私をつくった一冊
2025年03月11日
吉澤 幸太(LINEヤフー株式会社 コーポレートコーチ室 エグゼクティブコーチ)
慶應MCCにご登壇いただいている先生に、影響を受けた・大切にしている一冊をお伺いします。講師プロフィールとはちょっと違った角度から先生方をご紹介します。
1.私(先生)をつくった一冊をご紹介ください
2.その本には、いつ、どのように出会いましたか?
学生の時です。日本で学部を卒業したのち、機会に恵まれてフランスに留学することになったのですが、その前後で手に取ったと記憶しています。この本がきっかけで渡仏を決めたわけではありませんが、当時の自分自身の経験を重ね合わせながら、その後の私の一部をつくった一冊だとは言えそうです。
3.どのような内容ですか?
著者である永井荷風が20世紀初頭にフランスに滞在していた経験をもとに書かれた、エッセイとも小説とも取れそうな文学作品です。街や田園の様子、人の営みや会話など、情景描写も心理描写のどちらも美しく、著者のフランスへの愛情が溢れんばかりです。
一方で、当初は「風俗を乱す」との理由で発禁となり、世に出るまで時代の変化を待たねばならなかったようです。つまり当時としては“けしからん”内容だったというわけです。また、日本や、著者が渡仏する前の滞在地であったアメリカに対して、批判的とも取れる書きぶりが原因だったという説もあるようです。
読んでいると、本当に100年以上前に書かれたのかと首を傾げたくなります。当時でもこんな考え方をしたのか? こんな語り口が通用したのか? 時間による風化の影響を受けないのは、時代に囚われた通念を巧みにかわし、人間の本質を描き出すことに成功しているからではないでしょうか。
4.それは先生にとってどんな出会いでしたか?
私をつくった一冊が、発禁になったような本だなどと言うと、さぞや過激で“けしからん”人物なのだろうと疑われそうです。でも、実は逆で、臆病でなかなか殻を破れない私にとって、人生の節目を迎えた際などに、ちょっとだけ背中を押してくれる存在でした。
退廃的かつ自己陶酔的な登場人物に、憧れに近い感情を抱いているところもあります。という意味では、やっぱり私もちょっとは“けしからん”輩なのかもしれませんが…。
加えて、私にとって魅力的だったのは、人々の軽やかな会話です。誰かが何かをきっかけに声を挙げると、他の誰かがそれに応えて言葉を返す。そこに関係性が生じて、人の営みに発展していく。各々の意識の有無に関わらず、会話が人生(≒生活≒命)を創っていきます。若者だった私に、そんなことをしみじみ感じさせてくれた作品です。
正直に言うと、最初に出会ったのがいつだったか、正確には覚えていません。読後しばらく経ってから幾度となく思い出され、その度にページを開き、徐々に刷り込まれていったような不思議な本です。
5.この作品をおすすめするとしたら?
この種の本に感化されたせいで、自分のような人間ができあがってしまったとすれば、無闇におすすめしてよいものかは迷います。とはいえ私個人の人生を振り返ると、感謝すべきか、恨むべきかで言えば、僅差ですが前者に軍配が上がります。
冒頭の章「船と車」の中で、パリからリオンへと旅立つ主人公に、宿のマダムが白薔薇を渡すシーンがあります。深い縁もなく2度と会うこともない相手の幸せを自然と願う心と、それを繊細に受け止める感受性。2人の人間の儚いやり取りが描かれています。この短いほんの数行を読んで、もし感じるものがあったら、そのまま読み進めてよいだろうと思います。
- 吉澤 幸太(よしざわ・こうた)
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- LINEヤフー株式会社 コーポレートコーチ室 エグゼクティブコーチ
- 慶應MCC担当プログラム
- 成城大学ヨーロッパ文化学科を卒業後すぐに渡仏。パリ第8大学言語科学部に編入学するが中退し、帰国後は株式会社アルクに入社。広報・宣伝部署にて広告制作ディレクター兼コピーライターとしてキャリアをスタート。一時フリーランス編集者/ライターの経験をしたのち再びアルクに復職。インターネットを活用した販促、広告タイアップ企画、また、デジタル学習コンテンツ企画などを担当。並行して自社オンラインストアの運営責任者を務める。
ヤフー株式会社(現LINEヤフー)に転職後は、SNS系サービス全般のプロモ企画&運用担当チームリーダー、テレビ局/新聞社/通信社/出版社担当として協業メディアビジネス企画プロデューサー、Yahoo!ニュースの新規サービス企画プロジェクトマネージャーなどに従事。その後人事部門にコンバートし、組織/人材開発と部門人事(HRBP)を担当。現在は同社のコーポレートコーチ室にて、社内およびグループ会社の役員を対象にしたエグゼクティブコーチを務めている。
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