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夕学レポート

2025年01月22日

山口 周氏講演「クリティカル・ビジネス・パラダイム~価値観のアップデートを~」

山口 周
コンサルタント
著作家
講演日:2025年1月10日(金)

山口 周

クリティカル・ビジネス・パラダイム。〇〇ビジネスのような言葉はよく聞く言葉でやや食傷気味でもある。ではパラダイムは?調べると「理論的枠組」のことであった。サブタイトルは「価値観のアップデートを」とある。もはや既存のビジネスの理論的枠組では駄目だから価値観のアップデートを図ろうという内容なのだろう。単なる名札の付け替えでないのなら何がどう違うのか。それこそ考え方に活路を見出すべく講演会へ行った。

夕学講演会での数々の講演を通して自分が時代の転換期にいるのはわかった。でも考え方の転換をどのようにすべきかは正直なところわからない。コンサルタントの扱う領域なのか。むしろ歴史学者や未来学者の扱う範疇ではないかと思ってもいたので名札の付け替えだけに留まらないか、小姑めいたチェックをすべく講演を聴くことにした。

クリティカル・ビジネスはソーシャル・ビジネスとは異なる。その違いとはクリティカル・ビジネスが「社会的課題」との点で後者と同じではあっても「コンセンサスが取れていない」点にあるという。クリティカル・ビジネスは世の中ではまだ社会課題として問題視されていない点への新たな問題提起を始める。

山口氏の主張は全体的には二つあった。一つは時代の潮流が変化しているのに行動する側の読み解き方が以前のままであるためギャップが生じて生産性が上がらないというもの。もう一つはマーケティングの奴隷になってしまい、主観である「なりたい姿」「ありたい姿」を描けないでいる。その一方で「なりたい姿」「ありたい姿」を描いて実現する企業がトップを走っていること。

一つ目の時代の潮流が変化しているのに理解が追いついていない点では面白い紹介があった。これまで松下幸之助の水道哲学「水道の水のようにいい物を安くたくさん作る」ことが肯定的に捉えられていた。しかし今やこんまり(近藤麻理恵)の『Spark Joy』の世界的大ヒットに見られるように「捨てること」に価値を見出すという人類史上初めてのことが起きている、つまりモノにマイナスの価値が生まれていると山口氏は指摘する。物質的満足度が8割を超え、生活満足度は大きく伸長、市場に出回る商品はどれも似通っている。なぜなら正解は一つだから。答えである商品はどれも似通ってしまうとの当然の結論に帰結する。

では似通らない商品を生むためにはどうすれば良いのか。ここで2つ目の主張、すなわちマーケティングの奴隷となっているが故に「なりたい姿」「ありたい姿」を描けない状況が説明された。現状をいくら分析しても「問題」は出てこない。問題は顧客の側から出てくるものではないからだと。これには半分納得して半分疑問がある。
山口氏の主張をより正確に言うのならば「(まだ言語化されていない)顧客の本音をいかに引き出して感じ取るか」ではないか。確かに「問題」は出てこないかもしれない。でも何かしらの「不便」は感じている。それをサービス提供側が感じ取り具現化するかということではないか。

山口氏はイケアの「This Ables」プロジェクトを例に挙げた。このプロジェクトはイケア・イスラエルが開発した身障者用の家具アダプターを家具に取り付けることで既存の家具が身障者にも使いやすくなるというものだ。しかも家具アダプターのデータは無料公開されているので3Dプリンターを使えば誰でも使用できる。3Dプリンターを使用できる公共図書館もあるので無料でアダプター入手も可能だ。このプロジェクトによりイケアは37%売り上げ増、33%の収益増となった。これは身障者側から出てきた案でなく、イケア側から出てきたものとのことで、身障者自身は(専用家具の価格が)通常家具の倍額であることを「そういうものだ」と諦めていた。つまり前述のように現状をいくら分析しても問題は出てこない。イケアの人間が「ありたい姿」を描いてそれを実現した。イケアのビジョンは「人々の日常をより良いものにする」である。

しかし、これを単なる美談にしてはいけないと思う。実現に至った過程や狙いをビジネスの観点からもっと検証する必要があると私は考えている。イケアは確かに理念がしっかりしている企業だが、その一方でコスト意識が非常に強い企業でもある。社内マニュアルに至るまで価格が記載され、商品デザイン時にはまず価格を決定してからデザインが進むような組織である。もちろん身障者に合った家具をもっと入手しやすくするとの従業員のアイデアが元にあったとは思うけれど、それを実現することによるビジネス戦略も間違いなくあったはずだ。

そもそも家具アダプターは「イケアの既存家具に合うもの」として設計されているのだ。当然イケアの売り上げ増に繋がるし、企業イメージも良くなる。加えてイケアの特質(家具と周辺商品の販売を『世界中で』行っている)を120%活かしていることも忘れてはならない。データの無料公開をすることで「世界的な感謝と絶賛がついた無料の広告」を引っ提げてブルーオーシャン市場への世界的進出を行っている。大変賢い戦略だ。これは決して皮肉ではない。間違いなく「ありたい姿」を描いて実現しようとした従業員の素晴らしい思いもあるはずだ。だからこそ同時に、実現するまでに様々な取捨選択をしたであろう、イケアのしたたかな戦略のさらなる分析を期待したい。

そして「パープル・オーシャン」と山口氏が評した「役に立つ・意味がある」の欄には高級車、腕時計、オーディオのような高級品ばかりが掲載されていたけれど、それではこのパープル・オーシャンが単に高付加価値・高価格商品のように誤解される恐れがあると感じた。ここにこそイケアのThis Ablesを入れても良かったのではないか。
「意味がある」の「意味」とは何なのか、答えは一つでないのだから。

(太田美行)


山口 周(やまぐち・しゅう)

山口 周
  • コンサルタント
  • 著作家

1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。
電通、ボストン・コンサルティング・グループ、コーン・フェリー等で企業戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後に独立。現在は「人文科学と経営科学の交差点で知的成果を生み出す」をテーマに、独立研究者、著作家、パブリックスピーカーとして活動。現在、株式会社ライプニッツ代表、世界経済フォーラムGlobal Future Councilメンバーなどの他、複数企業の社外取締役、戦略・組織アドバイザーを務める。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他の著書に、『劣化するオッサン社会の処方箋』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』、『外資系コンサルのスライド作成術』、『ニュータイプの時代』、『武器になる哲学』、『自由になるための技術 リベラルアーツ』、『ビジネスの未来』『クリティカル・ビジネス・パラダイム』など多数。

X(旧Twitter):@shu_yamaguchi

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