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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

私をつくった一冊

2026年01月13日

城取 一成(慶應MCCゼネラル・マネジャー)

慶應MCCにご登壇いただいている先生に、影響を受けた・大切にしている一冊をお伺いします。講師プロフィールとはちょっと違った角度から先生方をご紹介します。


1.私をつくった一冊をご紹介ください

先祖の話
柳田国男 著
角川ソフィア文庫、2013年

2.その本には、いつ、どのように出会いましたか?

ちょうど10年前、『ファミリーヒストリー』を書きました。NHKの「ファミリーヒストリー」は、私の好きなテレビ番組です。ゲストが普段のテレビでは絶対に見せない素の表情を見せてくれるからです。人前での演技を生業とする人達が、思わず“素の自分”をさらけだしてしまうほどの力が、ファミリーヒストリーにはあるようです。それなら自分もやってみようと、一年程かけて先祖の歴史を調べて、私家版の『ファミリーヒストリー』を書き上げました。

いろいろと調べていくうちに、なぜだろう、と不思議に思うことがしばしばありました。そんな時に、日本人にとっての祖霊信仰や人生観を説明してくれるガイドブックの役割を果たしてくれたのが、この本でした。
その意味では、私をつくった一冊、というよりは、私をつくった縁起を教えてくれた一冊と言えるかもしれません。

3.どのような内容ですか?

『先祖の話』は、日本民俗学を切り拓いた柳田国男の晩年の著作です。けっして大著ではありませんが、驚くべきは、彼がこの小論を書き上げた時期です。
冒頭の自序は、ことし昭和二十年の四月上旬に書き起こし、五月の終わりまでに書いた…という一文から始まっています。東京大空襲の一か月後、空襲警報が鳴り響く成城の自宅書斎で書き上げたことになります。
柳田は、いったいどんな思いで書き綴っていたのでしょうか。日本が消滅するかもしれない恐怖の中、日本人の死後の観念・先祖への信仰・「家」のあり方等々を、淡々と記述していく柳田国男という偉才の凄味を感じすにはいられません。

4.『ファミリーヒストリー』を書くうえで、どのように反映されましたか?

私の母方の実家は「宮原」という姓です。信州木曽路の山家に何百年も前から暮らしてきた一族のようで、宮原姓の人々は、マキと呼ばれる同族集団を形成し、「宮原神社」という小宮を祀っています。

マキについて『先祖の話』では次のように書かれています。

民法の言うところの親族の範囲には入らず、どういう続き合いになるのか当人たちも、はっきりと知らぬほどの古い親類で、なおいつまでも同性の誼みを捨てず大切にする…

神主が常在する地域の氏神のような神社ではなく、小さなお堂があるだけの粗末な社ですが、祖父達は掃除や草刈りを怠らず、大切にお祀りしていたようです。

宮原マキの人々は、遠い昔は山仕事を生活の糧としていた山棲みの人々であったのかもしれません。江戸時代に入って中山道が整備されるに伴って、高台から街道沿いに移り住んだのではないかと思います。マキの人々は、街道沿いに家作を持つようになっても、かつて先祖が暮らしていた場所に小宮を建て、同族のつながりを保ちながら大切に祀ってきたのでしょう。『先祖の話』を読むと、そんな想像がふくらみます。

マキの習俗は、日本における典型的な祖霊信仰の形態を伝えてくれると、柳田は書いています。
日本人は、葬式から始まり三十三回忌の法要まで続く、仏教上の「弔い上げ」を終えた死者の霊は、それまでの特定個人の霊から「先祖の霊」というひとつの尊い霊体に溶け込み統合されると考えたようです。柳田はこれを「祖霊」と呼びました。
「先祖の霊」は、不可分な大きな存在となって、子孫を見守り続けてくれると信じていた、ということでしょう。

祖霊は、清められた先祖の霊として、家の屋敷内や近くの山などに祀られ、その家を守護し、繁栄をもたらす「カミ」として敬われました。
人が死んだ後、すなわち霊魂は遠くに行ってしまうのではなく、永久にその地に止まって、人々の暮らしを見守っていると信じていました。自分達を見守っている先祖の霊を「カミ」として崇め祀ることは子孫の義務であったようです。

さらに言えば、同一のマキで同じ「カミ」を祀るという行為は、御先祖様を敬うという宗教的な意味と同時に、自分たちの根源を拠り所にした緩やかな同族関係を確認する社会儀礼であったのかもしれません。

年に一度集まって「自分たちはどこから来た、何者なのか」を再確認し、次の世代に同族の関係性を繋げていくことで、人々が生きていくうえで不可欠な他者とのつながり・縁を維持していった、ということではないでしょうか。
「宮原神社」のような祖霊信仰は、それこそ日本の至るところにあって、素朴ながらも力強い日本的信仰の姿を留めていると、私は思っています。

5.この作品はこれからどう読まれると思いますか?

この本を読んである種の郷愁のようなものを理解できるのは、私の世代が最後なのかもしれません。少子高齢化の進展は、上記の「宮原神社」のような名もない「カミ」を祀る習俗を維持することを困難にしています。
あと30年もすれば、日本人が大切にしてきた祖霊信仰=日本的信仰の姿は消滅してしまう可能性が高くなりました。
その意味では、柳田が『先祖の話』で書き残そうとした、日本人の死後の観念・先祖への信仰・「家」のあり方は、80年の歳月を経て、民俗学という学問の世界に格納され、静かな眠りにつこうとしている、ということかもしれません。

 

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