった日本は、今では社会福祉の膨張と人口減少に悩む「高い国」。ならば昔と違う生産性の上げ方を考えなければならない。
  2. 売上げが大きいことが一番という感覚:今は利益率やROEなどで世界が評価する時代。なのに、利益率が低くても赤字にならない限り撤退しないのが日本企業。これが過当競争の根本原因。
  3. 生産性=コスト削減=クリエイティブな仕事には無関係、という思い込み:だが非製造業にこそ生産性向上が必要。捻出された余裕がクリエイティブの原資となる。

矛先は「働き方改革」を掲げる政府の取り組みにも向かう。「一億総活躍」とは女性・高齢者・外国人を総動員して労働者数を増やす話、「残業規制」や「プレミアムフライデー」は一人当たりの労働時間を減らそうという話。いずれも単に、投入資源をコントロールしようという話に過ぎない。
ここで伊賀さんは、「生産性」を以下の式で定義した。

 生産性 = 成果 ÷ 投入資源

生産性を高めるには成果(分子)を増やすか投入資源(分母)を減らすしかない。が、政府にしろ、企業にしろ、今の施策は分母(投入資源)にばかり目が向けられ、分子(成果)そのものへの着目はほとんどない。

例えば「会議」。会議時間の短縮に熱心な企業は多いが、成果を2倍3倍にしようとする企業は少ない。時間が短縮できても意思決定の質(=成果)が下がれば生産性が向上したとは言えない。会議の生産性向上には「この会議で何を意思決定するのか」を事前に明確にすることが必要である。アジェンダや議案リストは体言止めにせず、「来年度予算について全員の賛同をもらうこと」などと書く。会議の終了時にはメールでアンケートを取り、参加者にその会議の生産性を主観的に評価してもらう。時間やコストの割に決定事項が質量とも十分なら緑、しょうもないと思えば赤、どちらでもなければ黄色。その色分けの積み重ねが、会議を、自然と生産性高いものに向かわせる。

同様に、個人の生産性も評価する。週の勤務時間を3時間ごとに分けると、3枠×5日=15枠。そのマス目を描いた用紙を手に、金曜の午後、職場のグループで集まる。今週実施した仕事を各自がそれぞれの用紙の枠に書き込む。次いで枠ごとに生産性がどうだったかを自己評価で色分けし、報告し合う。対策や指導は不要、叱責や弁護も無用。ただ明示し共有する。それだけで人は、言われなくても、自ら「どうすれば赤を黄に、黄を緑に変えられるだろう」と考え始める。意識改革をしてから実践、ではない。実践することによってのみ意識改革がなされる。計測、振り返り、試行、計測、このサイクルを地道に繰り返す。あなたが管理職なら、「今週手掛けた仕事を生産性の高い順に並べ、メールで送らせる」ように部下に指示することも、彼らに自らの仕事の生産性を考えさせるきっかけとなる。

よりドラスティックに生産性を上げるには、経営者・部門長・管理職の態度がより重要だ。部下が立派な資料を作ってきたら、その出来栄えを褒めるとともに「何時間かかったか」と訊く。答えが返ってくれば「今度はそれより2割短い時間で作って」と注文する。周囲に聞こえるようにやり取りすれば、みんなが時間を意識し始める。管理職の言動が部下の意識に与える影響は大きい。年に一度か二度は、部下に「止めるべきと思う仕事」を一人3つずつ挙げさせもする。時間の割に利益貢献していない仕事を廃止ないし短縮させる、それは管理職にしかできない役目である。

ここで伊賀さんは、式をもうひとつ提示して「成長」を定義した。

 成長 = 今年の生産性 ÷ 去年の生産性

マッキンゼーの人は総じて勉強熱心。でもインプットばかり増えて思うように成果が挙がらない人も多かった、と伊賀さんは振り返る。無駄な努力をして疲弊するのでなく、求める成果から逆算して必要なスキルだけを身につけさせられないか。それが「生産性」をキーワードとした人材育成に乗り出す動機でもあったという。生産性向上に直結するスキルとは、実は英語力や分析力などではなく、会議を本題から逸らそうとする上司の雑談を嫌味なく止めさせる話術だったり、上司の指示に「資料の見栄えをよくするには3時間の残業が必要ですがやりますか」と言えることだったりするのである。

一人一人が「生産性」や「成長」をこのような定義で捉え、一人一人がリーダーシップを発揮する組織になれば、マネージャーの居場所は早晩なくなる。それが組織力を高めることにもつながる。だがリーダーの需要はなくならない。ばかりか、これからの時代、その必要性はますます高まるだろう、と伊賀さんは結んだ。

生産性とは、投入資源の「量」でなく、成果との「比率」で自らを評価する尺度であった。比率を意味する英語ratioのつづりは、ラテン語では「理性」とも読める。去年と今年、今週と来週という時間軸の上で、生産性という名の比率に基づく理性的な判断を繰り返すうちに、私たちのライフとワークのratioはより望ましい一点に収斂していくに違いない。そしてその黄金比的なratioは、考えることを放棄した末にその場にとどまる静的な値ではない。考え続ける者だけが繰り返し到達できる、無限に高みを目指す運動を内包した比なのである。

(白澤健志)

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