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夕学レポート

2005年02月08日

陰山 英男 「教育改革の現場報告」

陰山英男 広島県尾道市立土堂小学校 校長 >>講師紹介
講演時:2004年12月14日(火) PM6:30-PM8:30

「百マス計算」で知られた陰山英男校長の講演は、日本の教育環境の問題の本質を鋭く指摘しつつ、土堂小学校での精力的な取り組みをご紹介いただく内容でしたが、陰山校長の教育にかける情熱・熱意には心を打たれました。


さて、最近、日本の子供たちの学力低下が問題になっていますが、陰山校長によれば、学力は、努力すれば短期間に伸ばすことができるものだそうです。このことは、「百マス計算」によって、子供たちの学力は短期的に大きく伸びるという、ご自身の経験からもわかっていることです。陰山校長は、いまだ日本の教育力は失われていないし、多くの教師たちも健全であるということを確信していますので、「学力低下」に対しては、あまり心配はしていません。
むしろ、陰山校長が問題視しているのは、学力だけが低下しているのではない点です。今の子供たちは、体力や精神力も大きく低下しています。いわば「生命力」、「生きる力」が落ちているのです。陰山校長は、生きる力の低下は昭和60年頃から始まったと考えています。その頃、一家に一台から一人一台というテレビの個別化が進み、深夜番組を子供たちが見るようになりました。さらに、同時期からテレビゲームやレンタルビデオも普及したことで、子供たちの睡眠時間がどんどん削られていったのです。また体を動かして遊ぶことも減り、体力が低下していきました。現在、学校での体力測定から「背筋力テスト」が省かれているそうですが、これはぎっくり腰になる子供たちがいるからだそうです。食事についても、「お袋の味から袋の味へ」、つまり、袋入りのレトルト食品やファーストフードで食事を済ませて塾に通うような子供たちが増え、食事のバランスも崩れていきました。さらに、最近のインターネットや携帯の普及は、睡眠時間を減らすだけでなく、直接的な人間関係(直接的なコミュニケーション)を減少させ、人の感情の機微を読み取るようなコミュニケーション能力の低下も招いているのです。
さて、睡眠不足でろくな食事もできない現状では、子供たちは、まともに勉強する気が起きるはずもありません。したがって、陰山校長は、学力低下の問題を解決する方法は、「子供たちを元気にすること」だと考えています。それは、具体的には、早寝早起き、きちんとした食事、家庭の団欒といった基本的な生活習慣を取り戻させることだと陰山校長は主張します。決して、詰め込み教育を復活させることではありません。気力・体力が低下したままの子供たちにそれをやれば、再び、校内暴力などの荒れる・キレるという問題が復活してしまうでしょう。
陰山校長は、「百マス計算」による学力向上の効果がマスコミなどで話題となる一方で、「百マス計算」が、現在の教育問題の根本的な解決ではないことをわかっているものの、当時はそれ以上のことができないことに、複雑な気持ちを抱いていたそうです。しかし、土堂小学校は、尾道市の教育改革プランの一貫として、外部から校長を公募した実験指定校です。ここでは、校長の教育方針通りに自由度の高い教育を行うことができます。陰山校長に言わせると夢のような教育環境が与えられています。そこで、陰山校長は、土堂小学校において、子供たちの生活環境の改善がどれだけ学力向上にも寄与できるかをリアルタイムで見てもらうことにしたのです。
陰山校長は、土堂小学校に通う子供たちの親に対して様々なお願いをしました。早寝早起き、テレビは1日1時間以内、週1回は家族で食事をする、などです。陰山校長が土堂小学校の校長として赴任して1年半ほどが経過しましたが、この期間で国語、算数といった基礎学力が向上すると同時に、体力や精神力も向上しました。土堂小学校では、小学校6年生の半分が夜9時半までに寝ています。朝は7時10分ころから登校が始まります。子供たちは、朝早くから遊ぶようになりました。土堂小学校は50メートルの直線トラックが取れないほど校庭が狭く、体育館も小さいのですが、投げる力、走る力などの基礎体力は、全国平均を上回っています。家庭では、テレビを見る時間が少ない分、親たちと話す時間も増えました。挨拶の声が大きくなったと、地域の方から言われるようになったそうです。子供たちのコミュニケーション能力が上がり、周囲との人間関係が安定してきたのです。土堂小学校には何人か不登校傾向の子供たちがいたのですが、いまではそれを克服し元気に学校に行っているそうです。
結局のところ、「学力再生」は、「生きる力の再生」なのです。それにはまず、基本的な生活習慣を身に付けさせることが先決であり、その上で「読み書き計算」の反復練習を通じて脳を鍛え、ゆるぎない基礎学力を作っていくべきなのです。陰山校長は講義の冒頭に、教育に関する論議は、事実が十分に認識されておらず、批判から入ることが多く、対処療法になりがちになることを指摘されましたが、陰山校長による教育現場からの報告は、事実認識に欠けたまま、安易な批判や短絡的な解決策を求めてしまう私たちにとって、目からウロコの内容でした。

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