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夕学レポート

2019年11月12日

吉田 裕、保阪 正康「兵士達が見たアジア・太平洋戦争」

吉田 裕
一橋大学大学院社会学研究科 特任教授
保阪 正康
ノンフィクション作家
講演日時:2019年7月31日(水)

古くて新しいアジア・太平洋戦争

吉田 裕

保阪 正康

歴史とは思い出すもの、と批評家・小林秀雄は言った。真意はいずこにありやと考え続け腑に落ちた実感はまだないが、それでも夏には、いやがおうにも戦争を〝思い出す″。

8月15日の敗戦記念日に前後して放たれるテレビのドキュメンタリー番組や映画、マンガ、アニメ、小説――幼少期から中年になるまで、相当量の戦争コンテンツを浴び、それなりに知識を蓄積した気になっていた。しかしながら、いまだ日本の近現代史・軍事史が緒についたばかりの若い学問で、にもかかわらず研究のための史料は先細る一方という。愕然とした。

約20万部を売り上げた『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』が刊行されたのは、2017年の末。19年8月現在も、なおアマゾンの日中・太平洋戦争ジャンルで1位を保持するロングセラー新書だ。カスタマーレビューはどれもみな熱い長文ばかりで、兵士の眼から戦争を描いた点が客観的で真に迫ると高評価が多い。登壇した著者・吉田裕氏は、兵士の「こころとからだ」に着目してこの本を書いた、と明かした。読者が自分の問題に置き換えやすいように。いわゆる自分ごととして捉える、というやつだ。

たとえばパイロットの扱いがブラックを通り越し、犯罪の地平へと向かっていた件。「薬物に依る疲労快復の直接手段と併せて〔中略〕有ゆる方策を講ずるを緊要とす」(『軍医団雑誌』、1943年)とあるように、パイロットを覚醒剤漬けにし真にトンだまま24時間闘わせようとしていたらしい。

兵士に人権はない、ましてやメンタルヘルスをや。「皇軍には頭のおかしいものなどいない」という理由から、海軍に蔓延した戦争神経症も軽く鼻であしらわれた(海軍軍医・黒丸正四郎の記述より)等々。
確かな史料に裏打ちされた、真に迫った兵士たちのエピソードが、きっと多くの人の共感を集めたのだろうと推察できる。

吉田氏は、長年アカデミズムの中央で軍事史を研究してきた方だが、先に述べたように軍事史は戦後史の中でも比較的「新しい」研究で、近現代史そのものが長らく歴史研究の対象になっていなかったという。なぜってそれは生っぽ過ぎるから。

「50年以上経過した時代でなければ、利害が絡んで客観的な評価ができないとする〔50年原則〕の壁」に研究が阻まれたのだ。伝統的な歴史研究界では、当然の認識であるらしかった。貴重な戦争体験を持ち、やる気に満ちた若い研究者の前にも壁は立ちはだかり、彼らはみな一様にマルクス主義へと宗旨変えしていったという。もちろん、敗戦と同時に軍上層部が証拠隠滅をにらんで文書を早々となきものにしたことも大きいだろう。

一方では、戦後すぐ防衛庁内に「戦史室」が置かれ、戦史編纂官と呼ばれる専門家が膨大な一次史料をもとに102巻からなる『戦史叢書』の編纂事業を行っていたことも事実。だが編纂官のほとんどが旧軍のエリート将校で占められ、従って内容には陸軍×海軍のチキンゲーム――戦争責任のなすりつけ合いが色濃く反映されたものになってしまった。ちなみに戦史室は戦史研究センターに代わり、現在も安全保障のシンクタンクとして防衛研究所に置かれてある。現在の研究者の略歴をみると、国際政治を学び、留学経験や博士号のある人も多い。そんなセンター内の研究者からも『戦史叢書』への批判の声が上がっているらしい。

正しく学び続け、歴史〝勘″を研ぎ澄ます

途中からはジャーナリズム界から近現代史の泰斗・保阪正康さんも加わり、盆と正月のような贅沢な対談に。してみると保阪氏の憂いも同じ出発点に在った。

「明治以降、日本人が軍事学の要諦をわかっていた瞬間が、果たしてあったのでしょうか」。
根本的なところからのツッコミである。

アジア・太平洋戦争でいえば、イシューは常に軍事指導部の作戦や、戦争犯罪の観点からのつまみ食いばかりで、大局的な総括は皆無。兵士たちの戦い方が具体的にどうであったかすらよくわからず、たとえば6000もあった「戦友会」が遺したガリ版刷の粗末な史料などは国会図書館に入るべくもなく、多くが散逸したという。

これらアジア・太平洋戦争を中心とした戦争の史料をいかに収集し、管理し、残していくかが、今後の日本のあり方を大きく作用すると、ふたりは口を揃えた。そこから?と絶望している場合ではない。市民として、読者として、うねりを作っていく意識は誰しもが持たねばならないだろう。

吉田氏は当面の問題として、自身が来春に退官して研究室を明け渡すにあたり、丹念に集めた本の数々を「中国か韓国かアメリカにでも買い取ってもらうしかない」とぼやいていた。あながち冗談でもなさそうなのは、かつてソ連が崩壊した時、こぞってイギリスが、フランスが、米イェール大が、史料を入手するべくわらわらと集まってきたが、そこに日本人の姿は無かったという例があったから。大学はじめ日本の知のシステム全体に史料を集めようとする気概と体力がもう無いようなのだ。

いつだって政治が失敗すれば、軍事が発動する。軍事史なんてウヨや軍事ヲタがやることでしょ、などと思ってはいけない。イデオロギーを超えて、歴史の感覚を研ぎ澄ましておく必要が、誰にとっても必要なのです――振り絞るような声で放たれた保阪氏の言葉が、リアル過ぎて震撼する2019年夏。

歴史を正しく思い出す。まずは『日本軍兵士』を買いに行く。

(茅野塩子)

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