夕学レポート
2026年09月07日
鶴見 太郎氏講演「ユダヤ人の中の世界史」
世界中から非難を浴びても、なぜイスラエルはガザやヨルダン川西岸への非道な攻撃をやめないのか? イランとの停戦は? 私を含む会場の全員が、講壇に向かって圧をかけるなか、鶴見先生は淡々と口火を切る。
「世界史『が』ユダヤ人『に』、どういう影響を与えてきたかを見ていきましょう」
個人的には、ユダヤ人とは果たして誰を指すのかということすら、今ひとつ腑に落ちていない。今日はすっきりして帰りたい。
物語のはじまり
古代、エジプトとメソポタミアの抗争で、ふたつの文明がぶつかり合う緩衝地帯が、カナンであった。ユダヤ人が「約束の地」としてのちに崇めることになる聖地で、まさに現在のイスラエルとパレスチナ自治区のあたりを指す。当時は、戦争=各民族が信じる神と神との戦いと考えられ、争いに敗けた方が勝った方の神を崇めるという時代が長く続いた。ターニングポイントになったのは、紀元前6世紀、新バビロニアのネブカドネザル2世がユダ王国を滅ぼし多くのユダヤ人をバビロンへ強制移住させた「バビロン捕囚」。ここでユダヤ人は考えた。「国を追い出されたのは神の責任ではなく、きっと我々が契約を破ったことに怒った神が、バビロニアを通じて罰を下されたのに違いない」。つまり、ここでユダヤ人とバビロニア人が奉じる神が同一であるという「発想の転換」が起こったのだ。こうしてヤハウェを「唯一絶対神」とするユダヤ教が次第にまとまりを見せ始めていった。
やがてエルサレム神殿まわりに権力を固めていたユダヤ教を改革しようとしたイエスが処刑され、ローマ帝国支配下で、「律法」の巻物を携えた指導者「ラビ」が台頭。神殿なきあとのユダヤ社会で信仰を守りぬこうとする、現在に至るラビ・ユダヤ教の基礎が築かれた。同時に、ユダヤ人の定義――ユダヤ人の母からうまれ、ユダヤ教を信じる人――も定まったという。ちなみに日本人でも、やる気さえあればユダヤ教徒に改宗できることをご存じだろうか。ただし百科事典サイズで20巻からなる教典「タルムード」を全て頭に叩き込み、食事の規定「コシェル」を守った生活をしたうえでラビに認められれば、の話。
ラビは聖書やタルムードに精通しているだけでなく、食や安息日といった生活の決まりごと、結婚や犯罪事件など人生のあらゆるイベントや諸問題に応じた判断と法的助言を行う。ビジネスで助言することも多く、移住の先々で経済をまわす牽引役として重要な役割を担った。ユダヤ人社会で歴史的に金融業が盛んになったのは、ユダヤ教がラビに代表される「勉強の宗教」であったことと、イスラム・キリスト教では長く利子が禁じられていたことに起因する。
法と生きる
パレスチナから離れて暮らすイスラエル人が増えるにつれ、神殿の代わりに建てたシナゴークを教育センターにして、そのまわりに集まって住むというユダヤ人社会の基本システムがかたちづくられた。さらにユダヤ人自身が「国家」をもって民を統治することができなくなっていくと、日常の暮らしの真ん中に「律法」を据え、それに則って生きていく家族のユニットの集合が、いわば国家政治に代わる小さな自治単位として機能するようになった。このことは、「ディアスポラ」として移動した先々でインスタントに共同体をつくり適応する柔軟さにもつながった。
中世から近世のヨーロッパで
時は下り、中世のユダヤ人社会の中心は西ヨーロッパへと移る。金融が得意なユダヤ人の特性が花開くと同時に、ペスト大流行の不安や十字軍遠征のあおりを受けてユダヤ人への迫害が始まる。18世紀頃にスラヴ世界へ移動すると、ウクライナなどで貴族に土地管理を任された人びとが現地農民の反感を買い反ユダヤ主義が本格化。同時に神秘主義的でやや怪しげな「ハシディズム」が創出された。その揺り戻しで「人間みな平等」を謳うヨーロッパの啓蒙主義にのみ込まれるなか、ユダヤ人の国家建設をめざす「シオニズムの萌芽」がみられるように。やがてオスマンなど諸帝国の崩壊や産業革命が起き、ユダヤ人の居場所はさらに喪われていくのであった。
史上最大の危機
「ユダヤ人=農民の搾取者」という烙印はその後もついてまわり、19世紀末にはウクライナ南部で農民を加害者とする壮絶な集団暴行「ポグロム」が起きる。時を同じくしてユダヤ人左派民族運動が強まると「ユダヤ人=革命家」という別のレッテルが貼られ、さらなる虐殺へと波及。やがてドイツとソ連にはさまれた状況で、地元住民による反ユダヤ暴力が先鋭化し、カオス時の常としてユダヤ人が真っ先に標的になるという事件が繰り返された。鶴見先生の著書『ユダヤ人の歴史』によれば、第1次世界大戦からロシア革命、内戦、ポグロムを経て、5万人から20万人のユダヤ人が死亡し、50万人のユダヤ人が難民化したという。
続くホロコーストでは、ナチス・ドイツのみならず、ポーランド人も実は多くのユダヤ人を殺害していたという事実があったと聞き、重ねて胸が塞がれる。ホロコーストにより1939年の世界のユダヤ人口約1700万人のうち600万人が死亡し、この時点での人口の中心は、およそ450万人を擁していたアメリカに移った(同書)。もはや数字が大きすぎて全く現実感がわかないが、その後のイスラエルへの入植、3次に渡る中東戦争、現在のイスラエル危機という因果のめぐりに連なっていることは、想像に難くない。
レジリエンスの限界
このように各地に散らばったユダヤ人は、神殿から書物(法)へと信仰の拠りどころを移しつつ、あまたの筆舌に尽くしがたい苦難すら栄養にしながら「タレをつぎ足すように」ユダヤ社会を持続させてきた。古代から続いてきた時間のなかで、ユダヤ人としての自己同一性や帰属意識は却って純化せざるをえなかっただろう。だが現状のイスラエルには、「対暴力では限界を迎えている」とさしもの鶴見先生も苦言を呈する。
質疑応答で、なぜユダヤ人への差別はなくならないのかと問われた先生は、マイノリティはマジョリティに構造的に敗けるから、という意味のことを短く語った。
「世界史」に蹂躙されてきたユダヤ人は、置かれた場所の「影響を受けながら」、時にぎこちなく、時にしなやかに生き抜いてきたが、それだけに一枚岩であるはずもない。肯定的なステレオタイプもまた差別につながるとすれば、表層だけでわかった気になるのはまさに危険である。ネタニヤフ憎しだけで現在のイスラエルを語るのも、また。
今なお戦争の世紀に生きる我々が、「世界史」の続きにどう影響されようとしているのか。ユダヤ人とは結局誰を指すのかという問いも雲散霧消したわけではなく、畢竟、日本人とは何かという「そこから」な問いにもつながっていく。
どんな集団に置かれるかで、あらゆる人はマイノリティになる可能性に満ちている。マジョリティに組み伏されそうになったとき、我々はようやくユダヤ人の置かれた折々の状況へ、真に思いを馳せられるのかもしれない。すっきりする日などやっては来ない。ぐるぐると考え続けるしかないのだ、という予感だけは手にした夜だった。
(茅野塩子)
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鶴見 太郎(つるみ・たろう)

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- 東京大学大学院総合文化研究科 准教授
- 1982年岐阜県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員、エルサレム・ヘブライ大学客員研究員、ニューヨーク大学客員研究員、埼玉大学准教授などを経て、東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は、ロシア東欧・ユダヤ史、シオニズム、イスラエル・パレスチナ紛争。日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。著書『ロシア・シオニズムの想像力』(東京大学出版会、東京大学南原繁記念出版賞、日本社会学会奨励賞)、『イスラエルの起源』(講談社選書メチエ)。共著『ユダヤ人と自治』(岩波書店)、『社会が現れるとき』(東京大学出版会)、『講義 ウクライナの歴史』(山川出版社)。共編『ユダヤ文化事典』(丸善出版)、From Europe’s East to the Middle East(ペンシルベニア大学出版)、3000年のユダヤ史を雄大なスケールで描いた『ユダヤ人の歴史』(中公新書、サントリー学芸賞受賞)が話題に。
- 鶴見太郎のウェブサイト
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