夕学レポート
2026年02月03日
藤井一至氏講演「すべては「土」から始まる」
藤井七冠。その噂は、かねがね耳にしていた。
SOTAではなく、KAZUMICHIのほう。将棋ではなく、土の人のほう。
登壇した藤井一至先生は、「藤井九冠です」と今日もネタっぽく、しかし嬉しそうに自身を紹介した。冠の数が更新されている。Wikipediaによれば、最新から遡って毎日出版文化賞、講談社科学出版賞、World Omosiroi Award、日本生態学会宮地賞、日本ペドロジー学会論文賞、河合隼雄学芸賞、日本農学進歩賞、日本生態学会奨励賞……etc.。論文や著作、活動に与えられた賞は九つを超え、そのジャンルは多岐に渡る。
洒落でなく一時はプロをめざしたほど将棋の腕は確かで(リアル藤井八冠には「本気で嫉妬している」と語った)、あえて土壌学者ではなく「土の研究者」と名乗っており、現職の「土壌ホメオスタシス研究ユニット長」という肩書も謎めいている。この一筋縄ではいかない感と、時の人だけが持つ騎虎の勢いオーラに、期待は爆あがり。そんな前のめりな会場の空気とは対照的に、文字通り地に足をつけ、地道に地味に地中を見つめてきた土の「名人」は、泰然自若として語り始めた。
いま、なぜ土か
「私の研究が注目を浴びるのは、あまり喜ばしいことではないんです」と笑う藤井先生が各方面で引っ張りだこな状況は、日本の、いや世界の土が危機に瀕していることの証左だ。
気候変動とともに土壌劣化が苛烈に進んでバイオエコノミーへの関心が高まり、同時に投資家や消費者に見捨てられまいとする先進国企業の間で「リジェネラティブ(土壌改善)」の取り組みが加速しているという。SDGsに続いて、「リジェネ」?がコンプライアンスマネージメントの重要項目になる日もそう遠くなさそう。またウクライナ侵攻の理由の何割かは、彼の国が肥沃な土壌チェルノーゼムを持つがゆえだったという事実は、土が競争のルールを左右する「資源」であることを、現在進行形で知らしめている。
藤井先生の人気は、やはり不安と焦燥感が駆動しているといえそうだ。
じゃあ、そもそも「土」って何でしたっけ。人生初の問いかけな気もするが、さっそく答えられない。ホームセンターに行けば、園芸用の培養土は当たり前に売られているけど、無意識的にそれを「人間が科学の叡智を使って人工的につくったもの」くらいに勘違いしていなかったか。私はしていた。幼少のみぎり、カブトムシ用のフカフカ腐葉土は虫カゴにセットされていて、夏の終わりとともに用を終えた土は近所の公園に戻された(微妙に犯罪)。田舎育ちで田植え経験もあり、タニシやミミズとは気心が知れた仲。でもねっとりとあたたかな泥の感触は思い出せても、土の何たるかについてじっくり考えたことは、今の今までなかった。
「食料の95%は土からできているし、スマホだって土がなくてはつくれません」
我々が糧としている食物のほとんどは土を経由してつくられ、スマホのボディに使われるアルミニウム(ボーキサイト)だって赤土の化石。つまり、我々の生命は土に全面的に依存しており、今のテックで便利な暮らしも土無くしては叶わなかったのである。
人は土をつくれない、の衝撃
土とは、「岩石が風化してできた砂と粘土に、動植物の遺体(腐植)が混ざってできたもの」と定義を教わる。ちなみにホームセンターで売られる培養土は、腐葉土やヤシ殻、赤玉土、鹿沼土、石灰などを適度な配合で混ぜ合わせたブレンドらしい。つまり、素材となる腐葉土や鹿沼土は各採取地から集められてきたのであり、ヒトはこれまで、一片たりとも土をつくりだしては「いない」。
こんな単純かつおそるべき現実に向き合いもせず、やれ日本の農業は大丈夫かだの、野菜が高い米が足りないだのと騒いでいた。無知は自覚していたが、水や空気ほど土に気を遣ってこなかったこと、猛省します。
はじめに土があった
実際、地球の46億年史のうち41億年間はずっと岩石だけ期が続いていたので、土と生命ができてから実はまだ5億年しか経っていないらしい。土から人類への命のリレーをダイジェストでみると、
- 小惑星が集まって地球ができる
- 花崗岩や玄武岩などの岩石が生まれる
- 岩石や砂から粘土が生まれる
- 粘土の一粒ひと粒が関わって生命誕生
- 苔やキノコ、被子植物が出現、落ち葉を分解できるようになる
- 岩石の風化進み土が深くなる
- 大気中の二酸化炭素が消費される
- 地球が寒冷化
- 北極と南極できる
- 真ん中へんに乾燥した地帯(砂漠)できる
- 熱帯雨林からサルが追い出される
- 歩いて移動する必要から二足歩行のヒトへと進化
となる。詳しくは、土と生命の誕生譚を、めくるめく筆致で語った名著『土と生命の46億年史』を参照されたいが、ともかく植物が生まれて以降(4,5)、直近の5億年からようやく土の存在が認められ、さらに遅れて700万年前にようやく人類の始まりを伝える化石が発見され(12)、農耕史が始まってからは、まだ1万年。
壮大な地球史の中では土も意外に若く、ヒトと土の交際期間に至っては、ほんの瞬き程度。それなのにもう土壌をピンチに晒している我々の罪深さよ。
人工土壌への挑戦
聖書の創世記には、神が土のちりで人を創ったと書かれているが、神と違って生命を生み出せないヒトは、土をつくることもできない。
その大きな理由は、土が一個体ではなく、生きものと砂と粘土が混ざり合ってできた「システム」であり、お互いに作用しあって変化し続けている点にあるという。たとえば納豆菌(1種類)を蒸した大豆に投入すれば発酵が進んで納豆ができあがるが、土はそうはいかない。重要な構成員である腐植の微生物だけで、1万をゆうに超えてしまうのだ。
1万種の協業を再現するのは困難を極めそうだが、藤井先生は、果敢にもそれに挑もうとしている。
外部環境の変化にかかわらず、生物が体温や血糖値などの内部環境をつねに一定に保とうとするしくみをホメオスタシスと呼ぶが、その「自律性」や「持続性」を人工土壌に援用できないか?というのが、どうやら先生の目論見であるらしい。ここで肩書「土壌ホメオスタシス研究ユニット長」のいわんとするところが読めてきた。
つまり土に向かって「どうせアンタらは砂と粘土と腐植の混合物でしょ、半端にいきものっぽいからヒトにはつくれねーし」と思考停止してしまうのではなく、いいところを探して可能性に賭けてみるのだ。
土よ、君たちにはどうやら自律的に再生する機能があるらしいね。しかも循環なら得意そうだからまずはそこから始めて、うまくいきそうだったら少しずつ続けてみようか?とやさしく叱咤激励するイメージだろうか。
その時に参考になるのは、AIよりもむしろヒトの脳だという。やはりゼロイチで割り切れない、“あわい”や“ゆらぎ”が大切なのだろうか。何せチーム土壌は登場人物が多い。1万の魂に耳を傾けるには、心が大事。
実際には、国の内外で選んだ各地点に岩石標本や火山灰標本を埋め、数年ごとに掘り出して、どんな微生物たちが混入しているかチェックすることを進めているらしい。いずれは必要な微生物を特定して人工土壌に根付かせる方法を見つけ、「ほんらい1000年で1cmしかできない」(アフリカなどでの平均値)土の作成スピードを少しでも上げるのが目標だ。
実現すれば名人どころではなく、もはや神の領域であろうが、先生なら今生でやり遂げてくれる気がしてならない。
すべては土から始まる、の「すべて」の重さに染み入る。何なら宇宙も、地中も、自分の体内も、全部が相似形をなすコスモスと考えればわかりやすいのかも。なんだかんだで実存の意味を問う地平まで連れてこられるとは。名人の次の一手に、今後も目が離せそうにない。
(茅野塩子)
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藤井 一至(ふじい・かずみち)

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- 土の研究者
- 福島国際研究教育機構 土壌ホメオスタシス研究ユニット長
- 土の研究者。福島国際研究教育機構土壌ホメオスタシス研究ユニット長。1981年富山県生まれ。京都大学農学研究科博士課程修了。博士(農学)。京都大学研究員、日本学術振興会特別研究員、森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員を経て、現職。カナダ極北の永久凍土からインドネシアの熱帯雨林までスコップ片手に世界各地、日本の津々浦々を飛び回り、土の成り立ちと持続的な利用方法を研究している。第1回日本生態学会奨励賞(鈴木賞)、第33回日本土壌肥料学会奨励賞、第15回日本農学進歩賞、第7回河合隼雄学芸賞など受賞多数。著書に『大地の五億年 土とせめぎあう生きものたち』(山と溪谷社)、『土 地球最後のナゾ』(光文社)、『土と生命の46億年史』(講談社、講談社科学出版賞受賞)など。
- ホームページ:https://sites.google.com/site/fkazumichi/home
- X:@VirtualSoil
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