夕学レポート
2026年04月24日
保田 隆明氏講演「財務視点で読み解く人的資本と企業価値」
変わる時に
新しい講演スタイル、というのだろうか。保田隆明氏の講演では冒頭そして講演途中でも聴衆へ質問を随時募り、それに答える形で進めるものだった。スライド資料も講演終了後に配布する。大学の講義の一形態ともいえるけれどこうした講演会では珍しく感じる。講演内容を聴衆の関心から外さないためでもあろうし、一方で聴衆の側に主体性を持たせて聞かせる効果もあったように思えた。
日本の現状を改めて考えてみる。円は安くなり、外国人が増加している。おまけに戦争などの影響もあって物価高。これからどの方向へ進むべきかを考える。まずは現状把握が正しくできているかを考えなければならないだろう。例えば「日本は高賃金だから」。実際は世界的に見て低賃金だ。まだまだ神話に囚われていないか。
同じ講演を聴いても人により受け止め方は様々だろう。演題は「財務視点で読み解く人的資本と企業価値」で確かにその通りの内容ではあるものの、私の場合は本講演で主に「企業が変わる時に何をどのように選んだのか」のメッセージを受け取った。
配布資料には講演サマリーとして以下の3点が挙げられている。
- 企業の目的:収益最大化と社会インパクトの両立(前者は株価による評価、後者はESG、インパクト投資家目線)
- それらが実現可能な組織づくりこそ、人的資本経営
- 事業ポートフォリオ変革、経営革新を可能たらしめるには、パーパスの浸透と人的資本経営との連動が重要に
保田氏のいう「非財務情報」とは人的資本のことを指す。
- 投資家ニーズである株価の先行投資
- ステークホルダー経営としての非財務情報:収益最大化&社会的インパクトの両立
- ストーリー、ナラティブとしての経営戦略(内部ブランディング&外部ブランディング)
日本企業に不足しているのはプロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)の概念で、事業ポートフォリオの入れ替えによってサステナブルな経営を実現することだという。つまり問題児事業(投資対象)と花形事業(維持対象)を開発できる人材を育てることこそがリスキリングの目的であり、金のなる木事業(資金収穫対象)を効率的に回すことではない。(私なりに付け加えるならそれを判断できる人材を育てることも含まれるのではないか。)
具体例として主に日立、花王、京セラ、TDKが紹介された。日立は事業ポートフォリオ転換したことによる成功例として、花王と京セラは企業フィロソフィーと物言う株主(アクティビスト・ファンド)の求める像が異なる中で成果を出せた(あるいは出せる力がある)事例として、TDKは人件費・研究費を掛けても理解を得られた事例として挙げられた。
日立の紹介では様々な企業を買収した結果、多様性を重視せざるを得ない状況になった。なぜなら事業推進と利益向上に繋がるからで実際に株価上昇の結果を出せた。花王は広告宣伝費よりも基礎研究にお金をかけ、収益と社会価値の両立を求める企業フィロソフィー(パーパス経営)の会社だという。そこがアクティビスト・ファンドと嚙み合わなかった。京セラも同様の問題を抱える。パーパス経営色の強いこの2社、問題解決のためには社内から、また社外からも「評価してもらえる状態」にすることが良い。TDKに関していえば成功事例として、原点であるフェライト(磁性技術)を育てて技術領域、つまり時代に即した事業領域も広げた経緯が説明された。
社内あるいは社外(アクティビスト・ファンド)に向けてのいずれでも説明能力が必要とされることには違いない。保田氏のいうストーリーやナラティブを社内外ともに共有させることを目指すのなら、そこには社是や確かな語り手なりが存在しなければ不可能だ。またM&Aなどにより買収先の企業から企業文化や人種も含め多様な人材が集まれば、説明能力は一層求められる。特にプレゼンに慣れた外国勢と一緒になった場合に日本人はどうも不利ではと思えてしまう。多様な事業体となった時に企業独自の理念やフィロソフィーは原点企業のもののままで可能なのか。さらなる欲を言えば紹介された成功企業の研修会や勉強会、そして業績評価の実態はどのようになっているのかなどの実例紹介も今後に期待したい。何よりも各社員一人一人の「判断する力」をどのように養っていくのか。今回のような講演やMBAを始めとする教育機関がその中心的な役割を担うのだろうけれど教育方法についても踏み込んだ分析が待たれる。
最後にカタカナ語の多用は気になった点である。新しい概念が大量に流入しているがゆえに訳語の誕生が間に合わないという事情があるにせよ、外国語のため言葉を聞いても腑に落ちない感覚がどうしてもつきまとう。パーパス、ナラティブなど英語で何となく意味はわかっても母語話者でないので言葉のニュアンスを掴むのに限界があるのだ。例えばここでいうパーパス(purpose)は目的、目標のいずれの意味なのか。類語のaim(狙いを定めた具体的な「目標」)、goal(長期間の努力の結果達成される「目的」)、end(最終的な結果となる「目的」)との違いはどうなっているのかなど。訳語あるいは造語の必要性を強く感じた箇所だった。またカタカナ(表音文字)表記で原語も推測しにくい、あるいは日本では略語になりがち(サステナブル→サステナ)という事情もある。そうしたことを日本社会が乗り越えることもまた説明能力の向上、理解や理念共有に繋がるのではなかろうか。
(太田美行)
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保田 隆明(ほうだ・たかあき)
慶應義塾大学総合政策学部 教授
慶應MCC『コーポレートファイナンス 戦略と実践』講師
- 保田隆明研究室:https://hoda.sfc.keio.ac.jp/

リーマンブラザーズ証券、UBS証券で投資銀行業務に従事した後に、SNS運営会社を起業。同社売却後、ベンチャーキャピタル、金融庁金融研究センター、小樽商科大学大学院准教授、昭和女子大学准教授、神戸大学大学院経営学研究科准教授および教授を経て、2022年4月から現職。2019年8月より2021年3月までスタンフォード大学客員研究員としてアメリカシリコンバレーに滞在し、ESGを通じた企業変革について研究。複数社の上場企業の社外取締役および監査役も兼任。主な著書に『ESG財務戦略』(ダイヤモンド社、2022年)、『地域経営のための「新」ファイナンス』(中央経済社、2021年)、『コーポレートファイナンス戦略と実践』(ダイヤモンド社、2019年)『企業価値に連動する 人的資本経営戦略』(中央経済社、2024年)等。博士(商学)早稲田大学。1974年兵庫県生まれ。
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