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夕学レポート

2008年10月14日

山中 伸弥「iPS細胞がつくる新しい医学」

山中伸弥 京都大学 iPS細胞研究センター センター長、再生医科学研究所 教授 >>講師紹介
講演日時:2008年7月18日(金) PM6:30-PM8:30

昨年、山中氏の研究グループはiPS細胞で世界を驚かせました。「人工多能幹細胞」と呼ばれるこの細胞は、現在の医学では治療が困難な病気や怪我の回復に大きく貢献できる医療技術シーズとして高い期待が寄せられています。
講演では、貢献できる例として「若年型糖尿病」「脊髄損傷」「白血病」をあげてわかりやすく説明してくれました。
まず、「糖尿病」は、「インスリン」の不足により血糖値が上がり、血管障害や神経障害などを引き起こすものです。糖尿病には2つの型があり、大人に多い糖尿病は「2型糖尿病」と呼ばれ、多くの場合、肥満のために相対的にインスリンの量が足りなくなることが原因です。そのため、運動や食事療法を通じて減量することが治療の基本になっています。
一方、子供に多い「1型糖尿病」(若年型糖尿病)は、インスリンをつくる器官である、すい臓内の「すい島」(見た目が「島」のように見えることから‘すい島’と呼ばれます)がつぶれ、インスリンが分泌されなくなることで突然発症するのだそうです。


「1型糖尿病」の場合、もはやインスリンが分泌されないわけですから、外部からインスリンを投与するしかなく、インスリンは飲み薬にすることが難しいため「注射」を打つことになります。加えて、この「インスリン注射」は1日に4回も打たなくてはならないそうで、そのたびに病院に行って注射してもらうわけにもいかないので、糖尿病の子供たちは学校の休み時間などに自分で注射を打つしかありません。毎日毎日4回も自分で注射を打たなければならないのは、まだ幼い子供たちにとってはとても大変なことだそうです。
この病気の根本的な治療法としては、すい臓の移植があります。しかし、すい臓は人体に1個しかありませんので、脳死移植が必要だったそうです。しかも、すい臓は血管が非常に多く、ふわふわしたやわらかい臓器のため移植手術は極めて難しく、すい臓移植が行われることはあまりなかったそうです。
その後近年に、インスリンをつくる「すい島」の細胞を患者の家族や脳死者から取り出し、すい臓に注射することにより、再びインスリンを体内でつくれるようにする医療技術が確立されたそうです。それでも、すい島細胞を提供できる人がいなければなりません。
脊髄損傷や白血病も同様ですが、他人の臓器や細胞をもらう「移植医学」は、供給者(ドナー)がどの病気においても不足しているのが現状です。
そして、たとえ家族でも他人ですから、拒絶反応の心配が残ります。
そこで、このところ注目を浴びているのが「再生医学」なのだそうです。これは、健康な臓器や細胞を新たに作り出して問題の臓器や細胞と取り替える治療法です。新たに作り出すため、供給者不足の問題が解消されます。そして、この「再生医学」の切り札と言われてきたのが「ES細胞」(胚性幹細胞)です。
ES細胞は、ヒトの受精卵(胚)を使って作製する細胞です。受精卵を利用するわけですから、ES細胞には、身体を構成するあらゆる細胞に分化できる「多能性」があります。また、ほぼ無限に増殖できるため、治療に用いる身体器官の細胞(神経細胞や心筋細胞など)などを必要なだけ準備できます。例えば、ES細胞を増やして「すい島細胞」へと分化させれば、ドナーの登場を待つことなく、子供たちを苦しめている1型糖尿病の治療に使えるというわけです。
そして、脊髄が損傷することで上半身や下半身が麻痺したままとなる「脊髄損傷」も、ES細胞から「神経前駆細胞」という細胞に分化して移植すれば機能回復するのではないかと期待されています。山中氏によれば、乗馬中の事故で脊髄損傷となり、首から下が動かせなくなった故クリストファー・リーブ氏(映画のスーパーマンを演じた米国の俳優)もまた、ES細胞を使った再生医療に期待をかけていたひとりです。
血液のガンと呼ばれる「白血病」も、血液をつくる働きをしている「骨髄」の移植をすれば完治できる病気です。しかし、やはりドナーが不足しています。でも、ES細胞から「骨髄細胞」へ分化させ患者に移植する道が確立していたら、急性白血病で亡くなったK1の格闘家、故アンディ・フグ氏の命が救えたかもしれません。
ES細胞による再生医学は、この3つの病気、怪我以外にもさまざまな病気の治療に応用できると期待されているのですが、山中氏によればES細胞にはいくつかの問題点があるそうです。
ひとつには、やはり自分の細胞ではないので拒絶反応の問題があることです。これは、患者の体細胞から、その患者自身の遺伝情報を持つ「核」を未受精卵に移植し、電気刺激を与えて受精卵化させたものからES細胞をつくることで解決します。患者自身の遺伝子情報を持つES細胞なので拒絶反応が起きないのです。「オーダーメードES細胞」と呼ばれています。この技術はネズミなどではすでに成功しています。ただ、人間の受精卵は他の動物よりもはるかに脆弱なため、これまでのところ上記の技術は確立できていません。05年にソウル大学の教授の成功が脚光を浴びましたが、これは結局捏造だったということが後にわかっています。
また、ES細胞はヒトの「受精卵」を利用するという点で倫理上の問題があります。ES細胞の元となる受精卵は、不妊治療のために準備され、結局使われないで保管されていたものを利用します。ということは、そのまま増殖・分化させれば一人の人間になっていたはずのものです。米国では、上記の技術を認める法案に対してブッシュ大統領が拒否権を発動し廃案になっています。
そこで、山中氏は、ES細胞のこうした拒絶反応やヒト胚の利用という課題を克服する研究を開始したのだそうです。山中氏の研究におけるアイディアは、他人の受精卵ではなく患者本人の皮膚細胞を、ES細胞のような万能性のある細胞に、時計の針を戻すようにリセットするというものです。いったん皮膚細胞に分化したものを各器官などに分化する前の細胞に戻すわけですから、山中氏は「初期化」と呼んでいます。
皮膚のような体細胞もES細胞も、設計図となる遺伝子情報は同じです。そして、この設計図を読んで細胞をつくりだす「因子」(転写因子など)があります。そこで山中氏は、ES細胞をつくりだす「因子」を皮膚細胞に埋め込めば、皮膚細胞から ESに類似した細胞(以下、ES類似細胞)ができるのではないかと考えたのです。
山中氏はたくさんの因子の中から、ES類似細胞を生み出す因子の候補を24個見つけました。山中氏の研究グループでは、まず1因子ずつマウスの皮膚細胞に入れて試しましたがうまく行きませんでした。ところがある時、24因子同時に投与してみたところES類似細胞ができたのです。研究グループではさらにこの24因子からひとつずつ因子を減らしていくことによって、とうとう皮膚細胞からES類似細胞をつくりだす3つの因子を特定することに成功しました。このES類似細胞こそ、昨年(2007年)ヒトの皮膚細胞から生み出すことに成功し、世界を驚かせた「iPS細胞」(人工多能性幹細胞)なのです。
山中氏の研究グループは、ヒトのiPS細胞を、神経細胞や心筋細胞(拍動する心臓の細胞)、骨髄細胞へと分化させることに成功し、その多能性を検証しました。また、様々な年齢・性別、例えば6歳の女性、 36歳の男性、81歳の女性のそれぞれの皮膚細胞からもiPS細胞をつくることに成功しているそうです。
山中氏によれば、iPS細胞を使った再生医療(細胞移植)については、まだまだ安全性の確認が必要だとのことでしたが、同時に、病気の原因解明や薬効、副作用の評価に利用する可能性を模索しているそうです。例えば、ある心臓病の患者のiPS細胞を使って心筋細胞をつくり、その心筋細胞に新薬を投与して反応を見る実験を行えば、患者に危険を与えることなく新薬の効果や副作用を調べることができます。
また、「細胞バンク」と呼ぶ構想もあるそうです。iPS細胞を利用した再生医療は、患者自身の皮膚細胞を用いてiPS細胞をつくり、そこから神経細胞など必要な細胞に分化させて移植するのが望ましく、本人の細胞が元になっていますから拒絶反応も起きません。しかし、皮膚細胞からiPS細胞を作るのに約1ヶ月、さらにiPS細胞から神経細胞などに分化、増殖させるのにも1ヶ月ほどの時間が必要です。また、ES細胞に匹敵するほどの高品質なiPS細胞をつくりだすのは非常に高度な設備、技術が必要なのだそうです。
このように、現状では実際の治療には適用が困難なことから、あらかじめ多くの皮膚細胞を採取し、iPS細胞、および神経細胞や心筋細胞などに分化した細胞をつくって保管しておく「細胞バンク」の設立を山中氏は考えています。この場合、患者さんとは別人の細胞を利用することになりますが、拒絶反応に関係する「適合性」を判断するための細胞の「型」はおよそ50種類ほどだそうです。50種類ほどであれば、異なる型の細胞を入手して、あらかじめiPS細胞、分化した細胞をつくっておき、必要に応じてすぐに再生医療に利用することが可能だと山中氏は考えています。これは、自分の皮膚細胞をもとにしたものではないけれども、拒絶反応が起きにくい同じ型の細胞を利用することから「セミオーダーメード型」の再生医学だと言えます。
山中氏のグループによる iPS細胞樹立の発表以来、世界各地の研究グループでも次々とiPS細胞の樹立に成功しており、例えば米国カリフォルニア州では3,000億円もの公債を発行して、今後10年間の研究費として与えられる予定など、世界規模での研究競争が激しくなっています。日本でも追加の研究予算が迅速に認められただけでなく、他の大学との様々な共同研究、また知的財産として保護するための仕組みも立ち上がっているそうです。
今回、山中氏は、「再生医学」のような高度で難しいテーマを軽妙なジョークを盛り込みながら、わかりやすくお話しされ、再生医学に対する理解が深まっただけでなく、大きな知的興奮を味わうことができました。今後の山中氏の研究のさらなる発展を心からお祈りしたいと思います。

主要著書

  1. Aoi, T., Yae, K., Nakagawa, M., Ichisaka, T., Okita, K., Takahashi, K., Chiba, T., and Yamanaka, S., Generation of Pluripotent Stem Cells from Adult Mouse Liver and Stomach Cells. Science in press 2008
  2. Nakagawa, M., Koyanagi, M., Tanabe, K., Takahashi, K., Ichisaka, T., Aoi, T., Okita, K., Mochiduki, Y., Takizawa, N.,and Yamanaka, S. Generation of induced pluripotent stem cells without Myc from mouse and human fibroblasts. Nat Biotechnol. Nat.Biotechnol 26:101-106,2008
  3. Takahashi, K., Tanabe, K., Ohnuki, M., Narita, M., Ichisaka, T., Tomoda, K., and Yamanaka, S. Induction of pluripotent stem cells from adult human fibroblasts by defined factors. Cell 131:861-872, 2007.
  4. Okita, K., Ichisaka, T., and Yamanaka, S. Generation of germline-competent induced pluripotent stem cells. Nature 448:313-317, 2007.
  5. Takahashi, K., and Yamanaka, S. Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors. Cell 126:663-676, 2006.
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